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その2

 ……鉛のような重々しい溜息がこぼれた。

 主であるロザリンド様を見つめる。彼女はお付のものである青年貴族たち、剣士、僧侶、魔術師たちの無礼な罵倒を咎める様子もない。

 主であるならば、家人の事を守るのは当然と、彼女の父である公爵なら仰ってくれただろう。


「お役に立てず、申し訳ございませんでした」

 

 もう駄目だ。

 主に仕える万能執事の肉体を支える忠義の骨格は、お嬢様のリストラの言葉により粉々に砕け散った。



 今の僕は……無職だ。



 お嬢様は性根が決して悪い訳ではない。魔物に苦しむ民衆に同情し、少しでも早く退治しようとした。その事自体は悪くない。

 だが、現実が見えていない。それをいさめる言葉も届く事はない。

 それでも……ああ、祖父に連れられ、生まれて初めて引き合わされたお嬢様を見た時、僕はこんな美しい方に仕えるのかと心をときめかせた。自分の事が世界で一番幸せな奴だと信じて疑わなかったんだ。

 お嬢様を陰日なたにお守りし、そして……いずれどこかの誰かと幸せになる事を、我が幸せと信じていたのだ。

 それが……こんな形で終わると思うと、震える唇と青褪める顔色を自覚する。

 目の奥が熱い。涙の衝動と無念を懸命に堪えながら、尋ねた。

 

「お嬢様、それでは……僕は」

「わたくしには頼もしい仲間の方がいらっしゃいますわ、貴方などもう要りません」

「そうさ、聖女様は俺たちがお守りする」

「貴方のような肝心な時にいない男などいてもいなくても構いません」

「戦闘の時も……いつも周りを見ているだけの男は無用……」


 頭を深々と下げて、言う。


「……分かりました。お嬢様。長らくお世話になりましたが、今日この日この時をもってお役目御免とさせていただきます……。

 どうか、お体を労わりください」


 僕はそう言いながら、ようやく準備した桃の砂糖煮の瓶詰めを手渡そうとする。


「……なんですの、それ。そんな変なものいりませんわよ! お前と同じようにねっ!」


 差し出そうとしたそれを払いのけられ、瓶は、ゴロゴロと床を転がっていく。

 数日前に言った自分のワガママも、きっと忘れたのだろう。


 ……ああ、ああぁ、あああ。


 今まで生まれて19年。人生のほとんどを主に捧げ、終生を共にすると思っていた相手からこんな言葉を投げかけられるなんて、幼いあの頃は思いもしなかった。

 大型魔獣の討伐を後回しにしたのは、お嬢様の身に迫る危険を僅かでも減らすためだった。

 お嬢様がお腹に傷を受けた姿を見て、血の凍るような思いに苛まれ、必死に傷口を縫い合わせた。

 ベッドで安静にしている主の退屈を紛らわせようと、桃の砂糖煮を作った。



 全て、もう、何もかも無駄になった。



 ……真心は、全て台無しにされた。

 深く頭を下げ、退出しようと背を向ける。もう一秒足りとて、ここにいたくはなかった。


「おう、待てよ。聖女様に対する謝罪がまだだぞ」

「全く、下賎なものは通すべき筋も通せないんですか?」

「……早く土下座しろ、土下座」


 だが……僕の忠誠はロザリンド様に捧げていたが、こいつらには敬意も何もない。

 じろり、と薮睨みの視線を向ける。


「生意気な目……だ!」


 台詞が一番最後の魔術師が何かを唱えようと口を動かす――が、俺は反応する。

 執事服のボタンの一つを力任せに引き千切ると、そのまま親指で弾き出す。

 武術における指弾(スータン)の技。弾丸の如く撃射されたボタンは魔術師の口内に飛び込み、奴の喉奥を強打する。


「ほのおよ、我がっんがっ?! がっ……!!」

「宿を燃やす気か、馬鹿が」


 従者の任を解かれた以上、もう尊敬できない相手に敬語を使う気にもならない。

 喉奥に飛び込んだボタンに呼吸と詠唱を乱された魔術師。僕は指を銃口のように宿の天井に向けた。

『糸の能力』によって、粘着性の糸を魔術師の頭上に向けて放てば、その伸縮性と俺自身の脚力によって空中を這うように飛ぶ。そのままげほげほとむせる魔術師の頭上へと瞬時に移動し、手刀一つで意識を断った。


