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ローリン・マイハニー!  作者: 田中 義男
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起き上がれ!

 自宅の玄関を出ると、強い陽射しと、高温多湿な空気に気が滅入った。ターゲットが待つ場所は、昨日人事部長と待ち合わせた公園だ。今日は午前中の外出ということで、昨日ほどの暑さでは無いだろうとたかを括っていたが、見事に裏切られた気分だ。

 とは言え、徒歩で10分もかからない距離のため、夏用のスーツのパンツと半袖のシャツ姿なら、何とかしのげるだろう。ただ、着物姿の場合はどうだろうか?

 マンションの敷地を出たあたりで、たまよの方を見てみたが、何事も無いような顔をしている。

「どうかなさいましたか?」

 こちらの視線に気付いたたまよは、不思議そうな表情を向けた。

「その格好だと暑く無いか?少しだけ早めに家を出たから、駅前で涼しい服でも調達してから向かっても構わないが?」

 その問いにたまよは笑顔で、大丈夫ですよ、と答えた後に続けた。

「一昨日も一昨々日もこの格好で大丈夫でしたし、それに脱皮にはまだ早いかと思いますので」

「一昨日も一昨々日も、昨日今日ほどは暑くなかっただろ……それよりも、脱皮?」

 予想だにしていなかった言葉に、一瞬耳を疑った。

「はい、桜の花が咲く頃に一度脱皮をしたので、次の外殻になるのはもう少し先で良いかなと思います」

「……初日に寝巻きとして渡した、シャツとハーフパンツはどうしている?」

「あ、お風呂を頂いた後に、そちらに着替えていますよ」

「まさかとは思うけど、その格好のまま入浴しているのか?」

「いえいえ、この外殻は脱着が簡単に出来るみたいですので、ちゃんと一旦外してから入浴していますよ。元の姿の時は、お水は苦手でしたが、この姿だとお風呂もなかなか楽しいですね」

 たまよの回答に、ひとまず安堵した。一瞬、入浴していない、もしくは着物姿のまま入浴しているのかと焦ったが、そうでは無いようだ。

「それならば構わないんだが、そこまで仕組みが分かっているなら、何故他の服をねだらないんだ?昨日忘れ物を届けてくれた時も暑かったんじゃ無いのか?」

 そう聞くと、たまよは視線を少し上にあげて、何かを考えている様子になる。

「確かに暑かったですけど、正義さんに忘れ物を届けたり、怪我をした正義さんを安全な場所に届けることの方に必死でしたから」

 そして、罪悪感にかられるような言葉を口にした。

「諸々すまなかった……」

 表情や言葉に棘や威圧感はないため、怒っている訳ではないのだろうが、昨日叱られた時のことを思い出し、反射的に謝罪の言葉が出てしまった。その言葉に穏やかな声で、いえいえ、という言葉が返ってくる。

「それに、この暑さに適応出来ずに力尽きてしまうようなら、私はそこまでの存在だったというだけのことですし」

 たまよは、柔和な表情で鷹揚な口調のまま、さも当然と言うようにそう続ける。

 その言葉と同じような考え方は、俺も確かにしていた。

「まあ、もしもそうなってしまった場合、正義さんと繁殖できなかったことはとても心残りになるんですけどね……?苦い顔をなさっていらっしゃいますが、まだ傷が痛むのですか?」

「……いや、大丈夫だ。それよりも、目的地に着いたぞ」

 たまよの心配そうな表情をあまり目に入れないようにしながら、公園の様子を見渡した。暑さのせいで人影は少なかったが、一人ポツンとブランコを漕いでいる、紺色のワンピースを着たポニーテールの少女の姿が目に入る。手にした鞄から写真を取り出して見比べてみると、今回のターゲットで間違い無さそうだ。

 家を出る前に人事課長から、課長の知り合いだ、と伝えれば話が通るようにしておいた、と言うメッセージを受け取ってはいる。しかし、一人でいる子供に声をかけるのは中々リスクが大きい。

 どうしたものかと考えていると、こちらに気付いた少女がブランコを降りて、近づいて来る。そして、目の前に立ち止まると、大きな目をまるくして、不思議そうにこちらの顔を覗き込んできた。

