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エミリアとティオフィラ 二人の戦い

 背中を預けた木肌の冷たい感触にも、上がった息は整う事はない。

 地面に近づけた鼻を鳴らしている大柄な猪が、こちらの姿を見つけるのは時間の問題だろう。

 その猪に突き立った矢の数は幾つも、しかし大して血の滲んでいない毛皮に、深手を負わせたとはいえない。


「はぁ、はぁ、はぁ・・・そこっ!!」


 隠れた木の後ろから一気に反転して、猪の前へと躍り出たエミリアは、素早く弓を引き絞った。

 猪の硬い頭蓋骨よりも、柔らかい横腹を狙って放たれた矢は、彼女の存在に気がついて向き直った猪に眉間へと命中する。


「ティオ!!」


 猪の頭蓋を貫く事は出来なかった矢は、地面へと弾かれて落ちる。

 しかしその衝撃は猪の脳にダメージを与え、一時的に行動不能にする事には成功した。

 一瞬だけ意識を失い覚束ない足取りでどうにか地面を立っている猪に、エミリアはティオフィラの名を叫ぶ。


「任せるにゃー!!」 


 了解の声を叫びながら木の上から飛び降りてきたティオフィラは、ふらつく猪の頭に向かって落下の勢いを乗せた蹴りを放つ。

 その衝撃に猪はついに地面へと膝をつく、ティオフィラはそのまま猪の背中へと取り付くと、腕を巻きつけて猪の首を締め付けた。


「ティオ!避けなさい!!」

「にゃ!?分かった、にゃぁ!!?」


 ティオフィラが猪を締め付けている間に、その横合いへと回ったエミリアは、彼の横腹を狙って弓を構える。

 猪の背中へと張り付いていた彼女は、その声に顔を上げると慌てて反対側へと身体を動かした。

 ティオフィラが反対側へと移動するために掛かった時間は短い、しかしその僅かな時間が致命的なものとなってしまっていた。


「ティオ!?このっ!!」


 意識を取り戻した猪は、真っ先に背中に張り付いた異物を振り払おうと身体を暴れさせる。

 その力に振り落とされたティオフィラは、悲鳴を上げると近くの木へとその身体を叩きつけられてしまう。

 躊躇った一瞬が最悪の結果へと繋がった、怒りに震えるエミリアは暴れる猪の腹へと向かって矢を放った。


「ぐもぉぉ!!?」

「よしっ!」


 柔らかい腹へと至近距離から放たれた矢は、見事にその毛皮を貫いて肉へと突き刺さる。

 苦痛の叫び声を上げてのたうつ猪に、エミリアは素早く距離を取っては喜びに拳を握った。

 突き刺さった矢から伝った血液が地面へと垂れる、毛皮も汚しだした出血にもその猪ははっきりとした戦意を滲ませて、エミリアを睨み付ける。


「ぐ、ぐがぁぁぁ!!」

「まだ、動くというなら!!」


 苦しみを鳴き声と呼吸に滲ませながらも、今までと変わらぬ迫力で猪は突進してくる。

 その口から飛び出た鋭い牙は、彼女の命を奪うには十分な鋭さを誇っている、エミリアは素早く弓を構えるとそれに矢を番えた。

 正面から突撃してくる猪に硬い頭蓋は狙えない、彼女は猪の目に狙いを定める。


「くっ、一度外れたぐらいで!!」


 猪の目へと向かったように見えた矢の軌跡は、途中に上下へと揺れる牙に弾かれる。

 惜しい軌跡に悔しさを呑み込んだエミリアは、再び矢を番えると僅かに立ち位置を動かして矢を放った。


「ぐもぉぉぉっ!!?」

「よしっ!もう一つ・・・もうないの!?クロード、矢を頂戴!!」


 射抜かれた片目に、猪は断末魔めいた絶叫を上げる。

 突然半分になった視界に平衡感覚を失った猪は、バランスを崩して地面へと倒れこんだ。

