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転んでもただは起きない

作者: 城弾

 2018年7月16日。午後2時15分。

 都内にあるとある大学病院の一室。

 診察室でも病室でも事務室でもない。

 ここは患者やその身内にこれから行う手術について説明する場所だ。

 そしてこの病棟は心臓血管外科の病棟。

 つまり心臓の手術の説明をしている。


 それだけに聞いている側も真剣な表情だ。。

 パジャマ姿の男性が車いすに座っている。

 五十代半ばの彼。佐久間昭義が患者だ。入院中なので病室からパジャマ姿で来た。

 傍らには四十代の妻がいる。

 いつもは見舞いと着替えの交換だが、この日はともに説明を受けていた。


 元々は別の検査で心臓を撮影したら、別の病気が発見されてそのまま救急車で搬送された。

 まずは処置をして入院。

 その後の検査で手術の必要性が判明したので準備を進め、いよいよその直前に至る。


 この場での説明は起こりうるリスクと手術についてだ。

 リスクはゼロではないがゼロに近いと説明されている。

 それでも不安そうな夫婦。

 医師は落ち着いた声で「何かご質問はありますか?」と尋ねた。

「あの、それてしたら一つ……本当に先生が手術なさるのですか?」

 妻の方が尋ねた。ひどく不安そうだ。

「ええ。私が執刀医です」

 鈴を転がすような声で医師が返答する。

 声すらも甘い香りを放っているように感じる。

「だってあなた、どうみても女子高生じゃないですか?」

 たまりかねて患者。佐久間は叫ぶ。


 そう。その医師は身長なら150センチ前半。

 整った小さな顔は肌の白さと相まって人形のようだ。

 化粧は濃いめだが、それすらも華やかになり、ケバいという感じにならない。

 胸は大きめ。ウエストは細い。

 パンツルックで足の太さはわからないが、足首から判断する限り細そうである。

 尻はわかる。「安産体形」だ。

 夏場でむき出しの腕はほっそりと。

 ムダ毛が全く見当たらないのは美容と同時に、医療従事者としての心構えかもしれない。

 髪も極めて短く男のようだが、それを除けば十代後半の美少女にしか見えなかった。

「よく言われますよ」

 辟易としているがそれを出さないように医師は言う。

「男で言うなら童顔。この顔と体格や背丈。おまけにこの甲高い声のせいで成人に見られなくてですね」

「はい。本当にお若くて」

 やや羨望混じりに佐久間の妻。加惠が言う。

「はは。実はこれでも三十なんですけどね」

 大ウソだった。

 肉体的には十代後半、16~9くらいと診断されている。

 女子高生に見えるはずである。


 そして女でもない。

 いや、確かに今は女だ。

 だがこの医師の本来の姿は心臓血管外科医の権威。

 山村言雄やまむら ことお48歳。

 そして、紛れもない男性だった。

挿絵(By みてみん)

