分の悪い戦い 2
「誰か、誰かエミリアを!!クラリッサ、イダ、お願い誰か!!エミリアが死んじゃう!!!」
無理な体勢で起き上がろうとしたためか、顔から床に落ちてしまったアンナは、その衝撃でさらに平衡感覚をおかしくしてしまう。
うまく立ち上がれそうもない彼女は周りに救援を求めるが、敵に囲まれているクラリッサとイダにそんな余裕はなく、ティオフィラとクロードにはその声が届いてもいないだろう。
その間にもエミリアの身体は締め付けられていき、彼女の悲鳴は悲痛なものへと変わっていく。
『あ~ぁ、勿体ねぇなぁ・・・まぁ、美人な女をこうして惨めに殺す瞬間ってのも、悪くはねぇな!がっはっはっは!!!』
「ぁぁぁ、ぁあぁぁぁああああっ!!!」
どこかエミリアの殺すのを勿体無く思い、躊躇っていたオーデンも、それに別の楽しみを見出すと俄然乗り気になっていく。
やる気になった彼の力は強く、これまでの比ではない痛みに、エミリアが上げる叫び声も高くなっていた。
やがてそれは彼女の骨が軋む音も混じり始め、肉が潰れる鈍い音も響いてくる。
「エミリア!?誰か、誰か助けて!!エミリアが、エミリアァァァ!!!」
エミリアの悲痛な叫びに、アンナの助けを求める声が重なる。
彼女は再び立ち上がろうともがいていたが、それは肩で床を擦るだけで終わってしまう。
助けを求める声は虚しく響いて消える、少なくともこの部屋に彼女の願いに答える存在はいないようだった。
「・・・任せろ、俺があいつを助けてやる」
崩れた床から飛び出した人影は、床でもがいているアンナの横を通り過ぎる一瞬に、そんな呟きを残していた。
その小柄な人影は、床に這うような低い姿勢でオーデンへと近づいていく。
オーデンの巨体ではその存在に気づくのが遅れるのも無理はない、脅威となる存在がいないことで彼は油断してもいた。
その人影はすでにオーデンの傍にまで迫り、床に火花を奔らせた剣先を振り上げていた。
『なんだ、なにか・・・?ぐぅ!!?』
懐にまで入られてやっと、その人影の存在に気づいたオーデンは、何とか腕を引こうとするがそれは彼の傷を浅くするだけ。
切り裂かれた痛みの反射で、エミリアを握りつぶしてしまう事を嫌った彼は、結果的に彼女を手放す手助けをしてしまう。
痛みは筋肉を縮ませて、跳ね上がった腕は結構な高さとなっている、そこから放り出されたエミリアは締め付けられる圧力に気を失ってしまっていた。
「エミリア!!」
跳ね上がった高さは、重さに従って頭が下に向くには十分な距離だった。
頭から床へと落下していくエミリアは無防備だ、意識のない彼女は何の防備を張れる訳もなく、その衝撃は致命に届いてしまうかもしれない。
オーデンを切りつけた人影は慌てて彼女の下へと駆け込む、ギリギリのタイミングに彼は身を翻し滑り込んでいた。
「あっぶねぇ・・・大丈夫か、エミリア?って、意識がないのか」
どうにかエミリアを受け止める事に成功した人影は、その乱れた髪を整えてやりながら彼女へと呼びかける。
しかし意識を失った彼女から反応が変えることはない、彼はその痛々しい姿を目にして悲しげに目を伏せていた。
「・・・レオン?レオンなの!?どうしてここに!!?」
もたつく足をようやく整えて立ち上がっていたアンナは、エミリアを助けた人影、レオンの登場に驚き戸惑っていた。
イダやクロードからこの城にいることは聞いていても、いきなり床の下から現れるとは考えられない。
まだどこか足元が覚束ないアンナは、ふらふらと彼へと近づいていっていた。
「俺からすれば、お前がここにいることの方が不思議だがな。そんな事より、シラクはいないのか?エミリアの状態が酷い、早く治してやらないと・・・」
レオンがここにいることが不思議だと驚いた表情を見せるアンナに、彼は寧ろこっちの方がそうだと表情を歪めていた。
彼は元々彼女を助けるためにこの城に忍び込んでいたのだ、その目的の相手とこんな形で再会するとは思ってもいなかっただろう。
レオンは皮肉げな表情を一瞬で翳らせると、エミリアを見詰めて心配そうな声を漏らす。
彼はそれを癒せる唯一の人物を探して、周りを見回していた。
「そうだ、エミリア!!酷い・・・クロード様!クロード様!!エミリアが!!!」
