日替わりベッド
空港から東大門へ。
韓国での入国審査も日本と同じように、事務的な印象を強く受けた。ただパスポートに印鑑を押しているだけで、入国審査官は楽な仕事だな。それに対して、税関検査を担当する税関職員は、入国者一人ひとりを丁寧かつ迅速に検査しなければならない。危険物の国内への流入を水際で阻止するためだ。日本ではこの二つの職種は国家一般職なので、給料に差はないと思う。韓国でもきっとそうなのだろう。
入国審査と税関検査をすませて、預けていたスーツケースを受け取り、ほかの入国者のあとをついていくと、開けた場所が見えてきた。いろんな空港のチェックインカウンターがあり、これから国外に旅立つ人が大勢いて、活気に溢れていた。首都にある国際空港なので、福岡空国に劣らないほど広々としていた。
ただ、空港の中ではまだ韓国にきたという実感は薄かった。飲食店などの表記は買い得困難なハングルが用いられており、自分が韓国にいることを裏付ける証拠はあった。しかし、周囲にいる人はどうしても日本人にしかみえない。韓国にではなく、日本国内の韓国街に来てしまったのではないかと不安になった。
いつまでも空港にいてもしかたがない。とりあえず、予約してあった一泊5000円のホテルを目指そう。東大門という、よくわからない地域にあるホテルを予約していた。理由は、安かったからという単純なものだ。
実は、韓国旅行はついでであって、本来の目的地ではない。本当の目的はカンボジアを旅することだ。乗り換えの関係で韓国に寄るのだから、ついでに観光しておこうと思ったのだ。ついでなのでどこを観光するのかも決めておらず、きっと行き当たりばったりの旅になるだろう。
空港の外に出ると、鋭い針で肌を刺すような冷たい風が吹いていて、薄いコートしか羽織ってなかったので、じっとしていられないほど寒かった。東大門に行くにはバスを利用するのが最適なので、東大門行きのバスを探した。しかし困ったことに、仁川空港には数えられないほどのバス停があったので、自分が乗るべきバスはどこにあるのか見当がつかなかった。その点福岡空港は外国人旅行者に優しい。地下鉄を利用すれば乗り換えずに博多駅まで行けるのだから。
どこのバス停に行けばいいのかな、この際適当にバスに乗ってみようかな、と思索していると、スーツを着た男に話しかけられた。よく聞き取れなかったので、ハム太郎がヘケッと首を傾げるような仕草をすると、「station」とゆっくりと聞き取りやすいように反芻してくれた。
行き先を告げると、そこへ向かうバスまで導いてくれるのだろうか。「東大門」の発音がわからなかったので、スマホで入力した文字を見せたところ、僕が乗るべきバスを教えてくれた。それは、先ほどから目前にあったバスであった。
韓国のバス料金は前払い制らしい。運転手に5000ウォン渡して、乗降口に近い席を選んで座った。1ウォンが0.1円程度なので、500円くらいだ。少し高いと思ったが、きっと空港から東大門までは途方もない距離があるのだろう。
10分程度ほかの乗客を待った後、やっとバスは走り出した。そのとき、ふと外を眺めると、韓国の国旗が凍てつく風になびいているのは発見した。昔、韓国の国旗は風火土雷水を表していると聞いたことがある。小学生のときだから、本当にそうなのかはわからない。記憶に齟齬はつきものだ。日本の国旗はいったい何を表しているのか。日の丸、つまり日本の中心は何か、それはきっと、戦前は天皇で現在は国民だと思う。本当にそうなのだろうか。日の丸から排除されている人・集団はいないだろうか。
ソウルの街並みは近代的というか、一切の自然を排除して、超高層ビルが見渡す限り乱立していた。地図を持っていなかったので、今バスがどこを走っているのか見当もつかないが、きっと経済の中心地なのだろう。
しかし、東大門に向ってバスが進んでいくにつれて、だんだんと自然が確認できるようになってきた。その代り、都市というような雰囲気は息をひそめはじめていた。それにしても、のどかで住みやすそうなところだ。戦時とは思えないほどに。
