死後の世界で
どこまでも落下していく感覚は、いつしか水の中を漂うような浮遊感に変わる。
本能が息苦しさを感じ、酸素を欲しがって口を動かすが、うまく動かせている気がしない。
窒息の恐怖は、ちっとも苦しくならない喉に安堵へと変わる、どうやら呼吸は問題ないらしい。
そうと分かれば、ここは居心地の良い場所だった。
このふよふよと漂っている感覚も心地よく、元々閉じていた目蓋を緩めて眠りへと入っていく。
なんだかこの身体は、とても疲れ果てていた。
「もしもーし・・・あれ、おかしいな?聞こえてないのかな、もしもーし!」
どこかから声が聞こえてくる。
それは暖かく、この疲れた身体を癒してくれるような、優しい声だった。
目覚めよと呼ぶ声は、それでも眠りを望むこの身体を揺らさない。
「えぇー、なんでかなぁ・・・?えーっと・・・なんて読むのかな?ク、クロ、クロ、クロード、シ、シ、シラクさん?起きてくださーい、朝ですよー!!」
優しくこの身体を揺すっていた声は、いつか耳元でキンキンと響く喚き声となっていた。
その聞き慣れない響きは、確か自分の名前だろう。
音だけ聞いてみれば、なるほどそう読めなくもない。
「・・・んぅ・・・んだよ・・・あ、と・・・五分・・・」
「あっ!反応した!ちょっとー、寝惚けてないで起きてくださいよー!ねぇねぇ、ねぇってばー!」
あまりにうるさいそのボリュームにうっかり返事を返してしまうと、耳元で喚いていただけの声はついに直接この身体を揺すりだしていた。
「うっるせいなぁ!!寝かせてくれよ、たくっ・・・」
「あー!やっと起きてくれたぁ。むぅ・・・せっかく健康な若者の魂を見つけたから飛びついたのに・・・これだから、近頃の若者は!・・・ぶつぶつぶつ」
うるさい声だけなら無視もできるが、直接身体を揺らす感覚を放っておくのは難しい。
重たい目蓋をようやく開いた蔵人の目に飛び込んできたのは、全身から光を放つ少女の姿だった。
眩しい光でよくは見えないが絶世の美少女に思える彼女は、蔵人の目覚めに嬉しそうに声を上げると、今度は腕を組んではぶつぶつと文句を漏らし始めていた。
「あぁ?なんだよ・・・うわっ、なんだこれ!?どうなってんだ!?」
どこか怨嗟の篭った呟きを漏らし始めた少女に、蔵人の注意は周辺へと向かう。
そこは真っ暗な世界だった。
その中心に存在する少女が放つ光が照らしている範囲だけが、どうにか色を保っているちっぽけな空間に、彼らは漂っていた。
「ふっふ~ん、そこから分からない感じですかぁ?いきなりここに連れてこられてさぞや不安でしょう、これは説明が必要ですねぇ・・・でもなー、どうしよっかなー?ショック受けちゃう人もいるからなー?チラッ、チラッ」
蔵人の動揺を目にした少女は、意地悪そうに目を伏せると、急にもったいぶった口調に変わる。
彼女は顔を背けると、こちらへとチラチラと視線を向けては誘いを掛けてくる、その唇はニヤニヤと楽しげに吊り上っていた。
「いいからさっさと話せ、よ!この、この!」
「あぁ~!!やめてやめて!混ざっちゃう、混ざっちゃうから!!話す、話しますから、やめてー!!」
「・・・最初から、そう言えっての」
少女が視線を逸らしている隙に近づいた蔵人は、その頭を掴んでは振り回す。
彼女は悲鳴を上げると、すぐに止めてくれるように懇願を始めていた。
たいして強くもない加減に、早すぎる降参は疑問にも感じる、それはこの指先に触れた暖かい感触に消えてしまった。
離した両手に、涙目でこちらを見つめてくる少女にばつの悪さを感じる、今度は蔵人がそっぽを向く番だった。
「うぅ・・・乱暴だよぉ、この人。別の人にしちゃおうかな・・・」
「あぁ?なんだって?」
「コ、コホン!えぇ~、そのぉ・・・クロード・シラクさんは、残念ながらお亡くなりになりました」
掴まれた頭を抑えては蹲る少女は、蔵人の方を見ては何事かを呟いた。
さっさとこの状況を説明して貰いたい蔵人は、その声に疑問の声を上げるが、内容の方を咎められたと感じた少女は、誤魔化すように背筋を伸ばして咳払いをする。
それでも言い辛そうに言葉を濁した少女は、衝撃的な事実を告げる。
「俺が、死んだだって・・・?まさかな、嘘だろ・・・おいっ!嘘だといってくれよ、頼む!頼むからぁぁぁぁあぁぁ!!」
残酷な現実を受け入れられない、蔵人の悲痛な絶叫が虚しく響く。
少女は混乱する彼の姿に悲しそうに目を伏せると、鳴り止まない悲鳴にそっと耳を塞いだ。