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ローリン・マイハニー!  作者: 田中 義男
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転がれ!

 気がつくと、また白い空間にいた。そう言えば、一度悪夢を見出すとしばらく同じような夢を見るんだったな。

 前回と違うのは、空に疎らに黒いシミが出来ているくらいか。

 何となくそのシミを眺めていると、幽かに人の姿が浮かび上がってきた。

 スカートを短くした学生服を着た複数の女子生徒達が、何かに視線を向けたあと、耳打ちをし合って、クスクスと笑い合いながら歩いている。視線の先には、大人しそうな女子生徒が独り、口を噤んで俯きながらトボトボと歩いていた。彼女の右目の周りには、青黒い痣の様なものがあった。先天的なものか、後天的なものかは分からない。

 何にしても、自分には全く実害がない出来事だ。

 ただ、見過ごしてはいけない気がした。

 ヒソヒソと笑う集団に向かい、こちらに気づかれないように、毒蛾を仕向けた。毒蛾に、顔の周りを飛び回るように命令を与えると、彼女達は鵯が喚くような悲鳴を上げながら、慌てふためいた。

 しばらくすると、喚いている中の数人の顔が歪に腫れあがり、無数の紅斑が浮かび上がった。

 因果応報だ。

 短くても数日の間は、痒みが収まらず、自分達が他人にしていた様な目に遭うことだろう。耳障りな悲鳴が響く中、大人しそうな女子生徒がこちらに気づき、困った様な表情を見せてから、軽く会釈をして小走りに去って行った。

 その姿を見送っていると、地面の所々に、黒いシミがジワジワと染み出て来た。

 数自体は決して多くはないが、そのシミは、こちらに近づくにつれて密度が高くなっていた。


「正義さん。朝になりましたよ」

 

 穏やかな声に目を覚ますと、たまよの顔が目の前にあった。

「朝ごはんの支度ができたのですが、召し上がれそうですか?」

 そして、寝汗で濡れた顔を手にしたタオルで拭きながら、微笑んで尋ねてくる。

「ああ、もう少し目が覚めたらそうする」

 ぼんやりとしながらそう伝えると、たまよは、かしこまりました、と屈めていた身を起こした。

「では、食卓でお待ちしていますね」

 そう言って、一度頭を下げてから寝室を出て行った。食事については、昨日の朝食と夕食で問題が無いことを確認できているから、少しは気が楽だ。

 軽く痛む頭を抑えながらダイニングに向かうと、たまよがいそいそと、食卓に2人分の朝食を並べていた。

「今日は、ご飯と、白菜のお味噌汁と、白菜のおひたしと、アジの開きと白菜のサラダですよ」

 昨日に比べて、品数が増えた気はするが、案の定白飯と主菜以外は白菜尽くしのようだ。

「ちなみに、ご飯は白菜と油揚げの炊き込みご飯です」

 ……もとい、アジ以外は全て白菜尽くしのようだ。

「どうなされましたか?」

「いや、夏場に白菜を2束買う羽目になった時は、食べきれるのか不安だったが、このペースなら問題ないだろうと考えていた」

 そう伝えると、たまよは赤面して、昨日は失礼しました、と小声で呟いて顔を伏せた。

 昨日の買い物の際、当初は1束でも若干多いかもしれないと考えていたのだが、青果コーナーを覗くと丁度2束の白菜が残っていた。

 たまよはどちらの白菜が良いか、15分ほど悩んでいたが、結局どちらにも決められなかったらしく、涙目になりながらこちらを見つめてきた。あまりにも困惑しているようだったので、出費が増えたとしても白菜一つ分くらいならば、大した問題でも無いことを伝えた。するとたまよは、喜びの表現なのか、こちらに向かってひれ伏して礼を述べ出した。おかげで、周囲を盛大にざわつかせてしまった。

「まあ、白菜が予定より多少増えるのは構わないが、こちらに向かってひれ伏したり、拝んだりは避けてくれ」

「はい……以後気をつけます」

 申し訳無さそうな表情をして、肩をすぼめる姿を見るに、反省はしているのだろうから、これ以上追及はしないでおこう。

「そうしてくれ」

 そう言って椅子に座り、たまよにも席に着くように促して食事を始めた。しばらくはお互い会話もせずに、黙々と食事を続けていたが、不意にたまよが声をかけてきた。

「そう言えば、2日続けて朝に起こしてしまいましたが、問題ありませんでしたか?」

「特に問題はないが、急にどうした?」

「いえ、ヒトの大人は、お休みの時には、お昼過ぎまで寝ているのものだったことを思い出しましたので……折角のお休みならゆっくりなさっていたかったかなと」

 そう言ってから、たまよは白菜のサラダを正しい箸づかいで掴み上げ、口に運んだ。

「ああ、そういう人間も多いようだが、起こしてくれてかまわない。それに、今日は丁度副業の方で出かける用事があるから」

 問いに答えてから味噌汁に口をつけ、壁にかけた時計に目をやると、7時15分を示していた。待ち合わせ場所は、ここから30分程度あれば着く距離で、待ち合わせ時間は正午。仮にまだ眠っていたとしても充分間に合うが、取引相手に寝起きに近い顔で会うのは流石に失礼だ。たとえ、後ろ暗い取引だとしても。

