その赤い実は死の匂いを真似る
「遅かったんじゃないの~?」
「あんたの足を考えてハンデをやったのさ、ネストレ」
木々の間を疾走する人影に、木々を伝っていた人影が合流する。
四人で通れるほどの広さがない空間に、彼らは瞬間に分かれては合流を繰り返している。
「えぇ~?ばれてたの?うまく隠してたと思ったのになぁ・・・」
「なんだい?本当に怪我してたのかい、あんた?クロード様に治してもらえば・・・うわっ、なにこの匂い?ミレッラ?」
アダの指摘に足元の裾を捲って見せたネストレは、そこに痛々しい傷跡を隠していた。
彼の顔色をよく見れば、痛みを堪えて走っているためか冷や汗が滲み顔色も悪い、アダは来た道を振り返るが、クロードの姿をそこに見つける事など出来る筈がなかった。
彼の傷の具合を確認しようと、そこに顔を寄せたアダは強烈な異臭に鼻を曲げる、彼女はネストレの隣を走っていたミレッラへと顔を向けた。
「やっぱり匂っちゃう?潰さないように気をつけてたんだけどなぁ・・・」
「何かが腐ったような匂い・・・ミレッラ、何なのそれ?」
「イドニの実だ」
アダの指摘に腰に括り付けていた袋を撫でたミレッラは、残念そうな呟きを漏らす。
匂いを探って鼻を鳴らしたアダは、その正体を突き止められずに首を捻らせていた。
彼女の疑問に答えたのは、すぐ傍を走っていたヒルだった。
「イドニの実?それってなんだっけ、聞いた事はあるんだけど・・・」
「ミレッタ!一掴み貰えるかい?」
「・・・うん」
ヒルから聞いた名前にも心当たりが出てこないアダは、さらに頭を悩ませる。
彼女の横でネストレがミレッラから一掴みほど、その赤い実を受け取っていた。
「これをこう・・・潰すと、ほら!すごいだろ?」
「っ!?えほっ、けほっ・・・ちょっと!いきなり止めてよ!・・・すごい匂いだけど、これに何の意味が?」
合わせた両手を動かして実をすり潰したネストレは、そのねっとりとした果汁が付いた手の平をアダへと向ける。
突然鼻先へと突きつけられた強烈な異臭に、アダは咳き込んで涙を漏らした。
彼女は鼻を摘みながら、出来るだけその匂いの発生源から顔を遠ざけようと背中を反らせると、ヒルへと説明を求める。
「・・・この匂いに魔物が集まってくる。ゴブリンや、肉食の魔物がな」
ヒルの顰めた眉は、何も鼻を突くこの匂いを嫌ったからではない。
彼は静かに、ネストレの意図を語っていた。
アダもすぐにその意味を理解する、ミレッラはネストレへと実を渡した時から押し黙り、沈痛な表情で俯いていた。
「そういう事。怪我してるといいよね、こういう時に揉めなくて。おいら、そういうの苦手だからさぁ」
「・・・ネストレ」
暗くなった雰囲気に、ネストレの軽い口調だけが響く。
彼は自らの怪我をした足を撫でると、それを治さなかった訳を明かした。
気軽な笑顔を浮かべる彼に、アダは躊躇うように指を伸ばしていた。
「・・・そういうのいいから。じゃ、行ってくるね」
それを躱すように一歩後ろに飛びのいた彼は、立ち止まると軽く腕を上げて別れを告げた。
両手にべったりと付いた真っ赤な果汁を顔に塗りたくった彼は、そのままアダ達とは別方向に駆けていく。
「待って、ネス・・・っ!!?」
「止めろ、アダ。奴の・・・覚悟を無駄にする気か」
届かなかった指を握って、ネストレを引き止める言葉を叫ぼうとしたアダの口は、ヒルによって塞がれる。
取り押さえられた彼女は最初こそ暴れていたが、ヒルの言葉に次第に大人しくなっていった。
「・・・覚悟か。あんたには一番似合わない言葉なのにね・・・」
ミレッラがそっと呟いた言葉に、沈黙が辺りを包む。
大人しくなったアダにヒルが拘束を解くと、彼女は無言でミレッラを抱きしめていた。
くぐもった嗚咽が響く時間は短い、獣の雄叫びが森の中に轟いていた。
「・・・急ぐぞ」
ヒルの言葉に、二人は無言で頷いて駆け出し始める。
彼が差し出した手に、ミレッタは真っ赤な実を一掴み手渡していた。