 事の起こりは前年の秋。

 三歳下の妻。泰子たいこと高校生の長男・義太ぎた。中学生の次男・降斗ふるとの家族四人でキノコ狩りに出向いた。

 もちろん毒キノコを採ってしまわぬようにガイドを伴ってである。

 だから安心して食べられるキノコを採っていた……はずだった。


 さんざんに楽しんで旅館に戻り、採ってきたキノコを鍋にして食した。

 もう宿にいるということで夫婦は酒も呑んでいた。

 未成年の息子たちはむろんジュースやお茶である。


 突如として夫婦が苦しみだして倒れた。

「オヤジッ。おふくろっ!?」

「どうしよう? 兄ちゃん。毒キノコだったのかな?」

「だったら俺たちだって食ってるんだから倒れるはずだ。とにかく病院に」

 狼狽する兄弟だったがかろうじて冷静な判断に至り、宿の人間に告げ救急車で地元の病院に運ばれた。


 原因不明のまま入院。

 むろん食中毒を真っ先に疑ったので残ったキノコを調べた。

 その中に食べられるキノコに酷似した未知のキノコがあった。


 調査の結果、そのキノコはそれだけ食べる分には無害だが、アルコールで化学反応して変質し、なんと食べた人間を若い女性の姿へと変えてしまうものだった。

 なにしろ山村夫妻がわずか一週間で華奢な美少女へと変身していたのだ。

 妻である泰子は若返ったものの女性のままだったので、このキノコは若い娘にしてしまう効果だけあると断定された。

 息子たちは未成年で酒を口にしてなかったために、食べても大丈夫だったのだ。


 その入院先から勤務先である大学病院にデータが送られたのもあり、この美少女が心臓血管の権威。山村言雄とは信じてもらえた。

 しかし好奇の眼は避けられない。医療従事者とて例外ではない。

「信じられないですね。本当にこの女の子が言雄先生?」

 ピンク色のVネックの半そでシャツ。「スクラブ」と濃紺のパンツの上から白衣をまとった30台の女医が言う。担当は婦人科。

「信じられないかもしれないけど、本当に山村言雄なんだよ。山村小夜子先生」

 元の言雄は大柄で四角い顔。白髪混じりだった。

 それがここにいるのは華奢な美少女なのだ。


「どっから見ても女の子じゃないですか」

 三十代の白衣の男性が言う。

 こちらも濃紺のスクラブの上から白衣姿。

 この病院では医師も看護師もスクラブ着用である。

「小児科なら本物の子供との区別つかんか? 山村研二くん」

「いやぁ。僕はせいぜい小学生までで高校生の女の子となると」

「だいたい君ら専門じゃないだろう?」

「だから仕事の合間にちょっとお見舞いですよ」

 ここは山村言雄の勤める病院。

 一応は落ち着いたもののとりあえず転院してきたのだ。

 これはよその病院に知られたくないのもあった。

 いくら不可抗力とはいえ、自分の病院の医師が食あたり。

 しかも女の子になったなどとは知られたくなかった。

「医者の不養生」にも限度がある。

 平たく言うと隠蔽でも。


 体力を回復させつつ精密検査。

 その結果、夫婦揃って16~9くらいの肉体年齢と判明。

 性転換の上に年齢退行と異常事態ではあったが、健康面では問題もなく。

 車いすでの移動も序盤だけ。

 トイレも看護師の付き添いこそいるものの歩いていけている。

 それで退院許可が下りた。

 今はその準備中。


「退院おめでとうございます」

「よかったですねぇ。言雄先生」

「小夜子先生はわかるが」

 山村小夜子。山村研二の二人が病室を訪れていた。

「君は何で来たんだ? 山村研二君?」

「いやぁ。実は担当している患者さんの女の子のことで、婦人科のご意見を伺いたくて」

「わたしは言雄先生に女の子の心得などをレクチャーに」

 何しろ「女子初心者」である。わからないことだらけだ。

「そうか。それは助かる。ありがとう」

 重々しく言うが何しろ高い少女声で違和感が凄まじい。

「それにしてもかわいい声ですよね。なんというか悪魔的な。それも自称・大悪魔」

 研二なりの表現だった。

「むしろ天使じゃない? 四つ葉のクローバーを集めるのが好きな気弱な子」

 小夜子もわかるらしく返答する。

「えー。それならむしろ帯の付喪神って感じの声では」

「……退院を手伝う気がないなら出て行ってくれないか?」

「あれ? 明日じゃなくて?」

「今日だよ。ベッドを明け渡さないといかんからな。着替えながらで失礼するよ」

 言うなり男性の目の前だというのにピンク色のパジャマのボタンをはずして、その大きな胸を惜しげもなくさらす。

「こ、言雄先生!?」

 戸惑う声を二人の「山村先生」があげた。

「何かな?」

「あの、男性もいるのですからあまり大胆なのは」

 小夜子が言う。

 研二の方は診察でもないのに凝視するわけにはいかず。

 目のやり場に困ったというより、よく知る男性の胸に女性のシンボルがあることに対する戸惑いだ。

 不条理極まりなかった。

「ああ。こんなのちょっと太っただけだよ」

「どれだけ太ったら男性の胸がそんなに見事に膨らむんですか?」

「DかEくらいありますよ。これ」

「それじゃ着替えるといってもねぇ」

 倒れた時点では中年男性である。衣類ももちろん男性用。

 落ち着いた渋い色合いはともかく、体形が全然違う。

 妻の泰子はデザインが少女向けではないものの、女性というのは変わらないので何とかなった。

 しかしそれでも胸は変わってしまい、担ぎ込まれたときに着用してたブラジャーが合わなくなっている。

 それでも中年男性から少女になった言雄よりはましである。


 とりあえず被るタイプのブラジャーならどうにかなりそうとなり、その準備のため言雄だけ一日入院延長された。

 改めての退院日。

 先に退院した泰子が間に合わせで被るタイプのブラジャーとショーツ。

 そしてワンピースを調達してきた。

 ワンピースはまだしも、花柄なのには閉口した。

(これだから女子高育ちは。いい年なのにまだ乙女なんだからな。それともあいつが特殊なのか?)

 心中では文句を言うが、妻の用意した服にもくもくと着替えていく。


 言雄の勤める病院としては困ったのが処遇だ。

 心臓血管外科の権威だけに辞めさせるのは惜しい。

 不祥事というのとは違うし、性転換こそしたが健康上の問題もない。

 だから治療法が見つかるまで「女性医師」として従来の担当に戻った。


 なお山村姓が何人かいるために、以前からフルネームか下の名前で呼ばれていた。

 それもあり便宜上「山村 琴」(やまむら こと)と名乗ることにした。

 誤って本来の「言雄先生」と他者が口にしてもごまかしやすいという理由だ。

「設定年齢」も30歳。

 本当はもう少し上にしたかったが、化粧でごまかすにも限界があった

 若作りの逆だった。


 そして現在。

「佐久間さん。我々も最善を尽くします。あなたが眠っている間にすべて終わっています」

「しかしねぇ、君のような女の子に任せるのはやはり……」

 佐久間は女性蔑視と取られるのを嫌い言葉をつぐんだ。

 それでもこの少女にしか見えない医者に、命を預ける気になれないのは態度に出ていた。

(仕方ない)

 山村……この場合は女子の姿ゆえに便宜上の名前。「琴」と呼ぶ。

 琴はそっとその柔らかく小さな両手で佐久間の右手を包み込む。

「な!?」

 驚きはしたが嫌がってはいない佐久間。むしろ彼の妻が不機嫌な表情に。

「お願い。私たちを信じてください」

 琴は自分の中にある「女の要素」を限界まで出す。

 男だったからこそわかる『男が抗いにくい行為』だった。

 柔らかい手で手を包まれ、甘い声で「お願い」されれば悪い気などしない。

「い、いやぁ。君がそんなに言うんじゃ仕方ないなぁ」

 入院中なのに元気だった。鼻の下も伸びている。

(ああ。女の目で視ると男のバカさ加減がわかるのがつらいなぁ)

