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ぼっち旅 韓国編  作者: 紀々野緑
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機内にて

飛行機に乗るのってわくわくしませんか?

空を飛ぶという、人類が長年夢見ていたことを、平然とやってのけるのが飛行機です。

現在では、飛行機が当たり前になりすぎて、空を飛ぶということの感動が薄れているのではないか、と考えてます。

僕自身も、飛行機に乗ったって感動なんかしませんからね。

 航空券はインターネットで事前に予約していたので、今回利用する大韓航空のロビーで、パスポートを提示するだけで搭乗に必要なチケットを渡してくれた。それにしても、受付の人は流ちょうな日本語を話すので、日本人だろうかと思った。韓国の日本の人は、もともと同じ民族共同体で、日本とユーラシア大陸がつながっていたときに、現在の朝鮮半島と日本に分裂して生活するようになったのではないか。だから韓国人と日本人の顔立ちは似ていて、外見によって見分ける手段は丸メガネをしているか否かである。最近は丸メガネを愛用する日本人も増えたので、もはや外見で区別することはできないかもしれない。

 出国の際に行われる保安検査や出国審査は、いわゆるお役所仕事のような印象を受けた。二月の中旬にもかかわらず、出国者と入国者の数が尋常ではないので、必然的に工場のライン作業のように、単調に処理していかなければ時間がいくらあっても足りない。スピードはもちろん、危険物の機内への持ち込みや麻薬の密輸がないように、正確で丁寧な検査が求められる。税関職員は大変だなあ。

 飛行機を利用する機会はほとんどなくて、そのうえ異国に向かうので搭乗口に続いていつ通路を歩くときに、不安で胸がいっぱいになった。しかしもう後戻りはできない。ひたすら前に進むしかないのだ。仮に、この海外旅行という挑戦から逃げてしまえば、旅費を稼ぐために一生懸命に、ストレスを抱えながらも働いてきた日々が水泡に帰してしまう。自分で自分の努力を無にすることになる。それはどうしても避けたいので、ひたすら呼吸に意識を向けることで頭の中を空っぽにして、搭乗口を目指して歩き続けた。

 学生の僕は、少しでも旅費を節約するために、エコノミークラスを予約していた。値段相応のサービスと座り心地だったが、安くて安全な旅が保障されているだけでもよしとしよう。そもそも、日本人は値段以上のサービスを求めようとするところがダメなのだ。このエッセイを執筆している2018年12月現在、接客能力を向上させるためにスーパーでレジのアルバイトをしている。よくいるのが、マイバッグに商品を入れるように頼んでくる客だ。もちろん入れ方が悪ければ文句をいってくる。ほならね、自分で入れろって話でしょ?私はそういいたい。

 指定されたのは窓側の席だった。宮崎駿の映画に登場するラピュタは実在するのかという長年の疑問を解決するため、小さな窓から空を観測するのを楽しみにしていた。宮崎氏の映像作品は、福祉などのテーマが隠された設定として、物語の背後に潜んでいる。たとえば、「もののけ姫」の集落で、リーダー的存在である女性の家には「業病」を抱え、世間から煙たがられている人が住んでいる。実は、業病とはハンセン病を指しているのだ。宮崎氏はハンセン病患者と交流があったので、できるだけ多くの人に、ハンセン病患者が受けた迫害を知ってもらうために、「もののけ姫」という作品を媒体にしたのである。もしかしたら、宮崎氏はラピュタ的な何かを発見して、それを天空に浮遊した都市として表現したのかもしれない。

 機内の細い通路を進んでいくと、僕の座席の隣に、色白でやせ形の体格をしていて、穏やかそうな女性がちょこんと座っていた。幸運にも、僕の苦手な強面おじさんでも、抑圧的おばさんでも、暴力的な反社会的の人ではなさそうだったので一安心。

 「すいません」と声をかけると、お姉さんは笑顔で小さく会釈し、僕が通るためにわざわざ席を立ってくれた。本当は「こんにちは。あなたの隣に座ることになっているので、申し訳ありませんが通していただけますか」というべきだった。しかし、初対面の人と話すのは緊張して声が出ない。大きく深呼吸して、やっといえたのが「すいません」だ。この一言だけで意図が伝わったので、それを読み取ってくれたお姉さんに感謝している。この「すいません」も万能語のひとつで、感謝と謝罪の意味がある。けれど、感謝を伝えるときは「ありがとう」というべきであって、「すいません」といってしまうと、ありがた迷惑とか過剰にへりくだっているようなニュアンスがあると思う。