「こんにちは。あの、何かご用ですか?」

「どうも。課長の知り合いの者なんだけど、少しいいかな?」

 その言葉が終わるか終わらないかの内に、少女はポニーテールを跳ね上がらせ、勢い良く最敬礼をした。

「いつも師匠がお世話になっております!貴殿がひがみん氏ですね!小生は繭子まゆこと申します!」

 そして顔を勢い良く上げて、色々と指摘したい点が満載な台詞を吐いた。

「まずは、ひがみん、では無くて日神だ。それと、師匠というのは……」

「あー、やっぱり繭子さんでしたか」

 こちらの言葉を遮るように、たまよが口を挟んだ。

「はい。いかにも繭子ですが、ひがみん氏、そちらの玉人は一体?」

 呼び方を訂正しようかと思ったが、人事課長の関係者ならば無駄な労力だと思い直し、早々に諦めた。

「妻のたまよだ。ところで、二人は知り合いなのか?」

 その疑問に繭子はこめかみの辺りに指を当てて、悩んでいたが、たまよの方は、笑顔で頷いた。

「はい、以前一緒に暮らしていたヒトのお子さんというのが、この繭子さんなんですよー」

「貴女の様な玉人ならば、忘れ物係も勤めている小生が、忘れることは無いと存じ上げるのですが……あ!ひょっとして、ダンゴムシの!?」

「はい、その節はお世話になりました。人に飼われると言う、貴重な体験が出来て楽しかったですよー」

「小生の方こそ、お世話になりました。たまよ女史のおかげで、夏休みの#宿敵__とも__#の自由研究を片付ける事が出来ました!」

 傍目から見ると、全く訳の分からない会話を繰り広げながら、たまよと繭子は頭を下げあっている。

 しかし、以前人の子供と暮らしていたとは聞いていたが、まさか人事課長の関係者だったとは、思いもしなかった。

「ところでひがみん氏、これから自由研究を手伝っていただけるとのことでしたが、課長職と言うお忙しいご身分の中、小生のためにお時間を割いていただけるとは、まことにかたじけない」

 そう言って繭子が深々と頭を下げてきた。しかし、そんなことは全くもって聞かされていない。

「……念のため聞くけど、それは人事課長からそう言われたのかな?」

「いかにも!師匠からの文に、そうありましたが……まさか、また師匠の早とちりだったのでしょうか!?」

 驚天動地という語を体現したらこんな感じだろう、という繭子の様子に力なく頷いた。なんと言うか、たまよとはまた別の方向性で脱力を感じる。

「だと致しましたら、誠に申し訳ない!ご夫婦のお時間に水を差すような野暮な真似は致しかねる故、小生はこれにて!」

「あ、待ってください繭子さん!」

「ぬんっ!?」

 走り去ろうとしているところをたまよがポニーテールを掴んで引き留め、繭子が奇妙な叫び声を上げる。いや、その止め方は問題があるだろう。

「放してくだされ、たまよ女史!小生は去らねばならぬのです!」

「でも、折角再会できた訳ですし、私からも正義さんにお願いしてみますから」

 ……何故か、二日続けて倒れそうな気分だ。まあ、別にこれといった予定はないし、帰宅中に浦元が直接何かをしでかしにこないとも限らないか。

「別に、協力しないとは言ってないだろ、取り敢えずどこか涼しい所に移動して、話を聞こうか」

 嘆息を吐きそう言うと、たまよは嬉しそうな表情を浮かべた。一方の繭子は……

「ありがたや!」

 ……そう言って、地面にひれ伏している。そうだろうとは思ったが、白菜を買った時のたまよの行動は、この少女からきていたか。

「取り敢えず、起き上がってもらえるかな。あんまり、目立つ行動をとると……」

「そこのお兄さん、ちょっと良いかな?」

 声のする方向を向くと、どこからどう見ても警察官と言った風貌の初老の男性が近づいて来ていた。

こういう事態を一番避けたかったのだけれども……

「はい、なんでしょうか?」

 無駄な抵抗だとは思うが、仕事で身につけた人に好印象を与える笑顔で答えると、初老の男性も似たような笑顔で話しかけてきた。しかし、身に纏っている空気はどこか張り詰めている。