 琴も男の時はやや女性を見下していたが、いざ自分が女になると「どっちもどっちだ」と思うようになった。

 逆の性別になったことで男女が等しいと認識できたのだから皮肉なものだ。


 いくら相手が若くて美しい女性で仕方ないとはいえ、旦那にデレデレされればさすがに面白くないのは妻である。

 たちまち不機嫌な表情になる。

 それを察した琴は残りの説明をするのを優先した。

 事務的に徹したのでなんとか加惠はそれ以上は不機嫌にならずに済んだ。


 すべて終わり病室に佐久間夫妻が戻るために退室する。

 途端に深いため息をつく琴。

(女もめんどくせー)

 これもまた琴が美少女に変身してから思い知った。


 きちんと二本の足で歩けるものの琴はいわば病み上がり。

 また肉体的に未成年女子なのも手伝い、五時を回ると帰途につけた。


 琴は「女子更衣室」にと向かう。

(今の時間ならもう日勤の看護師は引き上げているはずだな)

 四時で夜勤と交代である。

 なお日勤は朝八時から夕方四時なのに対し、夜勤はそれ以外の時間である。

 二交代制なのだ。

 担当部署での情報交換もあるので、正確に四時に引き上げでもない。

 事実、琴も若干遅くなった。

 それでも五時半を回っているし、勉強会などもない。

「安心して」更衣室に入ると三人ほど半裸の女性たちがいた。

 彼女たちは勤務を終えた看護師たちだ。

(なんでまだ残っているんだ? しかも更衣室とはいえ下着姿で!?)

「あ。琴ちゃんだぁ」

 笑顔になる看護師たち。揃いも揃ってブラジャーとショーツ姿である。

「き、君達? 静かだからだれもいないと思ったぞっ」

「いやぁ、この暑さで口を開くのもおっくうで」

 茶色の長い髪を勤務中は束ねている矢口蘭那やぐち らんながけだるく言う。

「更衣室もエアコンあるから涼んでたんです」

 長い黒髪をやはり束ねているメガネの女性。湯島瑠海ゆしま るみが続く。

「こんな格好してても更衣室だしOKだから」

 うなじが見える長さの直毛。横沢園子よこざわ そのこがしめる。

「そ、そうかね。なら私はまた後にするから」

 琴は出ていこうとするのだが

「えー。着替えちゃえばいいじゃないですかぁ?」

 心底ふしぎそうに園子が言う、

 彼女たちにとって琴は同性にしか見えないから、琴が着替えをためらうのは不思議だった。

 しかし自意識が男の琴としたら彼女たちは異性である。意識してしまう。

 それで不在の時間を狙ったのに思惑が外れた。


(患者としてなら裸の女もなんとも思わないんだが、日常において見るのはやや罪悪感があるのは不思議だ)

 そんな思いもあり正視できない。

「そうはいかんだろう」

 足早に出ていこうとするのだが蘭那に捕まった。

「まあまあ。いいじゃないですか」

「離せ。背中に当たっているぞ」

 赤くなった琴が叫ぶ。

「女同士ですから気にしませんよ」

「誰が女だ!」

「えー。こんな立派なものを持ってて女じゃないとでも?」

 無遠慮に琴のDカップをわしづかみにする瑠海。目つきが怪しい。

「出た。瑠海の『スキンシップ』が」

「なんたって女子高仕込みだし」

 どうやら蘭那も園子も一度やられたようだ。

「えい」

 軽く力を籠める園子。琴の乳房がひしゃげる。

「い、痛い! クーパー靱帯を刺激するな。こら。乳頭も刺激……あひゃああっ」

 本人含めみんな驚く艶っぽい声が出た。表情もだ。

 もちろん琴に「男性経験」はない。

 だから未知の「高まり」だった。


 じゃれあいのつもりだった看護師たちは気まずくなり、服だけ着ると出て行った。

 髪はそのままだが鏡さえあればトイレでも整えられる。

 残された琴は未知の高まりに腰砕けになっていた。

(今のが女の……あんな感覚があるなんて。本当に俺は女なんだな)

 レントゲン。CTスキャン。MRIなどでさんざんに検査した。

 調べれば調べるほど完全に女の体だった。

 データとしては理解していたが、この「女ならでは」の感覚を突き付けられて尚更暗澹たる気持ちになる。


 彼女はのそのそと着替え始める。

 夏場だけに薄い素材のブラウス。装飾の少ないもので色はアイボリー。

 ボトムは当初はパンツルックで通し、頑としてスカートは穿かなかった。

 しかしこの夏の災害レベルの猛暑でズボンが蒸れるのに耐えかねて、通気性の良いひざ丈のスカートだった。

 最初からスカートではない。

 妻・泰子の勧めで空間の多いワイドパンツに。見た目はズボンに近い。

 そこから足をさらせるキュロットと移行した。。

 そしてさらに暑くなって「男としてのアイデンテティ」より暑さ対策が勝りスカートになった。

(通気性のためだ。体温を逃がすための処置だ)