東大門に到着してバスを降りると、自分は異国を一人で訪問してしまって、もう二度と日本には帰れないのではないかという恐怖心が芽生えた。視界に入る文字はすべてハングルで、馴染みがある英語や日本語はどこにも見当たらない。どこかを目指して、早歩きで先を急ぐ老夫婦は、わけのわからない言語で会話をしている。この世に自分を理解してくれる人なんて存在せず、一人ぼっちになったような、そんな寂しい気持ちになった。
留学しても語学能力が向上しないのは、日本人とばかり群れるからで、ほかの国の人との交流が希薄化しているという話を聞いたことがある。高額な留学費用を払っておきながら、どうして最大限に留学生活を有意義に過ごさないのか、という疑問を抱いていた。でも、海外にいると心細くなって、言葉や暗黙の了解、価値観などを共有している仲間、日本人と会いたくなる。ある程度お互いを認識していて、共有しているものが多ければ一緒に生活するのが楽だ。
しかし、自分とまったく異なる価値観や宗教を持った人が世界には大勢いる。だから、折り合いをつけて共存していく術を習得しなければならない。それが現実だ。だからこそ、自分と異なる他者を受容する練習として、海外では日本人とではなく、能動的にほかの国の人とかかわっていかなければならない。
特に、日本人は宗教に対する理解を変えるために、イスラムやキリスト教徒と積極的に交流したほうがよい。日本国内ではいろいろあって、宗教に対するイメージは最悪だ。オウムは宗教ではなく、ただのカルト集団だ。オウムの蛮行から、ほかの宗教に対しても不快感や恐怖心を抱いてしまう。そもそも宗教には、倫理教育の役割を担っていたので、すべての宗教が悪いのではない。日本では中国から輸入した朱子学や仏教の考え方によって、人々を教育しようとする流れがあった。危険なのは、オウムなど一部に過ぎず、それを一般化するのは控えたほうがいい。
宗教といえば、恋愛結婚至上主義もある意味宗教かもしれない。恋愛結婚でなければ幸せになれないと多くの人が盲信していないだろうか。昨今の恋愛映画がその風潮を加速されているように思う。結婚すれば幸せになれるとは限らないのと同様に、生涯独身だからといって不幸になるとは限らない。恋愛結婚とお見合い結婚は、実はそんなに相違はなく、異なるのは手続きだけなのかもしれない。大切なのは物事をどのように捉えるかである。
僕は宗教大好きっ子ではないし、今後洗礼を受けることもない。一つの宗教を信じると、ほかのものがすべて誤っているようにみえて、心に不寛容と異教徒の排除欲求が生じてしまう虞があるからだ。すべてのものに寛容で、中立的でありたい。
予約したホテルはHyundai Residenceという、高級そうな名称だ。一泊5000円なので、実際はそんなに高級ではなく、テレビさえもない底辺ホテルかもしれない。ネカフェよりも快適な睡眠が約束されているのだから、それだけでも十分じゃないかと自分を納得させようとした。東大門のバス停からホテルまでの経路は記憶していたので、孤独感や恐怖心を抑えながら、重いスーツケースを引きずり、迷うことなく歩き始めた。
まもなくホテルが見えてきた。正確には、ホテルの入り口とかではなくて、長方形のビルの先端に大きく刻まれている「Hyundai Residence」という文字だ。現在地からではその文字しか確認できなかったが、ちょうどいい道標ができたので迷うはずはなかった。群居する高層ビルの間から筍がにょっきっと背伸びしているようで、底辺ホテルとは思えなかった。むしろ低価格で良質なホテルに宿泊できるのではないかという希望を抱いていた。
魚や惣菜などを陳列して、集客するために大声で何かを呼び掛けている人々がたくさんいた。どうやら商店街のようだ。北九州の小倉にあるものよりは賑わっているように思える。それらの声を無視して、ひたすら歩き続けた。10分ほど歩いたところでついにホテルに到着した。なんと、そのホテルの一階には、セブンイレブンが併設されていたのだ。馴染み深いものがすぐそばにあることがわかっただけで、今までの恐怖心が嘘だったように、安心感で心が満ち溢れた。
セブンよりもチェックインが先だ。自動ドアをくぐり抜け、一階にある受付で直立している人に声をかけた。
