序章
志楽蔵人は退屈していた。
いや、実際には鬱屈していたのかもしれない。
高校も三年になり、受験を控える時期にストレスは溜まる一方だ。
別に勉強が出来ないわけでもなく、高望みしなければ大学にも問題なく入れるだろう。
しかしそんな日常に、蔵人はどうしようもなく退屈してしまっていた。
「なんか、面白いことでもおきねぇかな・・・」
独り言に吐いた溜め息も、白く掠れて消えていく。
受験も本格化する季節に寒さが肩を震わせる、蔵人は襟元を閉めなおして体温が漏れないように気をつける。
ポケットにしまった携帯が、小さな音を立ててメッセージの着信を伝えた。
「う~ん・・・そんな気分じゃないなぁ。パス、パスっと・・・」
取り出した携帯に、画面を見つめる時間は長くはない。
凍える指先が返信を遅くしても、誘われた遊びを断る文言は短かった。
二文字か三文字か、おまけがある程度の言葉を撫でる指先に、それに集中している時間僅かなもの、それでも不注意な歩き方は前方から歩いてきていた人影に気付けない。
ドンッと、ぶつかった衝撃は軽く、蔵人は落としそうになった携帯を慌てて捕まえた。
「っとと、すみません!・・・ん?ちょっと、落としましたよ!」
一瞬、宙に舞った携帯を捕まえて安堵した蔵人は、すぐにぶつかった人影へと謝罪の言葉を掛ける。
彼は特に反応を示さなかったが、蔵人も特に気にすることなく歩き始めようとした。
しかし蔵人の前方には、明らかに彼が落としたと思われる鞄が転がっていた。
蔵人は妙に重たいそれを拾い上げると、去っていこうとしていた男へと声を掛ける。
謝罪の言葉にも反応を示さなかった男は、その声に立ち止まると、こちらに向かってつかつかと歩み寄ってきていた。
「あぁ、良かった・・・これなに入ってるんですか?なんか、妙に重た、く、て・・・?」
早足に近寄ってきた男は、そのまま蔵人へとぶつかってくる。
身体に伝わってきた衝撃は先ほどよりもずっと軽い、それでもなぜかとても熱く、冷たい。
「・・・好奇心を覚えなければ・・・いや、関係ないか」
「な・・・に?な・・・んだ、これ・・・?」
男が囁いた言葉は、もはや蔵人の耳には届かない。
急激に失われている体温と力に、彼は崩れ落ちるように地面へと横たわっていた。
男は蔵人の持っていた荷物だけを受け止めると、それを彼の耳元へとそっと置いた。
倒れ付す蔵人の姿に周りの群集は彼に注目して動きを止める、男はその間を縫って立ち去っていった。
「え・・・あれマジ?なんか、人が刺されてんだけど?」
「あぁ?なに言ってんのお前・・・おいおいおい、あれやばいって!?」
「ちょっと!動かさないでよ、動画とってんだから!」
「馬鹿!んな場合じゃないっての!!」
人通りの多い交差点に、倒れた蔵人の情報は一気に広がっていった。
レンガ状のタイルで舗装された街路に、流れ出る血が溝を伝っていく。
その非現実的な光景に中々悲鳴は上がらない、蔵人の周りには彼の死に様を写真や動画に収めようとする人々が群がっていた。
意識が急激に薄れていっている彼の耳には、それらの声はノイズの様にしか聞こえない。
唯一つ、時を刻むようにチッチッと鳴り続ける、機械音以外は。
「やばくね?警察か救急車呼んだ方がよくね?」
「どうせ誰が呼んでっしょ?それよりやべー。俺、人が殺される所とか初めて見たわ」
「マジで?俺は前に―――」
機械音が止まり、辺りが閃光に包まれる。
それはもはや、蔵人には関係がなかった。
なぜなら彼の命はすでに、その最後を終えていたから。