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ローリン・マイハニー!  作者: 田中 義男
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駆け上がれ!

 駅前の商業施設に入り、取り急ぎたまよの夏服を探すことにしたのだが、女性が服を探している時は男性は暇そうにどこかで待っているものだ、と言う繭子の言葉により、着替えを一式揃えても余るくらいの金額を渡して、一人カフェで待機することになった。

 平日の午前中ということで年配の客が目立つが、オフィス街が近いこともあり、中にはリクルートスーツに身を包んで、面接の参考書を読んでいる学生らしき姿も目に入る。大手企業の採用は大体は終わっているが、それでも秋冬の採用枠がゼロというわけでもないので、それを狙っているのだろう。

 思い返してみると、勤め先に入社したのはもう、十数年前になるのか。その時は、人事課長など一部の社員には素性が知られていたようだが、呪事とは完全に縁が切れたと思った。激務と言われていた営業部門に配属となったが、幸いにして、人に深入りせず表面的に穏やかに接したり、交渉事を有利運ぶために画策したり、数字を分析して計画を立てたりするのは性に合っていたため、仕事に不服は無かったし、結果もそれなりに出してきていた。しばらくして、雑で煩わしいが、それなりに見込みのある後輩も出来て、呪事に関わっていた事など、遠い昔の事になったと思っていた。それでも、

「ひがみん氏!お待たせいたしました!」

 よく通る声が耳に入り、そちらの方を向くと、オレンジジュースが二つのった盆を手にした繭子と、恥ずかしそうに顔を伏せるたまよの姿があった。

「お待たせ致しました……」

 その姿は、いつもの着物姿ではなく、白いVネックのカットソーと膝より丈が長いベージュのフレアスカート、ヒールの低いパンプスというものだった。髪型も繭子が直したのか、緩く一つに編まれた三つ編みに変わっている。

「たまよ女史は、素材が良いため、奇をてらわずシンプルにいたしました!」

 繭子はそう言いながら近づき、テーブル席の向かいに座った。たまよもそれに続き、繭子の隣に座る。

「しかして、ひがみん氏、ご感想は?」

 ストローを包み紙からとりだしながら、目を輝かせて繭子が尋ねてくる。

 感想、か。

「……てっきり同じフロアの呉服店の方で浴衣でも用意するのかと思っていたから、洋装だったことに驚いている」

 それと、和装から洋装に変わるに当たって、一つ大きな気掛かりがあるが、はたして口に出して良いものかどうか。

「あー、それも考えはしたんですが、肢体の美しさを隠してしまうのは忍びないかと。あ、あと、洋装用の下着も着用していただきましたので、心配ご無用です!」

 気に掛けていたことは解消でき、胸を撫で下ろす気分でいたところ、繭子がこちらに向かって指をさしてきた。

「そんなことよりもひがみん氏!奥方様がいめちぇんしたのですから、何某か仰ることがあるでしょうに!」

 確かに、和装の時は隠れていたが、薄着になったために、姿勢やスタイルの良さが分かりやすくなった。若干、胸元が目のやり場に困る気はするが、それは口に出さないでおこう。

「そうだな……」

 しかし、社交辞令と思われずに、女性を褒める言葉というのは意外に難しい……いや、そんなこともないかもしれない。

「……すたいりっしゅ?」

「ありがとうございます……」

 疑問調になりながらも、たまよがこだわっていた賛辞を伝えると、その頬が徐々に染まっていく。

「こういうところは素直に可愛いと思う、と思いましたな?ひがみん氏」

 繭子が真顔で、そう尋ねてきた。人事課長のように、ニヤニヤとしながら茶化されるのも腹立たしいが、真顔と言うのも対処に困る。

「まあ、その辺りは置いておいて、それよりも、着物の方はどうした?」

「それなら、呉服店の方で洗い張と履物を含めた小物のクリーニング一色をお願いして参りました!幸いにして、師匠の行きつけのお店だったため、請求書払いで納得していただけました!」

 その歳で洗い張なんてものを知っているのか、などと感心している場合では無い。洗い張だけでもかなりするというのに、小物のクリーニング代まで含めたら、そこそこの金額になってしまう。

「流石に、それは申し訳ないから、今からお店の方に事情を話しに行こうか……」

「情けは御無用!ご夫婦の掛け替えの無い御時間を割いていただいた御恩に報いるためですから!ましてや師匠は日頃、人様を茶化して楽しんでいる節も有りますし、偶にはお灸を据えて、うぎゃあ、と言わせて差し上げなくてはなりませぬ!」