 何度も自分に言い聞かせている琴。

(女性の患者が胸を俺に晒していた恥ずかしさに比べたら)

 本来無関係なことまで持ち出したあたり、もはや言い訳に近い。


 終わってから化粧を直す。

 もう化粧の手際もすっかりマスターしていた。

 化粧の際に鏡を見る。

 化粧で若さをごまかしているものの、明らかに少女の顔である。

(…………こんな小娘の顔じゃ患者も不安になるよなぁ。威厳もなにもあったもんじゃない)

 経験に裏付けられた自信が顔に出ていたのが、今となっては自分が女体化した不安が憂い顔に出ている。

 整った少女の顔だが、しわに刻まれた貫禄は霧散してしまった。

(いかんいかん。もっとシャキッとしないと)

「気合を入れる」べく彼女は両手でほほを叩いた。


 琴はそのまま帰らずもう一度ある部屋に出向く。

 部屋には「野崎」と記してある。

 扉をノックすると入室を許可する声があったので遠慮なく琴は入る。

 中では本来の琴と同じくらいの年齢の男性が、一心不乱にパソコンに向き合っていた。

「やっているな。教授」

「山村か。ちょうどお前のことを調べていたんだ」

 48歳の教授。野崎正弘は言う。

「そうか。それでどうだ?」

 質問の意味は分かっている。

 元々親友の関係である山村言雄と野崎正弘だが、言雄が琴になってからといくどとなく繰り返された質問だ。

「元の肉体に戻せるのか?」と。

 野崎はその研究を前年の秋から続けている。

 親友を取り戻すために尽力していた。しかし

「すまんな。どうしても見つからない」

 正直に伝えた。

 医者同士である。夢でものを言わない。そして琴も現実を見ている。

「無理もない。こんな前代未聞の話を一年もしないでとけというのが無茶なんだ」

「それでも絶対に治す。何年かかろうとな」

「ありがとう」

 それしか言葉が出てこなかった。

 彼女は静かに部屋を去り、帰途に就く。


「ただいま」

 午後六時半。埼玉にある一軒家に琴は帰りついた。

「おかえりなさーい」

 美少女を美少女が出迎えた。

「なんて格好してるんだ? 特に髪型」

 ベリーショートの琴が苦々しく言う。

「もう暑かったから髪が背中にかからないようにしたのよ。どう? 似合う」

 泰子がその場でくるっと回ってみせると、長い髪を左右にくくったツインテールがなびく。

 ご丁寧に根元はリボンで彩られている。

 半袖のブラウスはフリルがあり、薄い素材で丈の短いスカートを穿いていた。

 どこからどうみても十代の少女である。

「歳を考えろ」

 元は五十寸前の男で、今は少女となった琴が苦々しく言う。

「山村泰子。17歳でーす」

 泰子は悪びれず返す。

 可愛らしい笑顔であるが実年齢は46になったので、サバを読むなんて可愛いものではない。

 ただし身体的には本当に十代女子で、肌も若いそれに戻っていた。

 元々は男の琴は若い女性になった琴に戸惑いと抵抗があるが、もともと女性である泰子は戸惑いが収まれば再びの若さを喜んでいた。

 琴は「自分は男」という意識があるので髪も短くしているが、泰子はむしろ「一度目の17歳」の時にできなかった姿を楽しんでいた。

「もういいよ」

 暑さも手伝い突っ込むのもおっくうになってきて切り上げる琴。家に上がる。

「はー。暑かったな。汗まみれだ。特にこいつがべたついて」

 忌々しそうに胸元を見る。自己主張の激しい女性のシンボル。

 琴はそれだけ言うと後は無言で移動する。

「ちょっと。今はだめよ。義太が使っているから」

 慌てて止める泰子。

「親子で何の遠慮がいるんだ」

 言うと琴は浴室へと向かった。


 脱衣所で琴は女性服を脱ぎ捨てる。

 汗で張り付いたブラを引き剥がす。

「脂肪の塊」が大きく反動で揺れて、痛みが走り顔をしかめる。

 やはり汗で張り付いた最後の一枚も脱いで「入るぞ」と先客に断りを入れてガラス戸を開けた。

「お、オヤジ!?」

 シャワーを浴び、しかも洗髪していたため水音で脱衣所の物音が聞こえてなかった。

「シャワーまだ使うのか? それじゃ俺はこっちでやるか」

 琴は浴槽から手桶でお湯をくみ上げ、頭からかぶった。

 その様子から目を離せない高校生の長男。

 広くたくましかったはずの父の背中が、白くて華奢な少女のそれになっているのから目を背けられない。

(変わっていくのを見ていた俺でさえこの女がオヤジの変わり果てた姿だなんて信じられない)

 通常「変わり果てた姿」は事故などの不慮の死を遂げたものに使う表現だ。

 しかし父親。一個の男性としての存在が消えてしまったのを思うと、全くの間違いとは言えない言葉のチョイス。

「うー。シャンプーシャンプー」

 頭からお湯をかぶった琴は滴る水滴で大きくは開けられず、薄目の状態でシャワーノズルの下にあるシャンプーを取りにかかる。

 その際に義太の背中に胸を押し付ける形に。

「わああああああっ」

 やっとフリーズが解けた義太。あわてて扉の方に飛びのく。

「おっ。すまんな。気持ち悪かったか?」

 もちろん男に裸の胸を押し付けられてという意味だ。

「気持ち良かったから困るんじゃねぇかっ!」

 もちろん女に裸の胸を押し付けられてという意味だ。

「もう出る!」

 ろくに水滴もぬぐわず出て行った義太。

(なんだ。あいつ。難しい年ごろだな)