「貴様っ!」


 剣を抜こうとするが――主の守護も職務とする万能執事には余りにも遅い速度。

 即座に手を伸ばし、抜剣を妨害。そのまま頭突きを一発見舞い、痛みで悶絶する相手から剣を奪い取る。


「ひ、卑怯者!」

「えっ」


 僕は本心から首を捻った。


「剣士が剣を抜く前に剣を奪うなど、卑怯だ!」

「……なら素手なら卑怯ではないよな」


 ……大型魔獣を相手にした時『そんなに大きい体をしているなんて卑怯だ!』とでも言いそうだな、こいつ。

 だが僕が剣を捨てたのを見て、ほっとして……傲慢な表情をのぞかせる。


「そ、そうだな、正々堂々ぶちのめしてくれる! ……なんだ、それ」


 僕の得意技は特殊能力である『糸を操る能力』とナイフ、格闘、隠密だ。この距離なら剣より素手のほうがしっくり来るので放り捨てる。

 そのまま糸の力を使う。赤い色をした糸が右腕に絡みつく姿は、まるで剥き出しになった外付けの筋繊維を纏うようだろう。

『糸を操る能力』とは繊維を操ることと同じ。

 僕は長年の執事修行の果てに、『使い捨ての筋繊維(インスタントマッスル)』を生み出す事に成功していた。

 今や右腕のみが、赤い筋繊維でゴリラのように太くなっている。


「なんだ……って。素手だが?」

「ま、待て待て待て待てやっぱり素手も卑怯だ!!」


 素手さえ卑怯と言う台詞の恥ずかしさに気づいていないのか。

 ……気づいていないんだろうなぁ。


「お前……自分より弱い相手以外の全てに……卑怯と喚き続けるのか」


 殴る。

 使い捨て筋肉が全力を出したがゆえに、ぶちぶちと引き千切れる異音と共に拳骨を腹に叩き込んだ。

 顔は狙わないでやったが……横隔膜を強打してやった。ソコを殴られると横隔膜が異常を起こし……肺が収縮できなくなって、一時的に呼吸ができなくなる。鳩尾への打撃が地獄の苦しみであると言われる由縁だ。

 剣士……筋は悪くない。実際聖女の道行きでもそれなりに戦えていた。だが、格上との戦いをまるで経験した事がなかったのだろう。


「こっ、こっちに来へぶぅ……!」

 

 あとついでに、僧侶も殴っておいた。

 

「な……トガ、あ、あなた……!」


 自分も殴られると思ったのだろうか。ロザリンドお嬢様は怯えたような顔色で一歩二歩、後ずさる。

 一度は主人と心に決めた相手に……何より女性に暴力を振るうような男だと思われていたのか、僕は。かつての主の反応に傷つきながらも、襤褸切れのように無残な気持ちを表に出さないまま口を開いた。

 僕は、笑顔だろうか。鏡がないからわからない。


「それでは……旅の成功をお祈りしております」


 背を向ける。

 ああ、いけない。泣きそうだ。気を抜くと、目の奥の熱さが、涙の衝動が頬を伝ってあふれ出そうになる。



 これからやるべきことは決まっている。

 主であったロザリンド様の成したい事を万難を廃してお助けするのが万能執事。

 そうでなくなったのなら……僕は一族のおきてに従わねばならない。


 とにかく――ロザリンド様から遠く遠く離れた場所を目指そう。そう思って、脚を踏み出した。






「とまれー! そこの執事とまれー!」


 夕焼けの空の元、森へと続く道を歩いていると声が響いた。

 地を蹴る馬蹄の音が遠くから、こっちへと近づいてくる。

 視線を向ければ栗毛の駿馬とその上に乗る女騎士の姿があった。

 国王陛下が、ロザリンド様に護衛兼監視役として付けた、女騎士ノインは、愛馬の上から僕に声を駆けてくる。

 揺れる紫陽花色の髪を振り乱す凛々しい美貌と、その肢体を覆う甲冑の美しさは、まさに地上に顕現した戦乙女もかくやと思わせる。彼女は俺の前に寄ると、そのまま地面に降りた。