 ……あの人事課長に対してここまでの行動をとれるとは、じつに空恐ろしい。

 しかし、請求書の金額を見て、うぎゃあ、と声を上げる人事課長の姿はぜひ見てみたいものだ。

「じゃあ、人事課長にはお礼を伝えておいてもらうことにして、ジュースを飲んだら、そろそろ出発しようか」

「合点です!」

「かしこまりました」

 二人がジュースを飲み終わり、カフェを後にしたが、どうもたまよの足取りがぎこちない。

「たまよ、大丈夫か?体調が悪い様なら、一旦家まで戻るけれど?」

 先程公園で急にしゃがみ込んだこともあり、少し気にかかる。しかし、たまよはにこやかに笑うと、ゆっくりと首を振った。

「あ、すみません大丈夫なんですが……その、この格好だと防御力が低くなってしまったんで少し不安で……せめて、ハナダカダンゴムシさんくらいのスピードがあれば、もう少し余裕を持って過ごせるのでしょうけど……」

 ……どうやら、気にしすぎていたようだ。それにしても、ダンゴムシも種類によってスピードが違うことは、知らなかったな。

「小生のチョイスが至らないばかりに申し訳ない……ココは一つ腹を掻っ捌いてお詫びを!」

 ダンゴムシについて少し生態を調べてみようなどと考えていたところを、顔面蒼白になり涙を浮かべる繭子の言葉に遮られた。

「繭子さん!?どうか早まらないでください!?駅に着く頃までにはきっと慣れますから、お気になさらずに!」

 肩にかけたポシェットの中身を探り出す繭子をたまよが必死になって止めている。よもや、懐刀などは出てこないとは思うが、念のため止めておくか。

「たまよも気にするなと言っているのだから、やめておけ。繭子に何かあったら、人事課長が悲しむだろ」

「申し訳ない……確かに、師匠を煩わせる訳にはまいりませぬ」

 人事課長を引き合いに出した途端、繭子は涙をぬぐい、素直にそう言って頷いた。関係性はいまいち分からないが、二人なりの信頼関係があるのだろう。

「分かればいい。まだ若いんだから、軽々しく命を無駄にするようなことをするなよ」

「承知」

「思いとどまってくれて、良かったです。繭子さんに何かあったら、私も悲しいので無茶をしたらダメですよ」

 たまよは屈んでからそう言うと、繭子の頭を撫でた。

「すたいりっしゅな外殻を選んでいただいて、ありがとうございました。これでハナダカダンゴムシさんには追いつけなくても、トウキョウコシビロダンゴムシさんには追いつけるくらいのスピードは出せるはずです」

 ……相変わらず、若干ズレているところが気にはなるけれども。

まあ、話が収まったのならいいか。

 

