クロードとエミリア 4
目蓋に届くは朝の日差しと、柔らかな感触。
その優しい刺激は、熟睡した身体に目覚めには届かない。
次第に強くなっていく感触は、やがて引っ叩くような痛みになっていた。
「にいやんにいやーん!起きるにゃー!!もう朝なのにゃー!!」
「・・・起きる」
「キュー、キュー!!」
覚醒を始めた意識は耳元で騒ぐ声も聞き取りだした、それは左右や正面から響き、この身体を揺らす感触と同じに目蓋を震わせている。
「二人とも駄目だよ、そんなことしちゃ!キュイもほら、こっちおいで」
「いいのよ、二人とも。さっさとその寝ぼすけを起こしちゃいなさい」
「エミリア・・・」
「私は早く帰って身体を洗いたいの。そいつを置いてく訳にもいかないでしょ?」
聞き覚えのある声同士が、言い争うような様子が聞こえる。
彼女達の指示に戸惑うように、彼の周りで騒いでいた声はその鳴りを潜めていた。
「にゃー・・・どうすればいいのにゃ?」
「・・・起きる」
戸惑うような声を上げた方はその感触から手を離し、静かに同じ言葉を続けた方はペシペシと軽い刺激を届けている。
胸の上に載っていた冷たく軽い感触は、先ほど掛かった声にこの身体の上からはいなくなっていた。
「二人とも、そこをどいてくれる?濡れちゃうから」
「にゃにゃ!?」
「・・・分かった」
遠くから聞こえ近づいてくる声に、傍にいた体温が遠のいて寒さに震える。
慌てるような気配にどこか危険な予感が漂っていたが、眠りにまどろむこの目蓋はまだ重く、開こうとはしなかった。
「クロード様、起きてくださいますか?このままでは皆が帰れません。今すぐに起きてくださいませんと、私としてもあらゆる手段を取らざるを得ません」
その声は優しく丁寧なものであったが、どこか冷たい響きを含んでいた。
先ほどから何か嫌な予感を感じ取っている意識は、慌てて覚醒を始めるが、疲れていた身体は中々言う事を聞いてくれない。
「まだ、お目覚めになられませんか?では、仕方がありませんね」
「ま、待って、ひぃぃぃぃぁぁぁぁ!!?」
冷たい声に、冷たい滴りが追従する。
ギリギリで目覚めて制止の声を上げようとしたクロードも、汲んできたばかりの冷たい水に混乱の方が先に立つ。
大き目の水筒から容赦なく降り注ぐ水は、彼の顔を捉えて離さない、気管に入り込んだそれにクロードは咳き込み始めていた。
「あら、お目覚めになられましたかクロード様?」
「げほっ、えほっ!?ちょ、なにすんだよクラ・・・?あの、もしかして怒ってます?クラリッサさん?」
悲鳴を上げたクロードにもクラリッサは、水筒の水が切れるまでそれを動かす事をしなかった。
彼女の振る舞いに対して抗議しようとした彼は、その顔に張り付いた笑顔の冷たさに言葉を飲み込むと、窺うようにそっと質問を投げかける。
「いえ、まさかそのような事など決して。ただ、エミリアを発見したならばそれを周りに伝える事を優先していただければと、思った次第です。二重遭難の危険があるからと・・・そういえば、そう厳命したのはクロード様でしたね。これは失礼致しました」
クラリッサは笑顔のままに、昨日の彼の振る舞いを責め立てる。
それは口調の丁寧さを相まって彼女の怒りを如実に伝えてきており、先ほどまで近くにいたティオフィラとイダが慌てて遠くへと逃げ出していた。
「う、その・・・誠に申し訳ないです、もう二度としないと誓います」
最後に頭を下げたクラリッサの、見えない表情が余計に怖い。
恐怖に言葉を詰まらせたクロードは、素直に謝罪と反省を口にすることしか出来なかった。
「そう仰ってくださると、助かります。クロード様、どうか御身をもっと大切にしてください。あなたがいなければ、私達は・・・」
「はい、反省してます」
続く説教に、いつしかクロードは正座をして頭を下げていた。
死ぬ事はそうそうない彼の能力にも、一度逸れてしまえば合流できるだけの土地勘もない。
彼の存在が命綱であり、希望そのものでもある彼女らにとって、それを失った一夜どれほど心細かっただろうか。
それを思えばクラリッサの怒りも理解でき、クロードはただ反省の弁を述べるだけだった。
「もうその辺でいいでしょ、クラリッサ」
「エミリア、でも・・・そうですね。クロード様も反省していられますし、早く帰って朝御飯にしましょうか」
懇々と続く説教にクロードは抗う術がない、それを制止したのは意外な人物だった。
クロードの前に仁王立ちになって、説教を続けていたクラリッサの肩に後ろから手を掛けたエミリアは、その終わりを促している。
彼女の言葉に抗おうとしたクラリッサも、頭を垂れているクロードと心配そうに見守る少女達の姿に、諦めの息を吐くと洞窟の外へと歩き出していた。
「にゃー!やっと朝ご飯にゃー!!お腹ペコペコにゃー!」
「・・・ペコペコ」
「ふふっ、楽しみにしててね二人とも。クロード様、クラリッサ、私は先に帰って朝食の準備をしておきますね!」
クラリッサの言葉に歓声を上げたティオフィラとイダは、お腹を押さえるとそこからキューキューと鳴き声を上げている。
そんな二人の様子に笑みを漏らしたアンナは、クロード達に声を掛けると先に拠点へと戻っていく。
彼女らの様子にご飯の予感を感じ取ったのか、アンナの胸元のキュイが嬉しそうな声を上げていた。
「ほら、あんたも早く!置いていくわよ」
「あぁ、悪い」
動き出した状況にいつまでも正座を続けていたクロードは、エミリアによって助け起こされる。
痺れた足にうまく立ち上がれない彼は、彼女の腕に掴まってなんとか起き上がっていた。
「まったく・・・ほら、これ!」
「・・・なんだ?これ、お前の弓か?」
立ち上がってもまだふらふらと彷徨うクロードの姿に、呆れた声を漏らしたエミリアは彼に何かを押し付けてくる。
受け取ったそれに疑問の声を上げたクロードは、指に触れる感触に彼女の壊れた弓だと気がつくと、さらに首を捻った。
「直してくれるんでしょ?任せるから」
「お、おう!任せとけ!」
首を捻るクロードの肩を叩いたエミリアは、今まで見たことないほど眩しい笑顔を彼に見せる。
その美しさに呑まれていたクロードは一瞬言葉に詰まってしまうが、どうにか力強く了承を返していた。
「それ、直ったらあんたに預けるから。使えるよう練習しとくよーに」
「え!?な、なんでだよ!?」
クロードに預けた弓を指差したエミリアは、その手を彼へと向けると命令するように言葉を投げかける。
彼女の振る舞いにクロードは当然抗議の声を上げるが、その楽しそうな表情に何故か強くは出られなかった。
「あんたも少しは戦えるようにならないとね!ふふっ、心配しなくても私が教えてあげるから!」
後ろ手に組んだ腕で身体を傾けて、下から覗くようにクロードを見詰めていたエミリアは、最後に彼の耳元へと唇を近づけた。
必要な事を言い終えた彼女は、若干頬を紅潮させるとそのまま駆け出していく。
エミリアは二人の様子を見守っていたクラリッサの背中を押すと、そのまま洞窟の外へと走っていった。
その後姿を見送るクロードは、呆気に取られたような呆けた表情のまま、しばらく立ち尽くしていた。