<終章> I'll be invisible (5 minutes before The World End). 01
時間です。
真っ暗な部屋に僕はいる。上も下も、右も左もない。
「ここはどこだ?」
それに寒い。とてつもなく寒い。いや、寒いというよりも痛い。
体のあちこちが針に刺されたような感じがする。
『痛いだって? おいおい、勘弁してくれよ。見ているこっちが痛々しいよ』
聴き慣れた声が胸の奥から響く。
「零さん、ここはどこです?」
『さぁ、でも私とお前がこうして話しているんだから、差し詰めお前の心の中なんじゃないのか? それともあの本屋だったりして。まぁ別にそんなのどっちでもいい。上杉達也と上杉和也の違いくらいどっちでもいいことだよ』
「いえ、そこは結構重要ですよ。達也は天才肌ですけれど、和也は努力型ですから。だから達也と和也が同時に入部していたら、おそらく和也の芽はなかったと思いますよ。最も達也は優しいから練習をサボると思いますけど」
『……お前、何でそんなにあだち充作品に詳しいんだよ』
「好きなんですよ、野球。漫画のものはね。ちなみにあだち作品の中で最強投手は『H2』の国見比呂です」
『ハイハイ、私の例えが悪うございました。別にこんな話がしたくてお前の中に潜ったわけじゃないんだよ。……お前、自分が置かれている状況分かっているのか?』
彼女の言葉が、僕の心をぎゅっと鷲掴みする。
そうだ。僕はたしかあの時、厘に別れを告げて、それで……。
「殺されたのか」
痛みはなかった。それは彼女なりの唯一の慈悲だったのだろうか。
眠りにつくようにゆっくりとまぶたを下ろしていき、再び意識が覚醒した時僕はここにいた。
『お前、何であんなことしたんだ? 今あいつと別れたらどうなるのかくらい分かっていただろう』
分かっている、分かっていたさ。あいつの手を放してはいけないことくらい分かっていた。
結局、僕は何も変わっていないんだよな。どの世界に来ても結局我が身が一番可愛い。
自分に都合のいいものしか見ようとしない。臭いものには蓋をして、とことん見ないふりをしていた。
その根元には彼女に対する恐怖と、あいつの能力に敵いっこないという諦観があったのだろう。結局、あいつが世界を滅ぼすと決めたら僕たちは何もできない。
「あいつ、僕を殺した時にこう言ったんです。『先輩なんか作らなければ良かった』って」
『……それで?』
「この世界が本当にあいつの心一つで切ったり貼ったりできるなら、僕らができることなんて何もないんじゃないですか?」
『……それで?』
「それで? ……それで、それで……」
僕は、その先が答えられなかった。
『もし妹が本当にこの世界の創造主なら、いいよその仮定はいったん目を瞑ろう。じゃあ何で妹は、私やお前に人ならざる能力を与えたんだ? 何で死の直前に自分の魂を分霊してあの娘を作ったんだ?』
《深層潜水》、《二項対立》、斎藤霖というもう一人の『神様』、そしてもはや名前のない僕の能力。
僕たちの能力は使い方を間違えればそれだけで世界の秩序を乱しかねない。
現に霖を殺すときに零さんはこう言った。『世界の敵』と。
『まだ気がつかないのか、あいつは助けてって叫んでいるんだよ! あいつはお前には全て話しただろう。この世界の始まりのこと、あいつの能力のこと、何でそこまで聞いておきながら優しくなれないんだよ』
「僕は十分――」
零さんは僕に弁解の余地を与えぬまま責め立てる。
『だからそれが優しくないんだよ。あいつだって普通の生活がしたいんだよ。でもできない。あいつの一喜一憂にこの世界の全てがかかっているんだから。だからお前が選ばれた。絶対に自分を傷つけない人を。けれどどうだ? 優しさが時に氷のように冷たい刃になることだってあるんだよ』
「じゃあ、僕はどうすれば良かったんですか?」
『透明になるしかないな、透明に。お前ならそれができる。いや、お前しかそれはできない。いいか、おそらくこれが最後のチャンスだ。私はお前の心の中から健闘を祈っているよ』
それっきり、何度喋りかけても零さんは何も答えてはくれなかった。
いつものように彼女は分かったような、分からないようなアドバイスだけを残していく。
暗闇のはるか先に白い閃光が見えた。光源はだんだんと近づいていき、そしてその光の中に僕は包まれた――。
「先輩、おーい、先輩」
声が聞こえる。
「先輩、寝てるってことは何をしてもいいってことですよね? おーい……。本当に好きにしちゃいますからね?」
あれ、このセリフどこかで聞いたことが……。
左の頬に柔らかいものがあたる。
「3……2……1……」
「起きてるよ」
ギリギリのタイミングで目を覚ました。
目の前には今にも僕にスマッシュをお見舞いしようと腰を浮かせて振りかぶる斎藤厘の姿。
「ちぇ。あと少しだったのに」と唇を尖らせる彼女は、そのまま腰を下ろし、ストローの先を噛む。
「なあ、今日って何月何日でしたっけ?」
「6月3日!」
戻ったのか……。6月3日。
僕と零さんが初めて会うことになっている日であり、何より彼女が世界を滅ぼす二週間前。
どうやらここが僕の能力で遡行できる限界のようだ。
「先輩!」
「なに?」
「私は、怒っています!」
目を細めて僕を見てくる厘。
「どうして?」
「殴らせてくれなかったから」
当たり前だ。
「あーあ。これはもう、ダメです。何か別のことをさせてくれないと、この世界どうにかなっちゃいますよ」
いつものように駄々をこね始める斎藤厘。面倒臭い。
いつもこうやって自分の思う通りにいかないと……いや、違う。
これをうまく生かせないか……そうだ!
「……じゃあ、切る?」
「え?」
きょとんと僕を見る彼女。
「だから、僕の髪。切る?」