 諸々あったが、たまよも新しい服に慣れてきたらしく、駅までは無事にたどり着いた。幸いにも、電車も空いていたので、繭子を中心に3人で並んで座ることが出来た。

「イラガセイボウ」

「ウラギンシジミ」

「ミツカドコウロギ」

「ギンヤンマ」

「マルカメムシ」

「ショウジョウトンボ……ひがみん氏、さっきから、し、が度々登場するような気がいたしまする」

「虫に限定したしりとりなんだから、仕方ないだろ。ボクトウガ」

 座席についてから一駅目でたまよが眠ってしまい、どうやって間を保たせようかと悩んだが、幸いにも繭子の方から虫の名前でのしりとりを提案してきたので、助かった。

「ガガンボモドキ。しかし、中々終わりませぬな、この勝負」

「ああ、まさかここまで続くものとは思わなかった。キタキチョウ」

「そうですね。まさか、ひがみん氏がここまでの実力者とは……ウシアブ」

「プラタナスグンバイ」

 濁点半濁点を気にしないというルールを設けたこともあって、先程から全く終わりが見えない。

「ふっふっふ、しかしこれで勝負をつけましょうぞ!イチモンジセセリ!」

「り、か。確かに、り、から始まるのはあまりいないな……リンゴシロヒメハマキ」

「な、なんと!?先程リンゴドクガが出た故、焦ってリンゴケンモンが出ると思っておりましたのに!」

「まあ、生態にそこまで詳しい訳ではないけど、名前と特性くらいは一通り把握しているからね。それよりも、続きが出ないところを見ると、降参かな?」

「むー。悔しくはありますが、今の小生では、ここまでが限界のようです。おみそれいたしました」

 そう言って、繭子は深々と頭を下げた。てっきり再戦を求められるかと思ったが、どうやら潔い性格のようだ。まあ、潔すぎて切腹騒動を起こされるのは、もう御免被りたいが。

「しからば、小生が保持している虫の名前しりとり王者、略称むしり王の座を明け渡さねばなりませぬな」

 出来ればあまり着任したくない略称の王座を明け渡されてしまった。

「……それは、繭子が保持したままにしてくれるかな?」

「なんと!?むしり王の座をほしいままにする実力がありながら、それを易々と明け渡すとは……なんとも寛大な御心!」

 純粋にその略称で呼ばれるのを御免被りたいだけなのだが、目を輝かされてしまうと、反応に困る。

「ともかく、次の駅で降りるから準備をしておくように」

「承知仕りました!」

 勢いの良い返事をすると、繭子はポシェットからハチをかたどったパスケースを取り出した。虫好きは、筋金入りのようだ。

 さて、たまよも起こさないといけないが、穏やかな寝顔を見ると、忍びない気もする。しかし、放っておくわけにもいかない。

 あまり驚かさない様に、そっと頭を撫でながら声をかけると、たまよはゆっくりと瞼を開いた。

「……おはようございます。正義さん。毟らないでいただけると、助かります」

 繭子との会話が微妙に聞こえていたのか、何とも心外な発言をされてしまった。

「……寝ぼけているのだろうから、その発言は不問にしよう。それよりも、もう目的地に着くぞ」

 その言葉に、たまよの目が見開かれた。完全に、目を覚ましたようだ。

「申し訳ありません。座席がふかふかとしていたので、つい眠り込んでしまいました」

 そう言ってたまよは、慌てながらペコペコと頭を下げた。

「別に構わない。色々と慣れないこと続きで、疲れが出たんだろう。良く眠れたか?」

「はい、熟睡してしまっていたみたいです。先程うっすら目が覚めて、正義さんが繭子さんの後を継ぎ、毟る王様になられたというような言葉が聞こえてきました」

 色々と勘違いはされたが、悪い夢を見た訳では無いようだ。

「そんな王座にはついていないから安心しろ。ゆっくりと眠れたのなら良かった」

「睡眠を取ることは長生きの秘訣だと、師匠も仰ってましたね」

 そう言って繭子が納得するように頷いた。あの年齢不詳の人物が言っていたと思うと、それなりの効果はあるのだろう。そんな感慨に耽っていると、目的の駅名を告げるアナウンスが車内に響いた。

 電車を降り、改札を出ると中央出口まで向かった。中央口を出ると、緩やかな上り坂の大通りが続いている。商業地区ということと、夏休みの時期ということもあって、平日でもそれなりの人数とすれ違う。たまよが一昨日のように、踏まれるのを恐れてうずくまってしまわないか気がかりだったが、特に怯えている様子はない。このくらいの人混みなら、問題無いようだ。

 大通りの終着点には、長い階段がある。この階段を登り切れば、目的地だ。

「ほほう。これはこれは見事な階段ですな」

 繭子が顎に手を当てて、感心したように呟く。そして、何かを思いついたらしく、こちらを向いて指をさしてきた。

「ひがみん氏!どちらがこの階段を早く登り切れるか勝負です!」

「言われるかもしれないとは思ったけども、まさか本当言われるとは……」

 運動不足にならないようには心がけていたが、流石にこの段数を駆け上がれるような体力は無い。

「お覚悟をなさっていたのならば、好都合!いざ尋常に勝負!」

 と言うや否や、繭子は駆け上がり、早くも階段の中断に差し掛かっている。

「おーい!あまり走ると危ない……!?」

 繭子に注意の声を掛けていると、隣にいたたまよが階段を駆け上がり、瞬く間に繭子に追いついた。それに驚いた様子の繭子は脚をとめ、何やらたまよと会話した後、数回頭を下げて手を繋いで階段を登りだした。多分、階段の駆け上がりは危ないと諭されたのだろう。二人は階段を登りきり、笑顔でこちらに手を振っている。

 しかし、スピードにコンプレックスがあるというような話をしていたが、充分速いじゃないか……

 この三人で本気で短距離走をしたら、絶対に最下位だな、などと考えながら長い階段の1段目に足をかけた。ひとまず、今日一日、体力が保ってくれることだけを祈ろう。

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