「チェックイン」
この一言で通じると思っていたのに、女性職員がヘケッと首を傾げた。もう一度、ゆっくりと発音したがまったく理解してもらえなかった。隣の男性職員が「日本人ですか?日本語で大丈夫ですよ」と話しかけてきた。
完璧なイントネーションなので、もしかしたら日本人なのかもしれない。日本語が得意な韓国人なのかもしれない。真実は闇、もとい韓国のなか。真実といえば『名探偵コナン』の主人公である江戸川コナン(工藤新一)の口癖は「真実はいつも一つ」である。しかし、ニヒリズム(虚無主義)で有名なニーチェは、真実は一つではなく、複数存在するといっていた。この言葉の解釈は忘れてしまったが、何を言いたいかというと、真実を一つしか見つけられないコナンは、所詮ただの高校生だということだ。
チェックインがなんとかできて、受付の人から部屋の鍵を受け取った。鍵は、普段目にしているものからかけ離れた形状で、金属でつくられており、煙草のような円筒型をしていた。ストラップのように紐が通してあったので、首から提げれば盗難や紛失の心配はない。エレベーターで五階まで上がり、指定された部屋に向かう途中、掃除をしていたおばさんが笑顔で挨拶してくれた。『ナニワ金融道』の作者、青木雄二は男女雇用機会均等法が制定されても、雇用の結果は不平等だと指摘している。適当に面接だけして、適当な理由で不採用にできるからだ。確かに、日本でも清掃員は女性が多い気がするし、女性しかみたことがないかもしれない。
鍵をドアノブにかざすとガチャっという音がしてロックが解除された。現代の技術はすごい。仕組みはよくわからないが便利なものがたくさんある。エアコンはどのように冷たい風を送り出しているのだろう。電気エネルギーが熱エネルギーに変換されて、暖かい風を送り出すという仮説は立てられるが、冷風を生み出す原理は予想できない。
ヒトラーの思想や行いは、『ジョジョの奇妙な冒険』第一部・第三部で登場するディオのそれと同様に、受け入れることも肯定することもできない。しかし、ヒトラーの主張のなかには無視できず、考えさせられるものがある。それは「今食べているパンを作ったのは誰なのか、知っておかなければならない」というものだ。産業革命を経て、大量生産・消費社会になって久しい今日、われわれは消費することしか頭になく、生産者への感謝や尊敬の気持ちを忘れてしまったのではないか。生産者の偉大さを忘れてはならない。
部屋に入ると、一泊5000円とは思えない光景が広がっていた。ベッドが三つもあるじゃあないか。そのうえキッチンや洗濯機まで備えている。一人部屋を予約していたが、誤って三人部屋を予約してしまったのだろうか。いや、そんなはずはない。一人部屋の宿泊料を支払ったのだから、これはホテル側のミスだろう。ここはホテルに甘えさせてもらって、この一人では広すぎる部屋を贅沢に利用させてもらおう。
荷物を整理して、まとめたあと夕食のついでに周辺を散策してみようと思った。どんなときでもパスポートは携行しなければならず、盗難や紛失もしてはならない。パスポートがなければ合法的に入国したことが証明できないし、出国することもできないからだ。ロフトには首から提げるタイプのパスポート専用ケースが販売されているので、海外に行く際には購入をお勧めする。
ホテルを出て、行先も決めずにふらふらと適当に歩いた。東大門のバス停から、空港からやってきたとみられるバスタ出発するのがみえた。バスの進路をたどっていけば、どこか素敵な場所にたどり着けるかもしれない。そう思って、時速60キロ前後で走るバスの進路がどのようなものか、遠くから眺めて確認した。
バスが完全に視界から消えてから、記憶したバスの進路を頭の中で何度も再構成しながら横断歩道を渡った。バス停をスタートラインにして散策を始めようと思いついていた。バス停から300メートルほど歩いたところで、道が二つに分かれていたので、どちらを選択するのか迷った。一方が平地で他方が緩やかな上り坂。悩んだ末、坂道を選んだ。山があったら登りたくなるのと同様に、坂があれば登りたくなりませんか?
