<第5章> Before Dawn. 02
零さんに連れられて入った本屋は小さな商店を改装したような造りでとても狭く、薄暗かった。
四方の壁に備え付けられた本棚には所狭しに本が詰まっている。
もちろん、ジャンル分けなどされていない。
小説、新書、学術書に写真集まで全て背表紙のタイトル順で並べられている。
レジ卓に腕を組んで微睡んでいる爺さんは、僕たちが来たことに全く気がついていない。
本当にこれで商売が成り立っているのか少々心配になる。
「さて、まずは何から話そうか」
制服のスカートが皺にならないよう丁寧に折りたたみながら零さんは、書架に備え付けられた踏み台に腰を下ろした。この人が制服を着ているという光景がどこか懐かしい。
「僕が知りたいのは、どうやったらあいつを救えるのかってことだけです」
「救う? 何から救うんだ?」
「彼女の死、からですよ。このままいけば2週間後に僕は彼女を殺すことになる」
手のひらにあの時の感触が蘇り、全身の毛を逆撫でした。
見たくも無い光景が否応なしに脳裏にフラッシュバックする。
僕はまぶたを強く閉じることで全てを遮断しようとした。
過去も、現在も。何も無い、真っ暗な無の世界だけが僕に安息をもたらしてくれる。
けれど――
「それは、無理だな」
彼女はそれを許さなかった。
「無理って……。だって、2年後のあなたは、僕に厘を託したじゃないか」
「《二項対立》は確かににすごい能力だ。自分の気持ち一つで世界を切ったり貼ったりできるんだから、文字通り神業だろう」
そうだ、だから彼女も自分のことを神様だって言ったんだ。
私は自分の感情を世界に表すことができると。
「あいつの心はこの世界と繋がっている。言うなればこの世界はあいつの作る箱庭のようなものだ。心赴くままレイアウトできる。そりゃあ、自分のことを神様だなんて思ってしまうよな」
「神様じゃないんですか?」
「だって、神様っていうのは世界の外側にいるもんだろ。だから私たちは見ることも、触ることもできないそれを崇め、奉り、そして祈る。そういう意味で言えば、あいつは死を以て初めて神様となるのかもしれないな」
「え?」
「ほら似ているだろ、墓前と神前でやるジェスチャーって。手を合わせて目をつぶり、そこにはない誰かに思いを馳せる」
零さんは実際に手を合わせて、目を瞑った。
「あいつは、神になりたいんですか」
「さぁ、それこそ神のみぞ知るところだな」
いや、違う。あいつはそんなことを望んでいない。
だって、
――私はこんな能力こそ持っていますけれど、平穏に生きていきたいんですから。
そう言っていたじゃないか。
でも、だったらどうして……。
「零さん」
「あ?」
「あいつは、どうしてこの世界を滅ぼそうと思ったんでしょう? あいつの心と、この世界が繋がっているなら、あいつの中で世界を滅ぼすほどの感情の起伏が起こっているってことですよね。それって一体……」
「それを究明することこそが、お前がこの時間に来た目的じゃないのか?」
なにか含みがあるような顔をする彼女。
「教えては、くれないんですね」
「私だって全てを知っているわけではない。せいぜい人の心を覗くことができるくらい」
「…………」
壁に掛かった時計がボーン、ボーンと7時を知らせる鐘を鳴らした。
零さんはそれを聞き届けると、立ち上がり――
「まぁ頑張れや、主人公。人に答えを教えてもらうほど面白くないことはないだろう」
――僕の肩をポンと叩いた。
そして、そのまま入り口の方へ歩いていく。
「なぁ、世界って知っているか?」
入り口前でピタッと止まった彼女は、背中をこちらに向けたまま喋りかけた。
「世界?」
「私はな、世界っていうのは人が人に影響を与えることができる範囲のことを言うんじゃないかって思っているんだよ。誰かを泣かせる、笑わせる、感動させる……。そういった心の一挙手一投足が、目の前の景色を彩っているんじゃないのかって」
「はぁ……」
「当然、自分も人の影響を受けていく。きっと厘が作るこの世界も、あいつ一人の産物じゃあないんだよ」
そうして零さんは店を出て行った。
店の中に取り残された僕は、ただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
彼女は答えを知っている。おそらくあの惨劇を避ける術も心得ているだろう。
能力さえ使えば簡単に僕の体を乗っ取ることだってできる。霖を殺した時みたいに、僕から体の所有権を奪って、自分の意思でどうにかすることも。
それなのに彼女は動かない。
僕がこの世界を変える保証なんてどこにもないのに、ただじっと奇跡が起こるのを待っている。
それにさっきの言葉。あれは、いったい何が言いたかったんだ……。
僕の中でわからないことだけが増えていく。
何が正しくて、何が間違っているのか。何が大切で何が大切ではないのか。
まるで天地がひっくり返ったみたいに自分の中の価値観がグラグラと揺らいでいく。
それでも、彼女を救いたいと言う思いだけは僕の心の真ん中に残っている。
あと2週間……。時間はそう残っていない。
やっぱり、本人からさりげなく聞き出すしかないのか……。




