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<終章> I'll be invisible (5 minutes before The World End). 03

 僕は腰を下ろした風呂場の小さな椅子を起点に180度回転して彼女の方へ向き直った。


「いつから気づいていた?」

「女の勘ってやつです」


 彼女は左側の後ろ髪を人差し指と中指で挟んだ。

 僕はそこにハサミを沿わせる。

 ひらひらと彼女の黒い髪がタイルに沈んだ。


「じゃあ、先輩はもう全部知っているんですね。例えば先輩の持つ特別な力、とか」

「あぁ、恐らくだけど。僕が持っているのは修正する力。物理的に、科学的に不可能とされているものを可能にする力だろう?」


 そしてまた、彼女の髪の毛にハサミを入れ、僕はそれを彼女に手渡す。


「うーん、修正っていうのは少し違うかな。正確には事実を無かったことにできる。人の死も、時間も、そして破壊も」


 彼女も僕の前髪を少し切る。

 それからハサミは再びこちらに返ってきた。


「だからこうして何度もあの時を彷徨っているんですよね? それで、元は何年後の未来から来たんですか?」

「2年後。君が死んで2年後の未来から」


 また彼女の髪の毛が舞う。

 すでに右側から半分は切り揃えられている。


 「そうですか……」と彼女はポツリと呟いた。

「僕も聞きたいことがある。君は、君の能力はどうして暴走するんだ?」

「それは……わかりません。けれど確かなのは私の精神とこの世界は繋がっていることです。私の能力がそうなるということは、それ相応の感情の爆発があったのだと思います。おそらく、それは根拠のない不安だったり、理由のない閉塞感だったり、10代特有の倦怠感だったり――はたまた、ただの生理痛だったり」


 そして僕の前髪がまた切られる。

 浴室のタイルには僕たち二人を中心に短長の髪の毛が放射状に散らばっていた。


「それは無意識ってこと?」

「おそらく。そういう運命なんだと思います」


 ――ジャキっ。


「もう一つ、君はどうしてこの世界に、君とそっくりの子を残すんだ?」

 僕が尋ねると、斎藤厘は「そんなことまで知っているんですね」と言い、乾いた笑い声を響かせた。

「だって、私はこの世界の神様ですから。私の代わりにこの世界を治めるものが必要でしょ? まぁ、神様の後継者と考えてください」

「…………」


 再び沈黙に包まれた。

 僕たちはお互いに何も発しない。

 シャワーの先に寄り集まった水滴が湯船を叩く。

 ハサミは彼女の手の中にあった。


「君は、それでいいのか? もうこの世界に未練はないのか?」


 顔を上げる。

 僕はいつもワンテンポ遅い。

 そうして「しまった」と思った時には、すでに取り返しがつかない方へ舵は切られている。

 斎藤厘の目もとには大粒の涙が今にもこぼれ出しそうだった。


「ありますよ! あるに決まっているじゃないですか! まだまだしたいこともたくさんありますよ。将来の夢だって、目標だってある。先輩とのことだって。いつか結婚して、子供が生まれて、先輩の頭がツルツルになるまで、私が髪を切りたい。そう……思っていたのに」


 鼻水を啜る音が響く。


「私が死んでから、先輩が他の誰かと一緒になるのが嫌です。そうして時間が経って、私のことを忘れてしまうのも耐えられない……。だから、先輩?」



「私と死んでくれませんか?」



 なにも返せなかった。

 何度目かの静寂は、しかし今までとは比べものにならないほどの静謐を伴って、僕たちの前に横たわる。


「……冗談ですよ」

 そう言って斎藤厘は鼻で笑う。

 「戯言です、気にしないでください」と。

「はい、できましたよ」


 手鏡を取り出し、僕の顔の前に掲げた。

 そこには情けなく、涙を流す姿が写されている。

 鏡を仕舞うと彼女はハサミを僕の手に握らせ、こう言った。


「最後に一つ、聞いてもいいですか?」

「なに?」

「あなたの居た世界の私は、先輩とセックスしましたか?」

「…………したよ。一度だけ」

「そうですか。きっとその世界の私は幸せものですね」


 彼女は右側に伸びた最後の後ろ髪を指で挟んだ。


「じゃあ、これで最後です」


 僕はその指に沿うように彼女の髪の毛にハサミを入れる。


 ――ジャキっ。


 髪の毛が裁断される音が響き、最後の一束がふわりと落下する。

 彼女の髪は肩より上のところで綺麗に切り揃えられた。


「さようなら、先輩」


 立ち上がり、斎藤厘は浴室から出て行く。しばらくして玄関の扉が閉まる音が聞こえた。

 僕はすぐにはその場から動けなかった。力なく俯く。

 僕の目の前にはちょうど一人分の真っ白なタイルが広がっていた。手を伸ばすとそこには温もりが残っている。

 けれどそれも一瞬。

 所在の無い温もりは徐々に僕の手のひらから消え、そうして初めて彼女が遠くに行ってしまったことを悟った。


 だって――彼女の後ろ髪は、もう無いのだから。




  ――厘――


 「さようなら」を口にした瞬間、私の世界は終わった。

 もはや痛みもなにも感じない。ただ私は目を閉じ、腕を伸ばして最後のものを作り上げる。

 目を開けるとそこには、私そっくりの女の子が立っていた。

 顔立ちも、目の色も確かに同じ。唯一違うのは、髪の毛の長さだけ。


「そっか……私、髪の毛切ったんだった」

 切り揃えたばかりの後ろ髪を軽く触る。

 まぁいい。

 別にそんなこと微々たることに過ぎない。

 「あとのことは任せたよ、何かあったら斎藤零と言う人物を頼りなさい、お姉ちゃんはきっとあなたの味方になってくれるわ」とだけ言い残して、私は彼女に背を向ける。

 そんな私の制服の袖を彼女は掴んで引き留めた。


「ママは、どこに行くの?」


 純粋な瞳で私を見上げる彼女。


「私は……大丈夫、すぐに帰ってくるから」


 そう言って、袖を掴んでいた彼女の手に手を重ね、解す。

 歩き出した私の背中越しから彼女の声が聞こえる。舌の回らないあどけなさで、私の名前を必死に叫んでいる。

 その度に涙がこぼれそうで、奥歯を噛み締めながら、私は最後の場所へ向かった。

 もう時間がない。それは何よりも私が一番わかっていた。

 だからこそ少しでも被害を少なくするために、私は海へと向かっていた。


 ――だめ、まだ泣いてはだめ。


 感情が溢れ出したら、この能力がどうなるかわからない……。

 涙がこぼれないように空を見上げる。

 そこには皮肉なほど、一面の青色が広がっていた。


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