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ローリン・マイハニー!  作者: 田中 義男
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召し上がれ!

 今日もまた夢の続きだ。

 点々と黒いシミが広がる白い空間に、一人立っている。集合体恐怖症の人間が見たら、卒倒するような空間だ。幸いその様な恐怖症は持ち合わせていないし、他の誰かに見られるわけでも無いから、問題は無いだろう。

 そう考えていると、遠くからすすり泣く声が聞こえた。声のする方を見ると、制服姿の少女が一人、顔を覆って泣いている。その足元には、切り裂かれたキャンバスが転がっている。十中八九、嫌がらせだろう。

 自分には一切関係ないことだから、放っておけばいい。

 それでも、彼女に向かって歩みを進めてしまう。

そして、キャンバスを拾い上げる。美しい絵だと感じたが、切り裂かれているだけでなく、足跡にまみれているため、全体がぼやけている。

「……誰にやられた?」

 そうたずねると、少女は顔を覆っていた手を外して、目をこすりながらこちらを向いた。その腫れた目の周りには、青い痣のようなものがある。

 彼女は目をこすりながら、小さく首を横に振る。


 本人も、放っておけ、と示しているじゃないか。

放っておけばいいんだ。


 むしろ、放って置かなければいけなかった。


 それでも、気がつけば彼女に背を向け、蜂の群れを涙の原因となった場所に仕向けていた。遠くから、騒がしい声が響き、それが収まると救急車のサイレンがこちらに近づいてきた。

 自業自得だ。

 彼女がこの絵を描き上げるのに、どれ程の心血を注いでいたか知りもせずに、踏みにじった報いだ。それを見て笑っていたヤツも、黙って見ていたヤツも纏めて報いを受ければいい。

 きっと彼女も喜んでいるだろう。

 そう思って振り返ったが、いつの間にか彼女は居なくなっていた。

 目の前で起こっていることが、今起きている事なのか、過去に起きた事なのか朦朧としているうちに、地面と空のシミがジワジワと広がっていく。


「正義さん。朝になりましたよ」

 柔らかな声に目を覚ますと、タオルを手にしたたまよの姿が見えた。

「おはようございます」

 そう言って、額の汗を拭きながら微笑む。

「ああ、おはよう」

 挨拶を返して起き上がろうとすると、たまよはそっと手をどかした。

「今日も朝ごはんを用意しましたが、召し上がりますか?」

 ゆっくりと起き上がりながら、いただこう、と返すと、たまよは一礼してからダイニングに向かった。

 のそのそと、たまよの後を追って食卓に着くと、朝食のスープとサラダが用意されていた。そして、サンドイッチが乗った大皿を両手に持ったたまよが、上機嫌でこちらに向かって来る。

「今日はフルーツサンドと、白菜のスープと、白菜のサラダです」

 昨日の昼食に入ったフルーツパーラーでの食事が気に入ったらしく、帰り道に急遽買物をして帰ったため、なんとなく朝食のメニューの予想はついていた。

予想はついていたのだけれども……

「作ってくれたのはありがたいが、2斤分の食パンを使われると、流石につらいものがある」

「あ……申し訳ございません……作っているうちに夢中になってしまって……」

 そう答えた後たまよは、困りました困りました、と呟きながら、サンドイッチの皿を手にウロウロと歩き回り始めた。諸々言いたいことはあるが、この件に追及したところで、何ら意味は無さそうだ。

「まず落ち着け。それで、半分くらい冷蔵庫に入れておいて、昼食に食べるといい」

 そう伝えるとたまよは、かしこまりました、と一礼してから一旦キッチンに向かった。

 皿が鳴る音とラップを切る音が聞こえ、冷蔵庫の扉が開閉する音が聞こえた後、先ほどの半分程の量のサンドイッチを持って、たまよが戻ってきた。

「失礼いたしました。では、頂きましょうか」

「そうしよう」

 初めての洋風な食事だったが、味付けは悪くない。そんなことを思いながら、サンドイッチを頬張っていると、たまよが声をかけてきた。

「ところで正義さん。先ほど、食べるといい、という言葉がありましたが、正義さんはお昼ご飯を召し上がらないのですか?」

「ああ、今日は勤め先の面談、のようなものがあるから。一人で、出掛けさせてもらう」

 そう言って、次のサンドイッチに手を伸ばすと、寂しげな表情になったたまよが口を開いた。

「かしこまりました。そうおっしゃるということは、私がついていくとお邪魔になるのですね……ならお留守番をしています」

 ついて来たいと駄々をこねるかと思っていたが、意外にも素直な返事が帰って来た。

「大丈夫です。他の方と繁殖をしたとしても、正義さんがお決めになったことなら、致し方ありませんから」

 物凄く盛大な誤解と共に、だったが。

「待て、なんでそうなる?」

「夫が休日に、仕事だ、と言って出かける時には、繁殖行為が付きものだと、以前テレビで見たものですから」

 一体何の番組を観ていたんだよ……しかもあからさまにいじけた表情をしているし……

 しかし、今回ばかりは連れて行く訳にはいかない。

「信じる信じないは別として、別に恋愛感情を持った相手に会いに行くわけでは無い。連れて行かないのも、会社の人間に対して妻だと紹介すると、色々と手続きが面倒だからというだけだ」