 それで片付け、空いたシャワーの方に移動する際に自分の裸身が鏡に映る。

(あ、今の俺は女だったな)

 急に恥ずかしくなってきた。

(いやいやいやいや。考えすぎだ。親子どころか本来は男の俺に、変な気持ちになるわけがない)

 むしろ自分をごまかすためにそう考える。だが


 脱衣所。誰もいないが義太は腰にバスタオルを巻きつけていた。その前方が膨らんでいる。

(バッカヤロォー。ちったぁ女の自覚もてよな。こんなになっちゃったじゃねーかよ)

 思春期の男子が若い女性。それも全裸を見て興奮するのは何ら不思議はない。だがその正体が問題だ。

(親父の裸でおっ勃てた息子の気持ちなんて、どこの誰がわかるんだよぉ)


 浴室。琴はまだ鏡を見ている。

(鏡で見てもオレが女だなんて信じられないし認めたくない)

 だからか「女の自覚」はなかった。むしろ起こさないようにしていた。

 女と自覚すると男時代を否定するようで嫌だった。

 とはいうものの小さな体躯。白く柔らかい肌。優し気な丸い顔つき。大きな胸。細いウエスト。

 そしてどこにも見当たらない男のシンボル。

 甘い体臭と合わせてどうみても女だ。

 しかし琴はそれはあくまで外見だけの話と思っていた。そう思おうとしていた。


 だから女性としてふるまうのは職場である病院など限られた場所のみだ。

(レントゲンやMRI。CTもみたが確かに骨盤は広く女の腰骨だ)

 鏡に映る大きな腰を見て思う。

(精巣は確認できず、卵巣と子宮はあった。だが俺はまだ月経になってない。この子宮も卵巣も機能していないとうなら、まだ完全な女じゃない)

 見た目はともかく、中身までは変わりきってないというわけだ。

 それは「一縷の望み」に縋りつくそのものだった。


 しかし一歩外に出れば一人の少女にしか見えない姿。

 2018年7月18日。

 夏場に足をさらせるメリットからスカートを着用しているので、たとえ髪の毛がベリーショートでも女子の印象は強い。

 職場たる病院じゃスカートではないものの、十代にしか見えない顔を何とか三十代に見せるべく化粧しているため、女の印象はますます強い。

 そて若い女性は質の悪い男性患者の絶好のターゲットであった。


 手術をしたらそれで終わりではない。経過もみる。

 手術直後は集中治療室・ICUで過ごす。

 その間は両手にミトン。一般的には鍋つかみなどで覚えのある形状の手袋のそれに近い。

 手術後は幻覚を見ることもあり、それで暴れるのもある。

 ゆえに看護師などの安全のために手にはめる。

 暴行はなくとも無意識で点滴の針を引き抜くケースもあり、その防止もある。


 経過が良好なら一般病棟に移る。

 高額な個室もあるが大概は四つのベッドがある部屋だ。


 その一般病棟で琴は以前に手術をした男性患者の状態を診ていた。

 まだ点滴はされたままどころか腹部にも血を抜くための管/ドレーンが針で刺さっている痛々しい姿。

 その傷口を確認するため顔を近寄せた時に尻を触られた。

「ひゃっ」

 意図せず可愛らしい悲鳴が出てしまう。

 その照れ隠しもあり患者をにらむ。

「ひゃひゃひゃ。点滴より若い女の肌の方がよほど体にいい」

 60歳を超えてなおお盛んすぎる爺さんだった。

「ミトンもってきて。さらに拘束もしとくか?」

 琴の目が笑ってない。老人は慌てて取り繕う。

「ほんの冗談じゃないか。そのくらい察してくれ」

 あまりにみっともない言い草で逆にばかばかしくなった。

 琴は白けた感じで「ほんの冗談ですよ。そのくらい察してください」と事務的に無感情に言う。

(まったく、俺は本当ならこんな小娘じゃなくあんたと大差ない年なんだぞ)

 そう憤慨しながら診察を続ける。

 だけどベッドわきにあるサイドテーブルに置かれた鏡に映る自分の顔が目に入る。

(ああ。本当に女の顔だ。男にとって性的対象な存在か)

 尻を触るという行為でそれが証明された形だ。


 それなら女性患者なら大丈夫かというとそうでもない。

「先生、お若くていいわぁ。まだ大学生で通じるんじゃない?」

 中年女性が切り出す。

「はぁ」

 何しろ琴は身体は女子高生相当。中身はおっさんだったからどちらも外れである。

 とはいえ「女」とはみなされていた。

「ほんと可愛い。うちの息子なんてどう? お嫁に来ない?」とか

「若いからって無茶しちゃだめよ。年取るとあたしみたいに大変よ」など関わってくるおばさんたち相手でへとへとだった。

(男も女も年取るとぶっ壊れてくるが、それは体だけじゃなくて心もだな)

 元は男で現在は女ゆえにどちらの性別もわかるようになって、ものの見方が変わってきた琴。

(もし元に戻れなかったら俺もこんなおばさんになっていくのだろうか?)