 座り心地はさすがエコノミーといった感じで、一時間座っていると体全体が痛くなりそうだ。隣人と対話するわけでもなく、荒木飛呂彦が考案した波紋の呼吸を続けていた。

 よくわからない理論で、鉄の塊を飛ばそうとするのだから、飛行の準備にはそれなりの時間がかかる。出発まで、ただひたすら何もせず座るというのは想像上に辛いもので、ありがたくもおもしろくもない講義を受けていたほうがましだ。こんなとき、何か作業でもして気分転換をしたほうがいいのだが、友人から借りた本はスーツケースにしまっていて、機内に持ち込んでいなかった。残された選択肢はお姉さんとの雑談になるのだが、社会性が発展途上の僕は、初対面の人に話しかけることができないのだ。

 結局話しかけることができないまま、とうとう飛行機が離陸してしまった。離陸の瞬間は耳が痛くなるし、ふわふわと宙に浮かんだような気持ち悪さを催すので、何度経験しても慣れないと思った。

 パーソナルスペースに見知らぬ人がいると、とても不快なので、そんなときはその人と仲良くなることで不快さを相殺することがお勧めだ。でも、僕から話しかけることはできそうにない。相手から、雑談でありがちな天気の話題とか振ってくれないかなあ、という受身な期待を抱いていた。

 大韓航空の機内食は、いったいどんなものなんだろう、と期待で胸をふくらませて待ちわびていた。やっと客室乗務員、いわゆるCAの人がカートを押しながら何かを配り始めたので、目を凝らして観察していると、抱いていた期待とか希望がガシャーンと音を立てて崩れていくのを感じた。

 時刻は午前10時だったので、まだランチには早すぎたのだ。そのため、機内食のような経費を圧迫するサービスは、こんな中途半端な時間に提供するはずがない。機内食を楽しみにしていたので、朝食を食べる時間はあったにもかかわらず、わざわざ断食していたのだ。僕の短いラマダンは無駄だった。

 窓側の席に座っていたので通路の様子が確認しづらく、何が配られているのか、分からなかった。それでも、あたたかくて食欲を誘うような匂いはしなかったことから、機内食ではないことは明らかだった。テレビでよくみる、おばさんたちの福袋争奪戦は、暴力行為も厭わなくて本当に愚かだと思っていた。でも、このときだけは隣人を押しのけ、身を乗り出してでも配布物を確認したいという衝動が、体中を駆け巡った。たまにはこんな風に、愚かなことを考えるのもいいですよね。行動に移さなければいいだけで、考えるだけなら個人の自由だ。

 ついにCAが僕たちの席に到着してくれた。配っていたのは、おつまみとして最適な、ピリ辛の豆菓子と、小さなカップに入った水だ。一目見たら、きっと誰でもゼリーだと勘違いするほど小さなカップに、透き通った水を注いで、上から蓋をして水が溢れないように接着してある。思っていたよりも、通路から窓側の席までは距離があるらしい。手の短いCAは僕のところに豆と水を届けるため、精一杯手をのばしていたがなかなか到達しない。

 すると、お姉さんがCAから受け取って、僕に渡してくれたのだ。些細なことでも、人から親切にされると心があたたかくなる。

 「すいません」

 また「ありがとう」といえなかった。反射的に、お礼を言うべき状況で「すいません」といってしまうのは悪い癖だ。でも、改善しなければならないと認識しているし、実際に改善しようと生活の中で意識しているのだから、十分すごいのではないか。

 「お仕事で海外に行かれるのですか?」

 突如、心地のよい、優しい声が耳に飛び込んできた。お姉さんが話しかけてくれたのだ。暇だし、僕もずっと話したいと思っていたけど、話しかける勇気がなくて、ずっともじもじしていた。そんなときに声をかけ、会話をするきっかけをつくってくれたのだ。とても嬉しかった。しかし、僕の服装を見ても、これから仕事をするようには思えない。世界にはいろんな人がいるから、私服でもできる仕事をしているとでも思われたのだろうか。作家とか、写真家とか。