 それに、会う相手が悪すぎる。

「かしこまりました……」

 たまよはそう言ったが、表情は相変わらずいじけたままだ。実に、面倒なことになった。

「そんなに心配なら、このサンドイッチを包んでくれ。そうすれば、自分の存在をアピールできるだろ?」

「はぐらかされている気もいたしますが、かしこまりました」

 そう言うとたまよは、若干不服そうな顔をしながら、サンドイッチに手を伸ばした。

 完全に納得はしていないようだが、とりあえずついて来る心配は無さそうだ。

 そう思って、油断したのがいけなかった。

「まさか、ひがみんが忘れ物するなんて思わなかったよ。しかも、この暑い中、昼間の公園に待ち合わせなんていじめだわ!」

「忘れ物の件は大変申し訳無く思っておりますが、思い違いでなければ、待ち合わせ場所を昼間の公園にしたのはそちらであった気がするのですが?」

 そう伝えると、待ち合わせの相手は、いっけね、と呟いて、自分の頭を軽く叩いて舌をペロリと出した。

 待ち合わせ相手は、黒髪のショートボブに、大きなサングラスを掛け、唇には深紅の口紅、服装は黒いミニスカートのワンピースで、黒い日傘を差している。年齢性別共に不詳な不審人物だが、一応、勤め先の人事課長だ。

「何か今すっごく失礼なこと思われた気がするけど、それは不問にしといてあげよう。ところで、さっきから手に持っている可愛い手提げ袋は何?」

 人事課長は、真っ赤なマニキュアをした指先で、手にしていたサンドイッチの入った手提げ袋を指差した。

「ただの、昼食ですよ。鞄に入りきらなかったので、手提げに入れてもらったんです」

 その言葉に人事課長は、顎に手を当てて、ふーん、と呟いてからニヤリと笑った。

「ヒモになったひがみんか……略してヒモみん★」

 凄く屈辱的なあだ名をつけられてしまったが、暑さと相手の人を食ったような性格のおかげで、否定する気力も出ない。

「もういいですよ、何でも。一応保冷剤も入れてもらっていますが、召し上がりますか?」

「そこまで言うのなら、頂いてあげよう!」

 そう言うと、人事課長はベンチに向かって歩き出した。その後に続こうとした時、背後から鷹揚な口調の声が響いた。

「正義さん。お忘れ物がありましたので、お届けに参りましたー」

 振り返ると、灰色の着物を来た人物が、封筒を手に小走りにこちらに向かって来た。間違いなく、たまよだ。その声に、人事課長も足を止めてこちらに振り向く。

「ありゃ?そちらの方が、彼女さん?」

 そして、ゆっくりとたまよの方に歩み寄り、しげしげと顔を覗き込んだ。表情は読み取れない。

「あ、夫がいつもお世話になっております。妻のたまよと申します」

 そう言ってお辞儀をするたまよを眺めた人事課長は、ふぅん、とかすかな声で呟いてから、こちらに向き直った。

「こら!ひがみん!休職中に結婚とかしたら、イレギュラー手続きが満載なんだから早く言わなきゃダメでしょ!」

 その口調は戯けた調子ではあったが、本心は読み取れない。

「大変申し訳ございませんでした。早くご連絡をと思っておりましたが、色々なことが重なってしまいまして」

 平身低頭に謝罪をすると、人事課長は腕を組んで、以後気をつけるように、と言っただけで、他に何かを仕掛けてくる様子はなかった。

 このままなら、何とか凌げるかもしれない。

「たまよ、助かったよ。ありがとう。これから、まだ少し会社の話があるから、先に帰っていてくれ」

「お役に立てて何よりです。では、私はこれで失礼させていただきますね」

 たまよは嬉しそうにそう言ってから、一礼して、公園の出口に向かって歩き出した。

 人事課長の方を見ると、笑顔で手を振っている。

「バイバイなりー」

 安心しかけたその時、人事課長の姿が一瞬視界から消え、次の瞬間、右手に痛みが走る。視線だけをたまよの方に向けると、こちらの様子に気づくこともなく進み続け、公園の敷地内からは抜け出していた。

「……仮にも役職持ちの社会人が、暴力に訴えるのはどうかと思いますが」

 たまよを狙って突きを繰り出した日傘を間一髪掴んで止めることが出来たが、傘を掴んだ右手が痛みを通り越して痺れ出してきた。

「まあ、ひがみんだけには、言われたくない台詞だよねー」

「……重々存じ上げておりますよ。ところで、狙いも去ってしまった訳ですから、一旦傘を下げていただけますかね?」

 人事課長は、ふん、と言いながら、ゆっくりと日傘を下ろした。傘の先から落ちた雫が、乾いた地面に赤黒いシミを作っていく。

「じゃあ、まあ一応、言い訳位は聞いてあげようかな?あの子自体からは、そんなに悪い感じはしなかったけど……」

 人事課長はそう言うと、一呼吸置いてから口を開いた。

「何を作ろうとした?」

 その声は、通常よりも数段低く、恐ろしい響きを持つものに変わっている。

「……ご依頼のあった件で……使役するためのモノを作ろうと……」

 言葉を詰まらせながらそう言うと、人事課長は、へぇ、と低い声で呟いた。

 そこから真っ赤な唇が何かを告げていた気がするが、痛みと暑さと緊張のためか、視界が渦を描くように回転している。

 気がつくと、目に映るのは深紅のペディキュアを塗って、ヒールの高いサンダルを履いた人事課長の足だけになっていた。

 どこかからかすかに響く、名前を呼ぶ声を聞きながら、ゆっくりと意識が遠くなって行く。


 サンドイッチをもう一つくらい食べておきたかったかな……

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