 不安になってくる。


 もちろん不安なのは患者の方だ。

 本物の女子高生が心臓の手術をして入院していた。

「はい。診察にきましたよ」

 琴は極力柔らかく接している。不本意だが女性的に。

「先生」

 患者の名は松村加奈子。16歳の高校2年生だ。

 病室には自分の母親より年を取った女ばかり。

 この病院は見舞いは家族に限っているので、同世代の友人も見舞いに来れない。

 加奈子にしたら比較的年の近い同性になる琴が来て笑顔になる。

「はい。傷を見せてね」

 琴にしたら用件を伝えただけだが、加奈子の表情が曇る。

「傷、やっぱりありますよね」

 ショートカットの快活そうな少女が不似合いな暗い声で言う。

「そうね」

 短く琴は返事した。

 事実、胸の中央に手術痕が大きく残っていた。

 左の乳房の上下にも5センチほどの傷跡が、白い肌に痛々しく残っていた。

(男はまだしも、女にとっては大きな傷跡はむごいな。こうするしかなかったとはいえ)

 琴にも少しだけ女子の気持ちが理解できていた。

「学校も留年ですね」

 入院で出席日数が足りず単位不足になるのは明白だった。

 琴には何も言えなかった。

 だからかその小さな柔らかい手で加奈子の手を包み込むように握った。

「先生?」

「もう十分に頑張っているあなたに、これ以上がんばってなんて言えない。だけど少しずつでいいから元気を出して」

 その時の琴は口調も表情も「優しい女の人」だった。

 全くの無意識だった。

「先生。あたし、やってみます」

 弱々しいが決意を見せる少女。

「助けてあげるよ」

 すっかり筋力の無くなった琴だが、力強く加奈子の手を握る。

 加奈子もそれにこたえて握り返す。


 その日も野崎教授のもとを訪ねた琴。

 しかし芳しくないということを聞かされる。

「せめてもの救いはまだ女性として成熟してないという点だ。見た目は十代だが中身はまだ小学生程度。それならもしかしたらまだ何とか」

 完成された成人では無理でも、未発達の子供の体なら……本当に希望的観測だった。

「頼む。俺は元に戻りたいんだ。元の人生を取り戻したいんだ」

 すがるように同期の教授に頼み込む。


 帰宅するとやはり少女化した妻が、タンクトップとホットパンツという姿で出迎えた。

「…‥またなんて格好しているんだ。お前は」

 恐ろしいことに全く違和感がない。十代の少女が年相応のファッションしているだけだった。

「だってせっかく若返ったのよ。あたしの若いころにはできなかった格好もしてみたいわ。いつまでこのままかわからないんだし」

「いつまでか……お前。元の姿に戻れると思ってんのか?」

 意図せず泰子は琴の不安を刺激した形だ。

「あんな訳の分かんないことでこの姿になれたんだから、いつまたわけのわからないことで元に戻るかわからないじゃない」

 めちゃくちゃなようで筋は通る。

「お前の場合は『なれた』か。お前はいいよ。元々が女だからな。俺はどうなんだ? ずっと男だったのに今更になって女で人生やり直す俺は?」

 八つ当たりなのにも気が付かないほど気が高ぶっていた。

「そんな風に言わなくたって……」

 泰子の涙声が琴を急速に冷静にさせる。

「待て。泣くな」

 女体化しても「女の涙」には弱い。

 しかしどうすれはいいかわからなかった。

 本来の姿なら抱きしめることで言葉以上に気持ちが伝わる。

 しかし今は女の見た目。

 それは病院で患者が自分に対する態度で痛感している。

(女は女に抱きしめられても気持ち悪くないのか?)

 それで行動に移れなかった。

 しかし先に泰子が琴の豊満な胸に顔をうずめて泣き出した。

 それならばと男の時と同様に優しく抱きしめていた。


 暫くして泰子は泣き止んだ。

 赤く泣きはらした目で琴を見上げる。

「ごめんなさい。泣いたりして」

「いや。俺が悪かった」

「あたしも若返って浮かれていたわ。あなたは不安なのに」

「だからって当たり散らしていいわけじゃない」

 長年連れ添った夫婦である。大抵の衝突は繰り返してきて、乗り越えてもいた。

 だけどさすがに性転換の不安は初めてだ。

 泰子はそれを理解したし、琴もそれを自覚した。

「一人で悩まないで。何でも言って」

「ありがとう」


 一方、その様子をたまたま目撃していた義太と降斗の激しく狼狽していた。

 元が自分の両親。かつて恋人同士だったのはわかる。

 しかし今の美少女と化した二人が抱き合っている図は、思春期の少年たちには刺激が強かった。

 降斗が小声で兄に「兄ちゃん。僕なんか変な気持ちになってきた」と告げる。

「降斗。よく考えろ。あれはオヤジとおふくろだ。それでも治まらなかったら何か難しい数式でも連想しろ。とにかくエッチなこと以外なら何でもいいから考えろ。そうすりゃ治まる」

 その彼自身も必死で昂りを抑えていた。

 肉体的には美少女二人が一つ屋根の下にいるのだ。心臓に悪い。


 7月19日。朝。

 車いすで運ばれた佐久間はすでに手術用の服に着替えていた。

 手術室に運び込まれた彼が、心臓の手術で不安なのが表情に出ている。

 それだけでないのは執刀医の琴にはわかっていた。

(こんな小娘に命を預けろなんて言われたら、俺には無理だろうなぁ)