 成功した試みに短く喜びの声を上げたエミリアは、もう片方の目も狙って矢を番えようとする。

 空振りした手に矢がもうない事に気がついた彼女は、虚空に手の差し伸べては追加の矢を要求した。


「あぁ・・・そうか。いないんだったな、あいつ」


 この場にいない者の名を呼んだ彼女は、自嘲気味に笑うと差し出した手を下ろす。

 体勢を立て直した猪は、怒りをその吐息に滲ませていた。


「ぐががぁぁぁぁっ!!!」


 怒りに満ちた叫び声を上げた猪は、全力でエミリアへと突進する。

 武器を失った彼女は、為す術なくそれに吹っ飛ばされてしまった。


「ぐっ・・・ぁぁ・・・」


 足りない助走の距離は突進の威力を減じさせる、地面へと叩きつけられたエミリアは、まだ辛うじて意識を保っていた。

 しかし衝撃に痺れるその身体には、ゆっくりと近寄ってくる猪から逃げる力など残されていなかった。


「・・・甘く、見るな!」


 地面に横たわるエミリアに馬乗りになった猪は、その顔に口を近づけてくる。

 その瞬間に彼女は素早く抜き放ったナイフを、猪の顔へと突き立てた。


「・・・ははっ、なんて硬さなのよ、ほんと」


 軽い音を立てて半ばから折れたナイフの刃に、エミリアは思わず笑みを零してしまう。

 生臭い吐息が顔に掛かり、猪が大きく口を開く。

 その乱杭に生える歯は、立派な牙でなくとも彼女の肉を食い千切るには十分そうだ。


「ティオ・・・巻き込んで、ごめんね。どうか、あなただけでも・・・」


 静かに目を閉じたエミリアは、気を失っているであろうティオフィラの無事を祈る。

 猪に馬乗りになられた彼女からは見えていなかったが、地面へと蹲っていたティオフィラは、ようやくその目を覚まそうとしていた。


「・・・エミリア?嫌、嫌にゃ!?エミリアァァァァ!!!」


 目を覚ましたティオフィラが目撃したのは、猪に馬乗りになられたエミリアと、開いた大口を今まさに閉じようとしている猪だ。

 叩きつけられた衝撃からようやく目覚めた身体は、まだうまく動きようもない。

 叫び声を上げて駆けつけようとした彼女の身体は、滑った足に再び地面へと叩きつけられていた。


 肉を、切り裂く音が響く。


 悲劇を目にする勇気のなさに顔を背けたティオフィラは、どこか疑問を感じて恐る恐るそちらへと顔を向ける。

 即死はするとは思えない状況に、エミリアの悲鳴が聞こえないのは何故か。


「おいおい、せっかく逃げ延びたってのに・・・こんなところで死に掛けてんじゃねぇよ、お前ら」


 そこには、赤毛の少年が立っていた。

 失った左手を粗末な布で無理やり縛った少年は、そこに立っていた。

 頭を切り飛ばされた、猪の死体の目の前で。


「お前ら・・・他の奴らはどうしたんだ?まさか、二人だけって、こと、は・・・」


 あまりの恐怖のためか意識を失って反応を示さないエミリアの代わりに、振り返りティオフィラへと尋ねる少年は、そのまま崩れ落ちるように倒れていってしまう。


「レオにぃ!?レオにぃってば!!エミリア、エミリア起きて!!レオにぃが、レオにぃがぁ!!」


 倒れた少年に、駆け寄ったティオフィラの悲痛な声が響く。

 彼女が幾らその身体を揺すろうとも、少年の意識が戻る気配はない。

 明らかに命の危険が迫っているその姿に、ティオフィラはエミリアへと助けを求めるが、彼女もすぐには目を覚ましそうになかった。

 静かな森にティオフィラの悲痛な泣き声だけが響く。それが収まるまで、まだしばらくの時間が必要だった。

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