逃亡の果てに
「クラリッサ!もうすぐなんだよな!?」
クラリッサの後ろから声を掛けたクロードは、アンナ達に支えられて回復したのか一人で走っている。
彼の横には心配そうにアンナが併走していたが、エミリアは彼を気にする事なく弓を片手に辺りを警戒していた。
「えぇ、もう近くまで来てます!!」
クロードの声に振り返ったクラリッサは、前方を指差すと明るい声を上げる。
その声の調子に本当に目的地が近い事は窺えた、その事実に一行の足取りは軽くなり走る速度を上げていく。
振り返ったクラリッサの目にも、追ってくる魔物姿は見えなかった。
彼らの足音と息遣いしか聞こえない森に、もう振り切ったといってもいいのかもしれない。
「ただ、この先は坂になっているので注意してくださいっ!」
「クラリッサ、前!!」
一人、目的地までの地形を知っているクラリッサは、振り返ったままで皆へと注意を告げる。
その彼女の声は、別の危険を告げたエミリアの声によってかき消された。
「えっ!きゃぁ!!?」
後方へと注意を向けていたクラリッサは、突如前方から飛び出てきたハーピーに気がつかない。
彼女自らが口にしていた通り坂になっていた前方に、ハーピーとぶつかったクラリッサは中空へと身体を投げ出してしまう。
「クラリッサ、掴まれ!!」
「このっ、クラリッサを離せ!!」
クロードがクラリッサに手を差し伸べたのと、エミリアがハーピーを狙って弓を構えたのは同時だった。
二人の間にいたクラリッサに、お互いの腕はクロスするように伸びる。
彼らの身体は当然のようにぶつかってしまう、木々に覆われた視界には見えていなかったが、坂は彼らのちょうど目の前から始まっていた。
「ちょっと、あんた!?」
「悪いっ!えっ、うわぁ!!?」
ぶつかった腕に身体を絡ませた二人は、急に角度を変えた地面に足を空転させる。
お互い前のめりの姿勢になっていた二人は、支えのなくなった体勢にそのまま転がり落ちていく。
「クロード様!!きゃっ!?」
「なんにゃ?なにがあった、にゃっ!?」
クロードのすぐ隣にいたアンナも咄嗟に彼へと手を伸ばして、坂への対処を怠ってしまう。
次々に上がった悲鳴に、イダの手を引いていた事で僅かに遅れていたティオフィラが疑問の声を上げる。
彼女は遅れがちなイダへと注意を割いており、悲鳴に前方へと顔を向けた時にはすでに手遅れとなっていた。
「にゃ~、イダ助けてにゃぁ!」
坂へと滑り落ちたティオフィラは、繋いだ手を離してはいない。
イダは必死に、彼女の身体を支えようと地面へと力を込めて踏ん張っている。
上がっていた筈の呼吸は力んだ身体に、無呼吸のパワーを必要としていた。
「・・・もう無理」
「にゃー!?もっと粘って欲しかったにゃぁぁぁぁ!!!」
酸素を求めて高鳴る心臓に、イダは早々に限界を向かえて力を抜いた。
大きく口を開けて取り入れた空気はおいしい、落下の浮遊感も伴えばなおさら。
イダの支えを失ったティオフィラは、僅かに粘った抵抗にもあえなく坂を滑り落ちていく。
それは無抵抗に滑っていくイダの存在と無関係ではなかっただろう、繋いだ手は今だ二人の間を狭めている。
「クラリッサ、そいつを早く!!」
「分かってる!!」
ハーピーと絡まりあいながら転がり落ちているクラリッサに、エミリアの指示が飛ぶ。
彼女の自身、言われるまでもなくそれを狙っていたのか、転がりながらもナイフを手に取っていた。
「ギイィィ!!?」
「しまった!?エミリア、お願い!!」
「任せて!!」
坂を転がり落ちながらも器用にハーピーの身体へとナイフを突き刺したクラリッサは、しかしハーピーを空中へと逃がしてしまう。
刺さったナイフは致命傷かもしれないが、まだ息があるハーピーに仲間を呼ばれてしまえば意味がない。
クラリッサはエミリアへと止めを願う、彼女はすでに弓を構えていた。
「おいおいおい、やばいやばいって、うわっ!?」
「っ!?ちょっと!!?」
急激な速度で坂を滑り落ちているクロードは、その速度に対応しきれずに木に身体をぶつけてしまう。
ほとんど身体を密着させながら滑り落ちていたエミリアとクロードに、彼女にもその衝撃は伝わって、上ずった狙いに放った矢はハーピーの羽を掠めるだけで終わっていた。
「矢がもうないっ!クロード!!」
「矢尻代わりの石はあるが、ええいっ!!」
手をやった矢筒に手ごたえが見つけられず、エミリアはクロードに矢の作成を要求する。
使っていなかった矢尻代わりの石の感触を腰の袋から感じたクロードは、矢の柄となる枝を探す。
周りを見回してみてもすぐには見つからないそれに、彼は覚悟を決めて坂の下へと身を投げ出した。
「ぐぅっ!・・・これを、よし!出来たぞ、そらっ!!」
木へとぶつかったクロードは、その木の枝をもぎ取ると素早く矢を製作する。
出来上がったそれをエミリアへと投げた彼は、力尽きるように木から転がり落ちていた。
「ちゃんと、投げなさいよ、ね!!」
クロードが投げた矢は、そのコントロールか衝撃に混濁した意識のためか、僅かに狙いが逸れていた。
それを受け取るために精一杯身体を伸ばしたエミリアは、掴んだ矢に身体を回転させると、上空へと飛び上がろうとしていたハーピーに狙いをつける。
「キィィ、ギィッ!?」
背中を反らして鳴き声を上げようとしていたハーピーの喉を、エミリアが放った矢が貫いていた。
短い悲鳴を上げて落ちてきたその身体を、クラリッサが転がって躱す。
ハーピーはその先に生えていた木の根元に引っかかると、もはや動く気配も見せなかった。
「よしっ!次は、もういない!?」
「・・・もう大丈夫、ありがとうエミリア」
仕留めたハーピーに軽く拳を握ったエミリアは、次の獲物へと鋭く視線を巡らせる。
彼女と同じように辺りを窺っていたクラリッサは、十分な警戒に納得いったように息を吐いた。
彼女は上を見上げると、自らをフォローしてくれたエミリアへと礼を言う、エミリアはそれに照れくさそうに頬を掻いていた。
「っ!皆、近くの木に掴まって、早く!!」
穏やかな空気が流れつつあった空間に、クラリッサの緊迫した声が響く。
彼女はそれを叫ぶと共に、転がるようにして近くの木へと掴まっていた。
「クラリッサ、どういう事!?」
「この先に崖があるの!!流れの速い川もっ!!」
「くっ!それを先に言って!!」
クラリッサの言葉を聞き返すエミリアの視線は、下から平行へと上がり、今や見上げている。
彼女はこの先の危険を口早に告げる、その内容にエミリアも慌てて近くの木へと掴まっていた。
「クロード様、手をっ!!」
抱きつくようにして木に掴まっているアンナは、近くを滑り落ちているクロードへと手を伸ばす。
矢を作るために登った木から落ちた衝撃のせいか、今だ意識をぼんやりとさせているクロードにはそれに反応できない。
アンナが精一杯伸ばした手は、彼の傷んだ服の一部を千切っただけで終わってしまった。