 少女の姿は威厳という点ではまるで不向きだ。

 しかし琴は少女の肉体なのを逆手に取った。

 彼女は佐久間の手をそっとその華奢な柔らかい手で包み込むように握る。

「佐久間さん。一緒に頑張りましょう」

 本人が驚くほど女性的な口調でしゃべることができていた。

「は、はい」

 若い女性に手を握られて年甲斐もなく別の緊張が生まれ、手術の不安を瞬間的に忘れる。


 手術台に横たわる。

 成人男性一人が乗っかるギリギリのサイズだ。

 余計なスペースがあっても医師の手が届きにくいだけである琴を考えるともっともなスペース。

 消毒され点滴の処置がされていく。

 麻酔は針から注入される。佐久間は眠りに落ちた。

 準備が整った。手術が始まる。


 ところがアクシデントが起きた。

 それも患者ではない。琴だ。

 スクラブのボトムが赤く染まっている。

「先生!? もしかして」

 看護師の一人が驚いて言う。

「くっそぉ。こんな時に」

 最後の砦だった「来ない月経」がここで来た。

 生理が来てしまった。つまり女性としての機能が正常に作用している証が。

 身体面以上に琴の動揺が心配された。

「生理用品を取ってきて」

 助手を務める医師の指示で看護師が飛び出していく。


 一時中断して琴の方の処置を看護師が済ませる。

 普通の女性なら出来ても、琴にとっては初潮だったので扱いもわからなかった。


 交代も一同は考えたが、琴が頑として譲らなかった。

「しかし琴先生。それでは」

「女性医師も看護師も月経症だろうと関係なく患者に向き合っているんだ。俺も限界までやる」

「女になったこと」から逃げない半面で、執刀に集中することで現実を忘れたいのもあった。


 予定の八時間を四時間オーバーしたが、手術は無事に終わった。成功したのだ。

 琴はさすがにここからは人に任せて、仮眠を取りに行く。

 その際にトイレにも行ったが、血まみれの股間が内側も女へと変わりきったことを突き付けていた。


 その後にまた検査をする琴。

 その結果を聞くために野崎教授のところを訪れた。

「体はもういいのか?」

「ああ。薬が効いたらしくだいぶ楽になってきた。これが月経症か。これと」

 言葉の先を教授にゆだねる。うすうす感づいているのだが、自分で調べたわけじゃない。結果を聞くことにした。

 ただしすでに覚悟はできていた。

「ああ。この先は閉経まで付き合うことになる」

 毎月生理が来る体ということである。すなわち男には戻れないと宣告される。

「お前の体はもう完全に女として機能し始めているんだ」

 申し訳なさそうに言う野崎。

「わかるよ。自分の体だ。このところ大きく変わっていたようだ」

 今にして思えばそれでイラついて妻にもあたってしまったと思い当たる。

「同じものを食った泰子は若返っただけ。完全に女になった俺がまたあのキノコを食っても男への性転換はないということか」

 沈黙が部屋を支配する。それを打ち破る耳障りの良い少女の声。

「はは。余命宣告されるとこんな感じなのかな。患者の不安な気持ちがよく分かったよ」

「すまない。無力な俺を許してくれ」

 野崎は深々と頭を下げる。

「いいよ。ありがとう。俺のために」

 意識せずに優しい女の声で琴は野崎に感謝の気持ちを伝えた。


「本当にありがとう」

 そういって琴は部屋から出ていく。


 平気そうに見えても心中に渦巻くものはある。

 夜も遅くに俯いたまま琴は帰宅した。

 不安そうな息子たちを部屋に戻して、泰子は琴の華奢な手を両手で包む。

「どうしたの?」などとも聞かない。

 ただ優しく手をつないで見つめるだけだ。

 長年連れ添った夫婦である。

 たとえ少女の姿に変わっても、その積み重ねた日々は変わらない。

 こうして手をつなぐだけで充分だった。


 美少女同士二人が「夫婦の部屋」へと移動した。

 二人っきりの話だ。

 しかし琴は無言だった。

 泰子はずっと手をつないでいる。


 やがて琴がつぶやきだす。

「俺の手、柔らかいだろう? もうずっとこのままなんだ」

 ぽろぽろと涙があふれだす。

「俺はもう死ぬまで女なんだ。今までの男としての人生は何だったんだ?」

 とめどもなく涙があふれてくる。慟哭と呼んでいい。

「わああああああ」

 いつしか琴は泰子の胸で大声をあげて泣いていた。


 その涙がやっと止まる。

「落ち着いた?」

 優しい声音が今の琴にはありがたかった。

「ああ。すまないな。みっともないとこ見せちまって」

「夫婦ですもの。いいわよ」

「すまん。だがおかげですっきりした」

 泣くことによりストレスが流された。

「考えてみりゃ死ぬわけじゃない。男も女も同じ人間だ。ちょっとの違いだ」

 そう思うことで女性化を琴は受け入れようとしている。

「それにこれからは女のこともわかるぞ。男としての経験に加えて女としてのそれが加わればより患者を理解できる」

 まさに転んでもただは起きないということだ。

「それに女の気持ちもね」

 泰子が返す。

「そうだな。ただ男に恋したりはしないと思うがな」

「それは嫌よ」

「もちろんだ。しかしそうなるとお前はどうなる? 俺はもう女で夫にはなれんぞ」

 離婚しないといけないのだろうかと琴は思う。

「ねえ知ってる? あたしは女子高出身なの」