 「学生です」

 「そうなんですね。旅行ですか?」

 「はい。韓国とカンボジアを、一人で旅しようかなと」

 「おひとりですか?たくましいですね」

 一人旅だということを伝えたら、驚いたようで、小さな目を大きく開いて何度もうなずきながら、すばらしいとか、偉いとか、感心したようにつぶやいていた。偉いとは、自分では全く思っていない。ただ、日本にいるとさまざまな辛くて嫌な記憶が、ハエが自然発生するように頭の中に生じて、堂々巡りになってしまうのだ。それから逃げるために、今回、この無謀な旅を計画したわけなのだ。

 「ちなみに学部は何ですか?」と、しばらく沈黙が続いたあとに尋ねられた。

 「法学部で法律を学んでいます」

 あらかじめ考えていた定型文で答えながら、例のめんどうで偏見にまみれた質問が来ないことを祈っていた。

 「それじゃあ、将来は弁護士になるのですか?」

 ほら来た。法学部だからといって、弁護士を志しているわけではないのだ。そもそも、日本国内での訴訟は年々減少し、弁護士の仕事は減っている。しかし、司法試験制度が改革されたことで、従来よりも合格率が上昇し、弁護士が大量生産されている。需要と供給のミスマッチ。この時の僕は、半年後の上海で出会った物理学者に、同じ質問をされることになるとは知る由もなかった。

 「将来のことはまだよくわからなくて、だから今回は自分探しの旅をしようと思いまして」自分探しのために故国を離れる必要があるかどうか疑問だが、とりあえずそう答えておいた。

 「そうなんですね。そんなことは、時間がある学生のときにしかできないから、たくさん冒険してくださいね」 

 仁川に到着するまで、聞き上手なお姉さんと雑談していた。名前は聞けなかったが、仕事でイギリスまで行くそうだ。いったいどんな仕事をしているのだろうか。気になるけど、個人的なことを聞くのは控えたほうがいいだろう。

 誰かと楽しく話していると、時は光の速さのように過ぎていく。光といえば、大学四年生になって卒業を控えている現在、ゼミの先生から興味深い話を聞いた。それは、新幹線の名前がだんだん速度を増しているというのだ。「こだま」は音速で、「ひかり」は光速を示しており、それでは光速の次はいったい何だろう。先生によると、次は「因果」らしい。因果なんて名前の新幹線が誕生してしまうと、何か事件が起きそうだ。因果殺人事件とか。

 着陸の瞬間は離陸の時よりも恐ろしい。そのまま地面に衝突して、飛行機が爆発してしまうのではないか、という不安がある。しかし、さすがはプロのパイロットだ。安全に着陸してくれたので、もう少し長く生きられそうだ。

 機内から出て、空港と飛行機を連結する名称がわからない通路を進んだ。韓国という、言葉の通じない未知の領域に侵入することに、そのときは少しも不安とか、恐怖とか、そんなことは感じなかった。一人ではなかったから。連結通路を越えて、空港に入ってしまった。そろそろ別れの時が近づいた。

 空港に入ってすぐのところに、自国の文化を自慢するためなのか、よくわからない陶磁器などが展示されてあった。そのなかの、青白くて小さな花瓶のような陶磁器を発見したお姉さんは、美しい、とつぶやいた。

 「美しい」という言葉を選択し、謎の陶磁器を美しいと思えるお姉さんの心が美しい。僕にはどこにでもある、普遍的な花瓶にしか見えなかったのだから。

 入国審査のためにつくられた長蛇の列がみえてきた。お姉さんは乗り換えなので、この辺りで別れなければならない。

 「よい旅を」そういいながら、手を差し出してきた。一日に二度も握手をすることになるなんて。

 「イギリスではいろいろと気をつけてくださいね」僕は西尾維新の物語シリーズに登場する忍野メメのように、「さよなら」をいうのが苦手だ。だから、別れの挨拶にふさわしくない言葉を選択して、綺麗な手を優しく握った。

 やっとぼっち旅が始まる。これからどんな苦難が僕を待ち受けているのだろう。異国を旅することで、僕の中の日本が純化し、成長していくのだろうか。

 じゃあな日本。少子高齢化や子供の貧困、財政赤字等様々な問題を抱えているけど、頑張れよ。日本人である僕が、韓国に入国する際に、こんな他人事のようなことを考えていた。まるで自分と日本は無関係であるかのように。


法学を学んだものとして、無断転載にならないように気をつけています。

僕の趣味のせいで、アニメや映画ネタがところどころに散りばめられています。

もし、無断転載に該当していたら、著作者様、申し訳ございません。

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