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エピソード0:Stray Cat

挿絵(By みてみん)


 それは、まだ……名波華が生きていて、名波蓮と同じ時を生きていた時のこと。

 小学生の頃の蓮は何故か(・・・)、猫に好かれたかと思ったら嫌われたり、極端な態度を取られることが多かった。

 猫といえば、気まぐれで警戒心が強い動物だ。飼い猫であっても飼い主以外には心を開かないことが多いし、野良猫ともなると、彼らから人間の方へ近づいてくることなどないと言っても過言ではないけれど……蓮の場合は、ある日突然、野良猫がすり寄ってくる。波はあるけれど、時には猫が数匹足元に絡みつき、歩くことが憚られることもあった。

 かと思えば、次に道で鉢合わせになった時には、敵愾心むき出しで彼を威嚇したり……と、気まぐれにしては極端すぎて、好かれているんだか嫌われているんだか判断出来ない出来事に多く遭遇していた。

 トータルで見ると、猫の気まぐれに振り回されているだけなのだが……自分の邪魔をする割に、ちっとも懐かない、可愛げがない。そんな存在を煩わしく思い、苦手意識が強くなったことも少なくはない。

 今になって思い返せば、自分の中にあるらしい『縁由(・・)』という素質が不安定だったのかもしれないと思えるけれど……当時、そんな考え方に到るはずもなく、蓮は気まぐれに付かず離れずを繰り返す猫を持て余すことも多かった。

 彼自身が野良猫に自分の姿を重ねることも多かったため、無碍に扱うことも出来ず……早足で歩いて家へ帰る日々。名波の敷地には猫が入ってこなかったため、華が住んでいた離れに近づくと、色々な意味で安心することが出来た。


 野良猫は、安心出来る居場所を求めているように見える。

 そう、まるで……過去の自分のようだ。


 誰かの顔色を伺って、受け入れてほしくて、でも、拒絶されて……そんな日々を繰り返してきたから。


 そして、今の自分は……やっと、居場所を手に入れた。

 笑っていられる場所、安心して過ごせる、自分だけの居場所を。

 だからこうして、すり寄ってくるのかもしれない。

 そう思っていた、ある日のこと。


「あら……? 蓮、今日はお友達を連れてきたのね」

「え……?」


 宿題をするため、華がいる離れを訪ねた時……出迎えてくれた華の視線が、蓮の後ろに向けられていることに気付いた。

 華の言葉の理由を確認するために、恐る恐る視線を後ろへ向けてみると……ランドセル越しの後方、少し離れたところで、猫が2人の方を見ていることに気がついた。

 薄い茶色の毛に、白と焦げ茶の毛が混じっている。生まれて数ヶ月といったところだろうか。首輪をつけていないので恐らく野良猫だろう。


挿絵(By みてみん)


「いつの間に……」

 これまで、名波の敷地内まで入ってきた猫はいなかった。振り向いた蓮が戸惑いながら立ち尽くしていると、靴を履いて外に出てきた華が、長い髪をなびかせながら蓮を追い越し、猫の方へと一歩踏み出す。