「さっき、公園で不審な男女が女児に話しかけている、と言う通報があったんだけど、ちょっとお話を聞かせてもらえるかな?」

 ……話しかけてきたのは、その女児の方からなのだが……などという屁理屈を言っている場合では無いだろう。

「警官殿!まことに申し訳ないのですが、父上と母上はこれから小生とお出かけ故、機会を改めていただけるとありがたい!」

「夏休みの宿敵さんを片付けに行かないといけないんですよー」

 繭子は起き上がって警官にしがみつきながらそう言い、たまよも和かに鷹揚な口調でそれに続く。

 ……なにか話がややこしいことになった気がする。

二人してフォローをしてくれているのだとは、思うけれども。

 初老の警官は、二人と疲れた顔をした俺を交互に見比べてから、小さく頷くと、張り詰めた空気を解いて、笑顔で繭子の頭を撫でた。

「そうか、そうか。お父さんとお母さんとお出かけだったのか、邪魔してゴメンね」

「こちらこそ、御多忙の中にお時間を割かしてしまい、相申し訳ない。ご公務ご尽力くださいませ!」

 繭子の言葉に、初老の警官は笑顔で敬礼して去っていった。まあ、事なきを得たのは良かったのだが。

「……父上と母上、という呼び方は、どうかと思うのだけれも」

「まあ、良いじゃありませんか、事なきを得たんですから」

 脱力している肩を、たまよが軽く叩いた。警官が納得してくれたから良かったが、繭子の口調はなんとかならないのだろうか。

「相申し訳ない。しかし、自由研究を手伝って下さる御仁をしょっ引かれる訳にまいりません故」

 そう言って、繭子はこちらに向かって敬礼した。人事課長の関係者なのだからということにして、もう諸々諦めることにしよう。

「分かったから。で、自由研究の何を手伝えば良いのかな?」

 まあ、人事課長が口添えしていることや、たまよの観察をしていたことを考えると、昆虫採集の手伝いをしろということなのは予想がつく。

「はい!ドロハマキチョッキリを探すのを手伝っていただきたく!」

 ……ただし、予想以上にマイナーな虫をリクエストされた。

「……丘陵地まで脚を伸ばせば近い種類は見つかるかもしれないけど、見たがっている奴は今の時期だと、揺籃が残っているだけか、既に土の中に入っていることが多いと思うよ?」

「ならば、オオトビサシガメかヨコヅナサシガメを!」

「そんな危険な奴を子供が触ろうとするな!」

「しからば、ドウガネブイブイで!」

 そんなやり取りをしている最中、何気なくたまよの方に目をやると、手の平でパタパタと顔の辺りを扇いでいる。

「ともかく、そこそこの種類の虫が集まりそうな場所にまで行くことにしようか。でもその前に、駅前でたまよの夏服を用意してからでも良いかな?」

 その提案に、たまよは目を丸くしてから、扇いでいた掌を止めた。

「そんな、正義さん。私はこの外殻で大丈夫で……」

「合点承知の助です!コーディネートなら、師匠から色々教わっているので小生にお任せあれ!」

 否定しようとしたたまよも繭子の勢いに押されて、うう、と力なく呟いてから黙り込んだ。

「多数決の結果、決定だな」

「そんなに、勝ち誇ったようなお顔をなさらないでくださいよ……」

「流石ひがみん氏!師匠が言っていた通り変な所で大人気ない!」

「放っておけ!」

「ともかく、正義さんが楽しそうで何よりです……!!」

 ひとまず次の目的地が決まり、公園を後にしようとしたところ、たまよが急にうずくまった。

「どうした!?」

 慌てて駆け寄ると、たまよはその体勢のままで言葉を発した。

「すみません。私は既に夫がある身ですので……」

「何を訳の分からないことを言っているんだ……」

 焦りながらたまよの背中をさすっていると、足元に数匹のダンゴムシが周りをウロウロとしているのが見えた。

「ああ、今の時期もダンゴムシ達の恋の季節でしたね」

 その様子を見て、繭子が感慨深そうに頷く。

 このままにしておくと、拉致があかなくなりそうだ。

「……散れ」

 手をかざしてそう命じると、ダンゴムシ達はワラワラとたまよから離れていき、たまよがゆっくりと起き上がった。これで、ようやく出発できるか。

「かしこまりました」

 しかし、たまよまでフラフラとした足取りでどこかに行こうとする……ああ、もう。

「たまよは、側に居てくれ」

「かしこまりました」

 脱力気味にそう命じると、たまよは微笑みながら、腕を組んできた。その様子を見た繭子が、口に手を添えながら囃し立てて来る。

「よ!お二人さんお熱いですね!天にあっては連理の枝、地にあっては比翼の鳥!」

「あんまり、からかうなよ。しかも、組み合わせが逆だ」

「相申し訳ない!」

 脱力しながら腕時計を見ると、まだ正午にもなっていなかった。

 今日は、とてつもなく長い1日になりそうだ……

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