彼の言葉にエミリアの惨状を思い出したアンナは慌てて駆け寄り、その姿を目にすると口元を押さえて青ざめていた。
アンナはエミリアの状態に一刻も早い治療が必要だと判断すると、大声でクロードへと助けを求める。
しかし彼がいる筈の場所と、アンナ達がいる場所の間には魔物達がはびこっており、その声が届いたかどうか分かりようもなかった。
「シラクもここに?危ないっ!!?」
「きゃぁ!!?」
アンナの態度からクロードもここにいる事を知ったレオンは、驚きに声を漏らしている。
しかし何かに気がついた彼は、エミリアごとアンナを突き飛ばすと、自らは彼女を抱えるために放った剣を手に取っていた。
「おぉぉぉらぁぁぁ!!!」
火花散らす床に浅く抉った跡が残る、気合の声を吐きながら手にした剣を振り上げたレオンは、彼方より飛来した槍を弾き飛ばす。
その槍は人が扱うには長く太すぎて、そうでありながら尋常ではないスピードで投げつけられていた。
その軌道は、気づかずにいればレオンとアンナをそのまま貫いていただろう、弾かれ宙に舞った槍が床に深く突き刺さると、天井に向かって真っ直ぐに伸びていた。
『おいおい、俺の女まで殺しちまう所だっただろうが!!?それぐらい簡単に避けてみせろや!!』
自分で投げつけておきながら、避ける事が遅くなったレオンに不満を叫ぶオーデンは、いつの間にか玉座の傍にまで退避していた。
彼は天井から垂れ下がった飾りの布を引きちぎると、レオンに切りつけられた傷口を縛り付ける。
そうすると彼は玉座の後ろに下がり、なにやらごそごそと探り出していた。
『あ~ぁ、嫌だ嫌だ。こんないかにもな武器なんて使いたくねぇのになぁ・・・どうしてくれるんだよ、あぁ!!!』
エミリアを掴むために手放した大剣はそのまま床に放ったままで、残った槍は先ほど投げつけてしまった。
流石に無限には存在しない玉座の裏の武器に、彼は嫌々といった具合でその獲物を取り出していた。
それは余りに強大な斧だ、彼が今まで使っていた大剣や槍も大きかったが、それに比べればまだ常識的な大きさに思える。
流石の彼もそれを片手で扱うのは難しいのか、両手でしっかりと構えてのしのしと歩いてくる。
その顔には不満が表れていたが、その身に纏う迫力は今までのそれと比ではなかった。
「アンナ、エミリアを頼む・・・あいつは俺が」
「わ、分かった!!」
今までとは違うオーデンの迫力に、アンナは呑まれ息を詰まらせていた。
レオンはそんな彼女を守るように前へと進み出ていた、その小さな背丈ではオーデンの視線から彼女を守り切れはしないだろう。
しかしその姿は、彼女の心を確実に軽くしていた。
レオンにエミリアを託されたアンナは、自らの武器を拾うと彼女を抱えて後ろへと下がっていく。
『なんだぁ?今度はガキが相手かぁ?綺麗な顔してるが・・・お前男だろぉ?とっとと女出しやがれやぁ!!!』
アンナとエミリアを下がらせ、一人自らに立ち向かうレオンの姿に、オーデンは不満の表情を作りながら彼をまじまじと観察する。
レオンは美少年であり、その背丈も小さく身体つきもまだ細かった。
そのため一瞬、女かと期待したオーデンもよくよく観察すれば男だと気づき、怒りの声を上げる。
異種族の人間の女に欲情できる彼にとって見れば、少年と少女を見分けるぐらい容易だろう。
倒したとしてもその後のお楽しみのない相手に、オーデンは怒鳴り声を上げながら駆け出していた。
その振りかぶる大振りは、一撃で勝負を決めてしまおうという意図が見て取れた。
「分が悪いな・・・だが、ここでこいつを仕留められれば!」
こちらへと向かってくるオーデンの迫力と圧力に、彼我の実力差を思い知るレオンは、冷や汗で背中を濡らしていた。
しかし、と彼は考える。
玉座の裏に武器を隠していたことや、その実力を考えれば目の前の存在こそがこの城のボスだろう。
それを仕留める事が出来れば、この絶望的な状況を切り抜けられるのではないか、彼はそこに希望を見出していた。
周りを見れば、広い部屋に魔物の姿が溢れている。
クラリッサやイダが頑張っているようだが、それもいつまで持つか分からない、彼は自らの手で皆を救って見せると、悲壮な覚悟を抱いていた。
圧倒的な実力差に、勝ち目が薄い事は彼が一番分かっている。
それでもと彼は駆け出していた、それだけ唯一の生き残る道だと信じて。