 そして、蓮の前でしゃがみ込むと、そっと手を出して優しく声をかけた。

「……おいで」

 華の声に導かれるように、子猫がゆっくり近づいてくる。そして、彼女の優しい指先にそっと顎を擦り寄せて、幸せそうに目を細めている。

 一瞬で猫を懐柔してしまった華を、蓮がオズオズと上から覗き込む。

「ね、姉さん……この猫、知ってるんですか?」

「いいえ、初めて会ったわよ」

 しれっとそう言いながら猫を撫でる華の背中が、蓮にはとても大きく見えた。

 自分は気まぐれに振り回されるのに、華は一瞬で猫の心を掴んでいる。

 こうなりたい……無意識のうちにそう思った蓮もまた、華の隣に腰を下ろすと、恐る恐る手を伸ばして、彼女と同じ、猫の顎の下に手を伸ばす。

 次の瞬間、猫がビクリと体を震わせて地面を蹴った。そして、あっという間に2人と距離をとる。

「あ……」

 明確な拒絶は、何度経験しても心がキュッと締め付けられる。ましてや、華はOKで自分はダメという事実を突きつけられると……余計に。

 手を伸ばしたまま落胆する蓮の肩に、華がそっと手を添えた。そして、落ち込んだ表情で自分を見つめる彼に優しく語りかける。

「蓮の指が、猫のヒゲにあたっちゃったみたいね。横からいきなりに感じて、びっくりしちゃっただけよ」

「……そうだったんですか……」

 華の言葉を聞いても、そこまで見ていなかった自分の視野の狭さを指摘されているように感じてしまい、蓮の表情から色が消えた。

 華はそんな彼の手を握り、一緒にそっと立ち上がる。そして、自分を見上げる彼を笑顔で見下ろした。

「ほら、宿題するんでしょう? 中に入りましょう。あの猫とはきっとまた会えるわよ」

「はい……」

 これ以上ココに留まっても、あの猫はもう近づいてこない。

 蓮は華に連れられて歩きながら……一度、後ろを振り返る。

 植え込みの近くからコチラを見ている子猫と目があったけれど、特に近づいてくる気配はなかった。


 その後、同じ茶色い子猫を周囲で見かけることが多くなった。

 他の猫は名波の敷地にまで入ってこなかったけれど、あの1匹だけはそんなこともお構いなし、マイペースに闊歩している。

 華が時折、手にのせたニボシを与えたり、猫じゃらしで遊んでいる姿を目にすることがあった。しかし、そこに蓮が加わろうとすると、猫はそっと逃げてしまう。一度離れてしまうと、どれだけ華が呼びかけても戻ってこなかった。


 あの猫は間違いなく、自分()についてきているのに。

 どうして……手を伸ばしても、受け入れてくれないのだろう。


 そんな日々が続いていたある日……また、離れの入り口付近で例の子猫を見かけた蓮は、華より先に近づいてみることにした。

 しかし……今日も相変わらず、猫は蓮と一定の距離を保ったまま、近づいてこようとはしない。

「僕はどうせ、誰からも好かれないんだ……」

 思わず口をついて出た言葉に、思わず失笑してしまった。


 分かっていたことじゃないか。

 そんなこと、自分が誰よりも。

 自分を生んだはずの母親からも、血を分けた父親からも、身内である名波家の人間からも……誰も、好かれていない。そんなこと、侮蔑の視線に晒され続けた自分が一番理解している。

 視線の先で微かに震えながらコチラを伺っている猫が、在りし日の自分と重なって見えた。


「れーんっ、そんな言い方したって駄目だよ」

「わっ!!」

 次の瞬間、華が真後ろから蓮の両肩を軽く叩いた。驚いた彼が目を見開いて斜め上を見上げると……そこにいた華は蓮を見下ろして、太陽を背にして言葉を続ける。

「ほら、蓮も今びっくりしたでしょう? 蓮は自分のタイミングでしか、猫に近づいていないように見えるの。私の横から、とか、そういうことも多いかな。見えないところから声をかけられると驚いちゃうし、猫には猫のタイミングがあるから、まずはそれを知って、ちゃんと合わせてあげないと」

「そんなこと言われても……僕、どうすれば……」

 華の言葉に、蓮は萎縮して俯いた。

 学校の友人とは当たり障りなく付き合っているけれど、それは互いに、言語で意思疎通が出来るから。また、向こうからもほとんど干渉してこないため、最低限度の付き合いで何の問題もない。

 しかし、今、目の前にいる相手は猫。言葉は通じないし、何を考えているかなんて分からない。

 そんな彼を見下ろした華は、腰に手をあてて溜息をつくと……視線を合わせるためにしゃがみこんで、優しく、こんなアドバイスを送る。

「猫と目線をあわせて、シンプルに手を出して、優しく『おいで』って言えば、それで十分なんだから」

「……本当に?」

「私が蓮に嘘をついたこと、ないでしょ?」

 そう言っていたずらっぽく笑う華は、蓮もしゃがむように促してから……彼の手を取って、茂みで警戒している猫に向けて、一緒に手を伸ばした。

 2人の動きに、猫がピクリと反応するが……特に近づいてくる気配はない。蓮が「やっぱり」と思って手をおろそうとしたが、華の手がそれを許さなかった。

「こういう時は、待っててあげるのよ。猫が怖くなくなるまでね」

「は、はい……」

「ほら、蓮、言ってごらん。怖くないよ、おいで、って」

「っ……!!」


 来てくれるだろうか。

 受け入れてくれるだろうか。

 とても不安で、怖いけれど……でも、華が隣にいてくれれば、自分を受け入れてくれた人が一緒にいてくれれば大丈夫、そんな気がする。

 蓮は一度呼吸を調えると……猫を真っ直ぐに見据えて、声を出した。


「……おいで」

 