「ん。それは知っているぞ」

「それじゃあなたが初めて好きになった男の人ってのは?」

「え。そうなのか?」

 言われて照れる琴。

「あなた以外の人とお付き合いしたことないの。あなたしか知らないのよ。だからどんな姿になったって平気。そばにいるわ」

「泰子」

 愛する妻の言葉に救われた。

 しかし泰子がブラウスのボタンをはずし始めたのを見てけげんな表情になる琴。

 下着姿になってしまう。

「どうして裸になるんだ!?」

「口先だけで愛してるなんて言ってもわかってもらえないと思うの。だから行動して見せるわ。どんな姿でもあなたのことを愛しているという証明」

 若返ったせいか、あるいは男を女に変えるような作用で過剰に女性性が増したのか?

 泰子は艶やかに迫る。

「ま、待て。女同士だぞ? それに俺は女としては初めてなんだぞ」

「あたしだって女の子とは初めてよ」

 赤い顔で泰子が言う。

 そして彼女は彼女にキスをした。

 精神的には美少女になった妻とのキスで。

 肉体的には四半世紀以上愛撫されていた泰子は女であるが「女の体をよく知っていた」といえる。

 女になって一年もしない琴はかなうはずもない。


 男と女としては倦怠期でご無沙汰だったが琴は女の肉体になって、泰子は女になった夫相手と新しい刺激を得て盛大に燃え上っていた。


 一晩中、その流れ弾に被弾していた義太。

(あんあんうるせぇーっ。百合夫婦がぁーっ)

 目がさえわたり眠れない。


 翌朝。母親が起きてこないので夫婦の部屋に行く次男の降斗。

「かーちゃん。学校に遅刻しちゃ……ごめんなさいっ!」

 彼は慌てて出ていく。

 何しろ琴も泰子も一糸まとわぬ姿で抱き合って眠っていたのだから仰天もする。


 女になったことを琴は受け入れて吹っ切れた。

「体の一部を失った患者だっていつまでも泣いてない。受けいれて前向きに歩いていく。俺も同じだ。ただちょっと特殊なケースというだけ。自分が立ち止まっていて、患者に示しがつくわけない」という思い。

 それでやっと前向きになれた。心境も変わる。











 2020年の秋。

 琴は一日の勤務を終え帰宅準備をしていた。

「それにしても琴先生もずいぶん女らしくなりましたね」

 婦人科の小夜子が女子更衣室で語り掛ける。

「そうかしら? でも女でも男でも私は私。変わりないですよ」

 とはいう物の琴は変貌していた。

 二年の間に髪を伸ばし背中に達する長さに。

 化粧もうまくなり、服も女性的な物を着ていた。


 そして不安を抱く患者に対するから言葉遣いも柔らかく心がけたらいつの間にか女言葉になっていた。

 両方の性別を知るからか患者に親身になれる医師と評判だった。

 本当に転んでもただは起きなかった。


 着替えて出ていくときもう一人の山村姓。山村研二も退勤でかち合った。

「琴先生。ほんと見違えましたよね。どうです? このあと僕と飲みに行きません?」

 もちろん正体を知っているので本気ではない。

 それを踏まえたうえで琴は優しく柔らかく可愛らしい笑顔で

「だーめ。これからデートだもん」という。

「わかってますよ。ほら。お相手がお見えになりましたよ」

 泰子がおしゃれな服で迎えに来ていた。


挿絵(By みてみん)


「うん。それじゃまた明日」

 踵の高いおしゃれな靴だというのに琴は泰子のもとへと駆けていく。

 はた目には十代の女の子同士にしか見えない。


 男としては死んだようなものかもしれない。

 しかし女としての自分を受け入れたので立ち止まらずに歩き出せた。

 男時代への未練を断ち切り、女性的になっていた。

 もっとも女性的になったのは「妻」から「女の子の友達」になった泰子との関係もある。


挿絵(By みてみん)


 泰子は二度目の青春時代。

 琴は女として初めてになるそれを楽しんでいた。


あとがき


 まずタイトルですが、これはそのまま僕のことで。

 私事ですが2018年2月に緊急入院して、一時退院はあったもののつごう四か月ほどの入院に。

 本当に心臓の手術でした。


 それで立場は患者と医師で違いますがその時の経験からと。

 まさに転んでもただは起きないと(笑)

 入院中に慰めで「小説に活かせば?」なんて言われていたのを実行しました(笑)


 主人公が心臓血管外科の医師なのは自分のそれから。


 念のために言っときますが言雄先生のモデルは時にいませんからね(笑)


 ネーミングですが作中の通りで。

 ただ「琴」が浮かんでそこから逆算して言雄と。

 家族はそれで楽器縛り。


 親友の教授の苗字が「野崎」なのは主人公が「山村」だから(笑)


 お読みいただきまして、ありがとうございました。

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[良い点]  どんな形であれ、ハッピーエンドに落ち着いたところ。 [一言]  正月早々いいTSFが読めました。最近こういうTSF作品中々読めないので。要素は含まれているんですけど、そこを掘り下げない作…
[良い点] 流石「城弾」ワールド、楽しく読ませていただきましたよ!
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