エイルアン城
その古びた城の謁見の間には、独特の威厳があった。
いや、かつてはあったという方が正しいだろう。
古びてみすぼらしく感じる装飾や建物も、歴史を重ねたと思えば重厚な雰囲気を醸し出す。
何より長年に渡って加えられた人の手が、積み重ねてきた埃を別のものにも変えていた。
しかしそれも奪われ、破壊されれば廃墟と同じだろう。
魔物に占拠されてから長い時間を経てしまったこのエイルアン城は、かつてあったその威厳を失ってしまっていた。
『なにぃ・・・?人間共の隠れ家を見つけただとぉ?』
『はい、確かでありますです!』
そのでっぷりとした贅肉を深々と玉座に預けた魔物、緑の肌を持つトロールは、表情を歪めると眼前に跪いているゴブリンに聞き返す。
彼とゴブリンの間には十分過ぎるほどに距離があった、それはこの場におけるゴブリンの地位を如実に表現していた。
遠い距離に声を張り上げているゴブリンの口調が若干たどたどしいのは、何も緊張の所為ではないだろう。
彼は本来の自分達の言葉ではなく、目の前の存在に通じる言葉を喋っている。
慣れないその言葉は、彼の語尾をおかしくしていた。
『ふぅむ・・・そんな話もあったな。どれくらい前の事だ?』
『半年ほど前かと、オーデン様。人間共がヴィラク村と呼んでいた場所の戦いの時です』
たっぷりと余った顔の皮膚を伸ばしながら記憶を探っているトロール、オーデンは不確かな記憶に傍らに控えるリザードマンへと尋ねる。
彼に尋ねられたリザードマンは一歩踏み出すと、半年前にあった戦いについて説明する。
その話題が出ると、跪いたままのゴブリンの背中がビクンと跳ねていた。
彼らにとってその戦いは、ホルガーという種族の旗手を失い、今の立場へと甘んじる切っ掛けとなったものだ。
その痛みは、半年経ったとしても容易に癒えるものではなかった。
『そうか、あの戦いか!ふんっ!ホルガーめ、つまらん戦いで命を落としおってからに。ましてやあの方がご観覧の折に逃亡を許すなど、言語道断である!!」
『『そうだ、そうだ!!』』
『『無能なゴブリンめ!!』』
言葉の最後に玉座の肘掛に拳を打ちつけたオーデンの一喝に、周囲から次々に賛同の声が上がる。
彼の周りにいる魔物達は様々な種族がおり、そこに彼の種族であるトロールの姿はなかった。
本来権力を握った魔物は、その周囲を同族で固めるのが常であったが、彼の種族はあまり頭が良くなく、そういった仕事には向かないためこのような状況になっていた。
そのため権力を強く掌握するためには、人身掌握の手管が必要となる。
そういった手段において、下の存在を作るというのは有用な方法であった。
『・・・ふふふ、よく吠えてくれるわ。ホルガーも良き時に死んでくれたものだな』
周りの者達の反応にほくそ笑むオーデンは、自らの狙いがうまくいっている事を確信する。
彼からすればホルガーは優秀な手駒であったが、固執するほどではなかった。
ましてや彼を失ったゴブリンなどに何の魅力も感じておらず、優遇する理由もない。
『そういえば、少し前にお前達がヒューマンの捕虜を連れてきていたな。あれもそれの一味か?』
『はっ!確実ではありませんが、おそらくそうかと思いますです!』
周りの者達の嘲笑から身体を奮わせるだけで耐えていたゴブリンは、オーデンから掛けられた声に慌てて顔を上げる。
その目に涙が浮かんでいなかったのは、彼の強靭な精神ゆえか、それとももはや慣れてしまったからか。
オーデンは少し前に運ばれてきたヒューマンの少女、アンナの事を気にしていた。
『そうか、では尋問しなければならんな・・・ぅひひ』
『・・・?』
オーデンの問い掛けに、ゴブリンは推測含みの答えを返していた。
それはゴブリンの願望も混じったものであったが、オーデンの望みにも適ったものであった。
含み笑いを漏らす彼に、ゴブリンは不思議そうに首を傾げる。
『よい、大儀であった。追って褒美は出そう、もう下がっていいぞ』
『ははっ!!』
何故かすこぶる上機嫌となったオーデンは、跪いたままのゴブリンに寛大な処置を下すと、恩賞を約束して下がらせる。
魔物の考え方であれば、敵の発見と殲滅は同義だ。
先行して報告に走った彼は、当然後に続く殲滅の報告を待っていたが、それはいつまで待っても届く事なく、彼はこうして苦渋の報告を上げざるを得なくなっていた。
そう思えば、オーデンの処置はとても寛大であり、彼は感謝の声を高くして頭を下げていた。
『他に報告はないな?ないよな?では解散だ!皆、大儀であった!』
定例の報告会は、幹部間に情報を共有されるために開かれる。
しかし強権を握っているオーデンにとって、それは周りを尊重しているという体面の為でしかなかった。
その彼がもう報告はないかと聞けば、後に控えていた者達も慌ててその場から立ち去っていくしかない。
報告会の終了を宣言したオーデンは、そのまま玉座を立ち上がると、真っ先に退場していってしまう。
『またか・・・オーデン様の趣味にも困ったものだな』
『趣味?何の事だ?』
先ほどオーデンにヴィラク村の戦いの事を話したリザードマンは、去っていく彼の後姿を眺めると、深々と溜息を吐いていた。
彼の後方に控えていた彼よりも幾分か若く見えるリザードマンは、その言葉に疑問を感じ聞き返す。
『お前は知らなかったか、しかしな・・・まぁ隠しても、いずれはばれるだろうからな・・・オーデン様は人間の女に興奮する性質なのだ』
『人間の!?彼はトロールだろう!?あんな生っ白くて、気持ち悪い生き物に興奮なんて・・・彼は変態なのか?』
経験を積ませるためだろうか、連れてきていた若者の教育に悪いかもしれないと口を噤んだリザードマンは、目の前の若者の好奇心溢れる瞳に根負けして、そっと話し始める。
その内容にリザードマンの若者は目を見開くと大声を上げる、彼はその長い舌を伸ばすと気持ち悪さをアピールしていた。
『待て!滅多な事を言うな!?』
『何故だ?事実だろう?』
『たとえ事実でもだ、ここではそれが命取りになる・・・いいか、それは決して口にするな。分かったな!』
素朴な疑問をそのまま口にしたリザードマンの若者に対して、年嵩のリザードマンは慌ててその口を押さえ、周りを頻りに窺い始める。
その動きに流石に声を潜める気になったリザードマンの若者は、それでも不思議そうに首を捻る。
その仕草に顔を顰めた年嵩のリザードマンは、彼に決してそれを口にするなと言い聞かせると、足早にその場を立ち去っていった。
『ぐひひ・・・聞けば、まだ年若い少女だとか。楽しみだのう』
玉座の間から退場していくオーデンは、そのだらしなく開いた口元から涎すら垂らして、この後の行為に期待を漏らしている。
彼のその姿を見ないようにするためなのか、気づけばその場には若いリザードマン以外の姿はなくなっていた。
『・・・あんな奴が、我らの主なのか?』
オーデンの後姿を見詰めるリザードマンの若者が、その姿に思わず疑問を投げかける。
幸運な事に、この場にはそれを聞く者も、咎める者もいなかった。