 彼の声が届いたのか、猫の耳がピクリと動く。そして、10秒ほど蓮の方をじぃっと見つめた後……トコトコと地面を軽やかに蹴って、彼の方へ近づいてきたのだ。

 そしてそのままコテンと転がり、「撫でたければどうぞ」と言わんばかりに目を閉じる。

 初めての成功体験に、眼鏡の奥の瞳がキラキラと輝いた。

「本当だ……!!」

「良かったね、蓮」

「うん……うん!! ありがとう、姉さん!!」

 自分にも出来た。華がいてくれたから……ちゃんと、出来た。

 手を伸ばしても拒絶されない。相手はきっと、気を許してくれている。

 指先に感じる柔らかな猫の毛が、今の彼には何よりの報酬だった。

「……ねぇ、蓮」

 すると、猫の頭を嬉しそうに撫でている蓮へ向けて……華が目を細めて、こんなことを呟いた。

「大切な言葉はあまり飾らずに、勇気を出して、はっきり言ったほうがいいよ。間違って伝わると……お互い、悲しくなっちゃうからね」

「え……?」

 華の言葉の意味が分からず、蓮が猫を撫でる手をとめて首を傾げると……華はそんな彼に「要するに、はっきり言ったほうがいいってこと」と、苦笑いで補足する。

「蓮はもともと口数が少ないし、色々我慢しちゃうから……言いたいことが言えなくなる前に、はっきり言えるようになれるといいわね」

「う、うん……でも、姉さんみたいにはなれないよ」

 物事をはっきり言える人間、蓮にとってそれは、憧れている華そのものだった。

 世の大人が綺麗事を並べ立てたり、都合が悪くなると口を閉ざす中で……華だけは言葉を飾らず、はっきり伝えてくれる。その言葉がプレッシャーになることもなく、心の中にスッと染み込んでくるのは……彼女だからこそ為せる技だと、蓮は改めて感じていた。


 だから、華のような人間になりたいと思う。

 でも、同時に……自分は無理だと、諦めてしまう。


 どこか自嘲気味に呟いた蓮へ、華は「そんなことない」と首を横にふった。そして――

「なりたい自分になれるわよ。だって、蓮は……私の弟なんだから」


 その言葉がとても嬉しかったことを、強く、強く覚えている。


 その後、猫は蓮にも慣れたようで、自分から近づいてくることもあった。

「姉さん……この猫に名前はつけないの?」

 一緒に猫を撫でながら蓮が尋ねると、華はゆっくりと首を横に振る。

「名前をあげるってことは、ここに住んでいいよって言っていることだと思うの。残念だけど……ここでは飼えないでしょう? だから……私がこの子の名前をつける権利なんてないわ」

「……そうだね」

 華の言葉に頷いた蓮は、胸の中に浮かんだ名前にそっとフタをして……喉を鳴らす猫を撫でていた。


 そして……いつの頃からか、猫はぱったりと姿を見せなくなり。

 華と2人で「飼い主が見つかったのかもね」なんて話をして、どこかで幸せに暮らしているであろう子猫のことを思う……そんな時間を過ごしていた。


 あの日――あの災害に遭遇するまでは。

 このエピソードの一部は、『17周年記念・蓮と心愛の小話/我らダウニー捜索隊!!(https://ncode.syosetu.com/n9925dq/28/)』で書いておりました。

 有り難いことにボイスドラマにもしてもらった、猫にまつわるエピソードです。(https://mqube.net/play/20180130928358)


 蓮の中の人の影響もあって、名波君といえば猫、という刷り込みが強くなっている今日このごろ。やっと本編でもそれなりに猫を絡めた物語に出来そうです。元々6幕の仮タイトルは『名波蓮と2匹の猫』だったのですが、色々あって今の形に落ち着きました。

 猫たちが本編に、蓮にどう絡んでくるのか、のんびり見守ってやってくださいませ。


 そして、作中でイラストを2枚、使わせてもらっています。

 冒頭の蓮は、おがちゃぴんさん。タイトルが入っているイラストはとてもとても使いやすいので、今回は、蓮の物語が始まるこのエピソードで使わせていただきました。横顔に感じる憂いが最強です……!!


 からの、作中の蓮と子猫with華姉さんは、狛原ひのさんが描いてくださったものです。

 蓮と絶妙な距離感の猫が、蓮の表情とも相まってとてもいい味を出しています。加えて華の顔が見えないことに若干の哀愁すら感じる霧原の妄想力は元気です。イラストありがとうございます!!

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