<第3章> Confession. 07
そして日が傾きかけると、僕たちは祭りの会場に向かった。
数時間後にはホタルの光に包まれるであろう小川の沿道には、いくつもの屋台が立ち並んでいる。
「おにーちゃん、なんだかいい匂いがするね!」
僕の3歩先を跳ねるように進む霖は、左右に並ぶ屋台をキョロキョロと見渡しながら、時々こちらに振り返る。
まるで僕がちゃんとついて来ているのかを心配しているように……。
「何か食べたいものでもあるのかい?」
「ううん、まだお腹空いてない」
ほんの数時間前にうどんを食べたばっかりだし、元々霖は少食だ。
「でも――」
彼女はふいっと屋台の一つに近づくと、竹を編んで作られた棚に掛かるお面を一つ指差した。
「これは、欲しい」
やっぱりまだ好きなんじゃないか、魔法少女アニメ。
「いいよ。買ってあげる」
店番をしている坊主頭の少年に代金を渡して、お面を彼女の頭にかけてやる。
「ありがと……」
「どういたしまして」
本来は斜めにつけるのであろうお面を彼女は正面から被って、今度は僕と同じ歩調で歩く。
いや、僕が彼女のスピードに合わせているんだけど。
やはり河原の方は特等席なだけあって人が多く、僕たちは少し離れたところから見物することにした。
あんな人混みで霖と離れたら大変だし、何より僕にとって今はホタルよりも大切なものがあったのだ。
太陽が完全に沈み、ひんやりとした空気が山から降りて来た。
蝉の声が止み、あたりは静けさを増していく。
そうだ、僕はこうして彼女と二人きりになることを望んでいた。
あの家ではできない話をしたかったんだ……。
「なあ、霖――」
「なに?」
「ママのこと、知りたくないか?」
僕の言葉に、空気が変わった気がした。
小川の上流から風が吹き荒れてくる。
「どうして? ……どうして急に話そうと思ったの?」
霖が今どんな表情をしているのか、お面のせいで見られない。
いや、もはやそのお面のシルエットすら薄ぼんやりとしている。
だから、僕はこの場を選んだのだ。
「直接顔を見て話すことはできないから……」
「私とママが同じ顔だから?」
「ごめん……」
――風が吹く。
冷涼を運ぶそれは彼女の髪をふわりとなびかせた。
「それで? ママはどうして死んだの?」
いつもに増して妖艶な響きを含む霖の声に、僕は少しドキッとした。
あぁ、今から僕はこの子に嫌われるのか――。
そう思うと今まで見て見ぬ振りをしていた心の中の傷跡がじりじりと痛む。
それでも僕は彼女に伝えなくてはならない。
それが遺された者の務めだ。
「あいつを殺したのは――僕だ」
「え?」
彼女が漏らした声が闇夜のなかにこだまする。
僕は、汗で湿った自分の手を強く握りこむ。そうやって自分を鼓舞する。
ここからは自傷行為と同じだ。
自ら傷口を切開するのだから、少しでも気を抜けばみっともない姿を晒してしまいかねない。
そして僕はゆっくりと口を開く。
「2年前のあの日、あいつの能力が暴走した」
「能力?」
「《二項対立》、あいつは自分の能力をそう呼んでいた。要は意のままに創造と破壊を行えるらしい」
いやあいつ曰く、創造と破壊は誰でもできる。
自分はその力が現実に投影されやすいのだったか……。
「それで?」
霖のその声はその先を聞きたいという好奇心に満ちたものではなく、告解の続きを促す聖母のようなどこか暗い響きを含んでいた。
「ある日、ちょうど今みたいに市内が封鎖された。透明なお椀を逆さにかぶせたみたいにこの街を覆って、外との連絡が取れなくなったんだ」
お面を被った彼女の顔が、微動だにせずこちらをじっと見つめている。
僕は目をつぶり、自分に語りかけるようにあの日のことを彼女に語った。
彼女を中心に放射状に発生した衝撃波が全ての建物を一瞬で廃墟と化し、新緑の木々は皆なぎ倒された光景を。
瓦礫の下から伸びる無数の手。
あちらこちらで上がる火柱。
荒れ狂う灰色の海。
彩りを失った景色の中、憔悴しきった表情で立ち尽くす斎藤厘。
彼女自身も自分が何をしたのか、その理解に追いついていなかった。
あの衝撃波を僕がどうやって防いだのかは、よく分からない。
それでもあのドームの中にはもう、僕と彼女しか残されていなかった。
いや、もう一人。
斎藤零、人の深層意識に潜り込める能力《深層潜水》をもつ彼女だけは僕を通じてかろうじてこの世界に干渉できた。
だから声が聞こえたんだ。
『道は二つ――あいつを殺すか、この世界を殺すか』
彼女を殺してこの災厄を断つか、この世界を見殺しにして彼女と心中を選ぶか。
「だから、僕はあいつを殺すことを選んだんだ」
そこまで述べて、僕はその場に膝をついた。
そして、両腕を地面にそっと添えて首を垂らす。
「君のママを殺したのは……僕だ」
額がひんやりする。鼻の奥に土の匂いが迫る。
そして、背中に温もりを感じた……。
それが霖の体だったということを理解するのに数秒もかからなかった。
昨晩と同じ、少し熱を持つ彼女がうずくまる僕をそっと包み込んでいる。
「おにーちゃんが悪いんじゃない。おにーちゃんが悪いんじゃないんだよ?」
赤子に語りかけるように彼女はポツリポツリと語り始めた。
「霖にはわかるよ、同じだもん。ママと同じだから。なんでそうなったのか霖にはわかるよ。ママはそうするしかなかった、おにーちゃんもそうするしかなかった。だからもう抱え込まないで? おにーちゃんは何も悪くないよ」
そういって、僕の両肩をギュッと抱え込む霖。
彼女の温もりに心の奥でずっと凍っていたものが音を立て始めた気がする。
……るい。
……わるい。
……ちわるい。
……きもちわるい。
赦してほしいなんて思っていない。
僕は拒絶が欲しかった。
彼女に全てをさらけ出すことで、嫌われることで、一人になりたかったのにーー
「どうして。どうして、そうやって受け入れようとするんだよ。君を引き取ったのも、零さんから頼まれたからであって、僕にとってはただの贖罪でしかないのに。僕は君を君とは見ていない――君をあいつの生まれ変わりとしか見ていない。君自身への好意なんて僕の中に1ミリも存在していないのに、どうしてそんな僕に優しくするんだよ――お前、気持ち悪いよ」
最低だ。最低最悪の言葉を、僕は口にした。
左の頬に受けた衝撃に、なんの痛みも熱さも感じなかった。
ただ、スーッと消えた彼女の温もりに安堵して、暗闇の中で一人膝を抱えたのだった。