とても緩やかな、車椅子専用スロープのような坂を登っていると、周囲に空き家が多いことに気付いた。なかには、おしゃれなテーブルと椅子が残されているだけで、人の気配は全くなかった。放置されたテーブルはまだきれいで目立った傷もなく、少し前まで飲食店でも経営されていたのだろうかと思った。
さらに登っていくと、また道が二つに分かれており、右手にはdongguk UNIVERSITYと彫られた石碑があった。大学らしい。ほかの国の大学はどのようなつくりになっているのか気になっていたので、この大学に不法侵入することにした。あとで調べたことだが、この大学は東国大学という仏教系私立大学で、著名な人を多数輩出していることがわかった。日本でも有名な少女時代のユナとソヒョンも在籍していたそうだ。
さすがに大学の内部、講堂とか研究室に忍びこむ勇気はなかった。わざと逮捕されて、韓国の裁判や刑事手続きを勉強することも考えたが、まったく割に合わないことに気付いたので諦めた。
きっと韓国の大学も春休みシーズンに入っているのだろう。大学敷地内には誰もいない。自分以外に動いているものなど存在していないように思えた。まるで時が止まったように。スタープラチナ・ザ・ワールド。
警備に見つかるのを恐れて、敷地内を一周したら来た道を引き返した。誰かに発見されるのではないかと心配していたので、建築物の特徴を観察する余裕はなく、この時の記憶もあまりない。
もう夕方の六時だったので夕食をすませてホテルに戻ることにした。幸い、ここに来る途中にいくつか飲食店があったので、適当なところを選んで中に入った。
大衆食堂のようなところで、リーズナブルな価格で料理が提供されていた。学生をターゲットにしているのだろう。空いていた四人掛けのテーブルに座ると、四十代前半とみられる女性店員が水を持ってきた。笑顔が可憐で、とても愛そうがよかったので思っていたよりも対日感情は良好なのかもしれない。問題があったとしても、それは国同士の問題で、個人と個人の間にはそれらの問題は無関係なのだろうか。辺見庸の『もの食う人びと』という食をテーマとしたルポのなかで、辺見は韓国で存命している元慰安婦と対談している。その対談をみるかぎり、元慰安婦は日本軍に強制された職務のせいで、今でも心の傷は癒えておらず、何度も自殺を図っている。日本に何かされた韓国人は日本に対して不快感や嫌悪感を抱いているが、そうでない人は日本を嫌う理由などなく、むしろ好感を持っているのではないか。この食堂のおばちゃんは、日本に虐げられずに、日本の光しかみてこなかったのだろう。しかし、元慰安婦の人々は日本の闇しかみえず、生きているかぎり記憶のなかで何度も虐げられ続けている。
メニューは外国人に優しくない仕様で、英語表記はされておらず、すべてハングルで構成されている。どんな料理があるのかわからないので、目に留まったものを指さして注文した。調理が終わって運ばれてくるまで暇だったので、天井付近に設置されている小さなテレビを眺めた。何かの討論番組で、激しい議論をしている。日本にもこんな番組はあるが、ほとんどの場合、知識人がそれっぽいことをいっているだけで、ためになるものは稀だ。
理解もできないのにテレビを眺めてからしばらくして、調理がすんだようで、おばちゃんが定食のようなものを運んできた。せっかくの韓国なので、辛い料理だとよかったのだが、現れたのはトンカツ定食だった。
日本と韓国のトンカツの食べ比べも悪くない。辛い物は明日食べればいい。そう思って、トンカツを一口食べると、衣がサクサクしていてとてもおいしい。日本にある某トンカツチェーン店や、うちの大学の食堂で食べるものよりも、値段・味・量において韓国が勝っている。もしかすると韓国は、政府が主導してトンカツをキムチに次ぐ第二の韓国の食文化とするため、養豚場などに資金を投入しているのかもしれない。夕食をすませて、そのままホテルに帰ることにした。夜の韓国はなんとなく危ない印象がある。特に、田舎町の東大門は。ホテル一階のセブンで適当にお菓子と飲料を買って自室に戻った。そしてすぐにシャワーを浴びて、就寝の準備をした。
テレビはどうやらアマゾンプライムのようなものに加入しているらしく、いろいろな番組がみられるようだ。リモコンとさきほど買った食料を持ってベッドにダイブした。
番組表を眺めていると、昔から知っているアニメがあった。せっかくなので、久しぶりにみることにした。ドラえもんである。ただ残念なことに、韓国語版しかなかったのだ。のび太たちが何を言っているのかまったくわからない。しかし、セリフはわからなかったとしても、映像だけでストーリーやセリフが想像できたので理解はできた。このころから名作というのは、言語が違っても映像だけで理解できる作品のことだと考えるようになった。
ドラえもんをみたあと、疲れが一気に押し寄せてきて、ふかふかのベッドで深い眠りについた。まどろみながら、明日はどのベッドで寝ようか、と考えていた。
旅行などでホテルに宿泊するときはわくわくしますよね。
ホテルという非日常的な空間を体験するからです。
週末には近場のホテルに泊まってプチ旅行するのもありだと思います。