「ノイン様。何の御用でしょうか」

「話は全部聞いてきたッ! トガ殿……恥ずかしながら申し上げる、戻っては来てくれないか!?」

「……一度。正式に公爵令嬢が決めた事を取り消せる訳もない。それはお分かりでしょう」

「それではあいつら全員の面倒を私一人で見ねばならなくなる!」


 あああああああああああ。

 僕はノイン様への同情心で思わず『戻ろうか?』と本気で言い出しそうになった。

 確かに……あの脳みそお花畑の手綱を取り、混沌平定の旅を行う事を考えただけで眩暈がする。


「そ、それにトガ殿は、あのアーヴィング老人秘蔵の万能執事。貴殿の斥候(スカウト)の技量、あの摩訶不思議な糸を使った奇襲やトラップ、索敵が無ければ……ああ……聖女殿め。あのお人にしか混沌の平定が出来ぬとはいえ……なんたる事をしてくれたのだ……!」

「ご愁傷様です」


 コレばかりは本気で同情する。

 僕の感情の篭らない返事に、もうこれは帰ってくる芽がないと感じたのだろう――ノイン殿は大きなため息をつくと……寂しそうに笑った。


「旅路の中で、あなたの料理は数少ない喜びであった。

 今回の一件は貴殿に非がない事を手紙で国王陛下、公爵殿、貴方のお爺様にお伝えしておこう。

 こんな形で分かれるのは残念極まるが……貴殿のこれからに、幸多からん事を」

「ありがとうございます、ノイン様もお元気で。旅の成功を願っております」


 そう言い、背を向けて進もうとすれば……ぐい、と後ろから腕を感触。

 おや? と思って振り向けば……騎士ノインの愛馬が、服の袖を噛んで引き止めるかのように僕を見ていた。

 ノインはそんな愛馬のたてがみを撫でてやる。


「……はは。そういえば、旅の仲間の中で私以上にトガ殿が、この子の面倒を見ていたな。いつのまにやら懐いていたらしい」


 馬は賢い動物だ。きっとノイン殿の会話を聞いて……僕がどこか遠いところに行くと感じ取ったのだろう。あるいは野生の本能が、僕の背中にいる死神の影を嗅ぎ取ったのだろうか。

 ぶるるっと啼いて顔を擦りつけ甘えてくる馬の温かみに、胸を締め付けられる気持ちになる。


「ノイン様を、お嬢様を助けてやってくれ。僕はもう……あの方の傍に侍ることは許されないんだ」


 そう言って、背を向け旅立とうとするけど、また服の袖を噛んで。

 振り向けば、いやいや、と言うように見つめてくる。


「……聞き分けのない事を申すでない。お前の主である私も懸命に耐えているのだ。それでは、トガ殿。また」

「はい。ノイン様……また」


 だが、僕に『また』はない。


 愛馬の顔を抑え、邪魔したらめっ! と言わんばかりの主人に、『なんで?』と首を傾げる馬。

 名残は尽きないが――早くどこかに行きたい。

 後ろからノインさまの馬が、後ろ足で立ち上がり、ぶるるるっと声をあげている。不満げな、悲しげな嘶きの声が耳に響く。 

『なんで? なんで追いかけたらだめなの? 行っちゃうよ? 遠いところに行っちゃうよ? いいの? 止めなくでいいの?』と抗議しているかのようだ。


 すまない、すまない。でも行かせてくれ。


 一族の教えは厳守されねばならない。

 主人の意をかなえられず、職を解かれた僕は。



 自分自身の痕跡すべてを消し去った後で。



 自害せねばならないのだ。

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