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<第3章> Confession. 04

 変な夢を見ていた――。


 市内一面がドームのようなものにすっぽりと覆われていて、中の街並みはもはや原型をとどめていなかった。

 僕はその中心で誰かに話しかけている。

 白いワンピースから伸びる足が、覚束(おぼつか)なく彷徨う。

 僕は叫ぶ。文字通り必死に、「そっちに行ってはならない」と。

 彼女の名前を呼んで。


「りん!」


 その声に反応して彼女の足が止まった。そして声の鳴る方向に首が動く。

 乱れた髪の奥から覗く瞳には光が宿っていない。もはや、それは人とは呼べない得体だった。

 ――バケモノだ。


「どうして、どうしてこうなった……」


 生きている心地がしない。

 恐ろしさよりも、後悔が先に立つ。

 僕にはもう彼女を元に戻すことはできない。

 胸の奥から零さんが僕に語りかける。


『道は二つ――あいつを殺すか、この世界を殺すか』


 僕は虚空に向かって声を上げる。


「そんなこと、できるわけないだろう!」

『やるしかないんだよ! これはお前の物語なんだから、誰にも決められない』


 いつからポケットに入っていたのだろう――まぁ、夢だから。

 手を入れるとそこに感触を認めた。

 それを掴み、刃を覆っていたプラスチック状のカバーを取り外す。

 一度も血を吸っていない刃は、雲の切れ間から注がれる陽の光を受け、キラリと反射した。

 それで十分だった。彼女はその一瞬に全てを察した。

 僕は両手で柄を握る。腕が震えている。

 腰が引けて、風が吹けば倒れてしまいそうなほど、足には力が入らない。

 こちらに向かって彼女は走ってくる。近くたびに、彼女の表情はどんどん穏やかになっていく。

 昔の友を迎えれるような笑顔でーー彼女は死を受け入れた。


「ごめん……」

「セン、パイ……そこは……」


 僕の肩に顎を乗せた彼女は、そこで力尽きた。

 ゆっくりと膝をたたむようにその場に倒れこんだ。

 胸部を貫いたナイフのあたりから赤色が滲んでいく。

 水彩絵の具のような鮮やかな赤が、真っ白なキャンバスを染め上げてゆく。

 その虚ろ虚ろとした目が、僕を捉えると彼女は唇の端をにゅっと釣り上げた。

 膝をつき、彼女を抱きかかえる僕に腕を差し出した彼女。

 その指はいつもより暖かく、そして妙な湿り気を伴っていた。

 まるで泥を塗られているような(ぬめ)りがある。

 彼女の心臓はそれでも生きたいと必死で叫ぶように、鼓動している。

 刺さったナイフが隆起してそしてまた収縮する。だんだんと呼吸が乱れている。


「あのね、センパイ……」


 意識が飛びそうなほど痛いはずなのに、それなのに懸命に何かを訴えてくる彼女を僕は見るに耐えられなかった。


「もういい。もういいから! あとは――」


 その一言を聞いて穏やかに息を引き取った彼女の亡骸を、僕は強く、強く抱きかかえていた。

 雲が四散していく。太陽が顔をだして、全てが元どおりになっていく。

 荒れ果てた都市は再生し、この街を覆っていた謎の半球も姿を消した。

 まるで全てが作り話だったかのように、世界が修正されていく。

 けれど、両の腕を解いてみるとそこには何も残っていなかった。

 ナイフも、彼女も。全てが消えていた。

 僕は覚えている。

 僕だけは覚えている。

 この世界が消し去った彼女のことを、僕は覚えている。

 胸の奥が焼けるように熱い。


「ごめん……ごめん……ごめん……」


 僕の心は決壊したダムのように感情が勢いよく放出されていく。

 涙が出る。両頬に熱い川ができる。

 視界が、徐々に、霞んで……。




「……ん。……ちゃん! ……おにーちゃん! おにーちゃん!」


 目を開けると、僕の顔のすぐ目の前に霖の顔があった。


「おにーちゃん、大丈夫?」

「…………」

「おにーちゃん、寝ている時、泣いてたよ。どした? 怖い夢でも見た?」


 体を起こす。

 真っ暗になっているデスクトップのモニターが鏡面になり、僕の顔を写した。

 頰にはいくつもの筋が刻まれている。


「ねえ、おにーちゃん……ママのこと思い出すのやめない?」


 いつの間にかドアのそばまで移動していた彼女は僕に背を向け、後ろに回した手の指と指が、せわしなく組んず解れつを繰り返しているのが見える。


「え?」

「そんなに辛いならさ、無理して思い出そうとしないでいいんじゃない? それに……」

「それに?」

「ううん、なんでもない。じゃあ、私先に降りて洗濯物畳んでおくね」


 霖はそう言うと、逃げるように部屋を後にした。

 彼女は一体その後何を言おうとしたのだろうか……。

 そして僕も、あの夢の中で何を言おうとしたのだろう……。

 何か思い出さなくてはいけない大切なことを、僕は忘れている気がする。

 その時、ピロンとメールの着信が鳴った。

 キーボードを適当に叩いてみると、パソコンは反応してモニターが光を取り戻した。

 どうやらスリープモードだったみたいだ。

 件名をみる。

 ――もしも知らない人のものだったら開けるのはやめておこう。

 そこに書かれていた名前は――斎藤零。


「零さん?」


 タイトルがなかった。


『人が、救うことができるのは一人だけだ。お前は誰を救わないといけないのかよく考えろ』


 いつの間にまた潜っていたんだよ。


『追伸、もうすぐ帰る』


 それだけ。

 何も送り返す気にもなれず、僕はそっとパソコンを閉じた。


 ――雨はまだ降り続けている。


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