「今日も、お出かけですか?」

 白菜を嚥下したたまよが、目を輝かせて此方を見つめてくる。どうやら一緒に来たいようだが、どうしたものか。

昨日の生活ぶりを思い出してみると、青果コーナーでひれ伏したこと以外には目立った違和感も無かったことだし、1人にしても問題はないだろうけれども。

「今日も、お出かけですか?」

「……大事なことなのかもしれないが、2回も聞かなくていい」

 こうも期待に満ち溢れた目を向けられると、断った時の罪悪感が鬱陶しいか。それに、ヒトの形をした蠱物を連れているとなれば、相手に威圧感を与えられもするだろう。

「10時半までには家を出るから、それまでに支度と、午前中の家事を終えておくように」

 そう言いつけると、かしこまりました、と眩しいばかりの笑顔が帰って来た。不安が全く無いわけではないが、昨日の買い物の道中も大丈夫だったのだから、きっと問題無いだろう。


「で、自分からついて来たがっておいて、何でこういう状態になっているのか?」

「申し訳ありません……」

「謝罪して欲しい訳じゃなくて、理由を聞いているんだけど?」

 電車内では全く問題なかったたまよだったが、待ち合わせ場所の最寄駅の改札を出た途端、慌てて近くの柱に近づき、そのままうずくまってしまった。

「想像していたよりもヒトが沢山いたので、踏まれてしまわないか不安で……」

 その答えに、思わず溜息が出た。

 電車内は平日の昼間ということもあり肩がぶつからない程度には空いていたが、首都の中心地にある複数の路線が集まる駅ということで、改札の外はどの時間帯もそこそこの人混みだ。確かに、ダンゴムシにとっては恐怖なのかもしれないけれども……

「今の姿だと、その格好の方が踏まれる可能性が高いと思うんだけど?」

「そうなんでしょうけれど……体が本能的に不随意運動を発動しているようで……」

 何故、微妙に小難しい言い回しをするんだ、このダンゴムシは。

「良ければ、このまま目的地まで転がして行っていただければ……」

「この人混みのなかで、そんな不審なことできるか。まったく、良いから行くぞ」

 そう言って溜息まじりに、何とかたまよを立ち上がらせ、手を握った。

「周囲からは迷惑がられるかもしれないが、手を引いて歩けば少なくとも踏み潰される不安は減るだろう」

「重ね重ね申し訳無いです……あ」

 不意に、たまよが何かに気づいたような表情をした。

「どうした?どこか痛むのか?」

「いえ、それは大丈夫なのですが……ヒトの男性が手を握って下さるということは……求愛行為?」

「下らないこと言ってないで、速く歩く!」

 またしてもロクでもない質問に声を荒げると、ですよね、と言う苦笑いが返ってきた。

 まだ、目的地についていないと言うのに、既に疲弊している気がする。なんだか、もう帰りたくなってきたが、我慢するとしよう。


 手を引きながら五分ほど歩き、待ち合わせ場所に着いた。そこはコンクリート打ちっ放しで、机なども一切ない殺風景なレンタルスペースだった。窓は一切無く、備え付けの時計も無いため、時間の感覚がおかしくなる。

 腕時計を確認してみると、11時55分を示していた。

「正義さん、今日お会いする方は、どんな方なんですか?」

 不意に袖を引かれて振り向くと、たまよが不安げにこちらを見つめている。相手に威圧感を与えるために連れて来てはみたが、少し可哀想なことをしたか。

「昔上司だった人間だが、大したやつでは無いから、そんなに心配することはない」

 不安を和らげるためにそう告げたところ、入口のドアがゆっくりと開いた。そして、中背中肉のスーツ姿の男性が現れる。特にこれと言った特徴のない顔立ちに、愛想笑いが浮かぶ。

「やあ、業務中に悪いね日神。元気そうで何よりだよ。相変わらず、キチッとした格好してるな」

「お久しぶりです浦元課長。そちらこそ、お元気そうで何よりです」

 こちらも、愛想笑いを浮かべて社交辞令を交わす。

「で、早速なんだけど、今回の件、首尾のほうはどうかな?」

「ご期待していただけるのはありがたいのですが、先日ご依頼を頂いたばかりなので、恐れ入りますがまだ準備段階なのですよ。仕事の遅い人間で、申し訳無いです」

「またまた謙遜しちゃって、部下の中では君が1番仕事ができたじゃないか。まあ、それはさて置き、頼まれていた、お願いしたい相手の顔写真と住所とかを持って来たよ」

 そう言いながら、浦元は鞄を開け、封筒を取り出してこちらに差し出した。受け取って中身を軽く確認すると、依頼した物が揃っていた。

「確かに受領いたしました」

「じゃあ、宜しく頼むよ。ところで君の隣にいる……」

 途端に、浦元の顔が怪訝な表情になる。後ろ暗い取引の場に似合わない女性がいるのだから、怪訝な顔にもなるだろう。

「……うずくまっている女性は誰だい?」

 まさか、こちらまで怪訝な表情になるとは思わなかったけれども。

 たまよの方を見ると、いつの間にか膝を抱えてうずくまっている。

「初めまして。妻のたまよと申します。夫がいつもお世話になっております」

 そして、こちらが説明する前に、事態をややこしくするような発言する。膝に顔を埋めているため、何とも間の抜けた声になっているし……

「妻?いつの間に結婚したんだ?」

「一昨日の晩です」

「へえ……あの、モテるけど他人(ひと)に深く興味を持たなかった日神がか……」

「はい。ちなみに、ダンゴムシにも興味が無いそうです」

「え?ダンゴムシ?」

「はい。転がる姿なんかは、ヒトのお子さん達には大人気なんですけどね」

 なにか、とてつもなく訳の分からない会話が繰り広げられているし……事態を終息せるためにも、浦元にはお帰りいただこう。

「ああ、彼女の言うことは気にしないでください。最近使役し始めたのですが、まだ色々なことに慣れていなくて。それよりも、浦元課長。あまり長居をすると、会社の方にご心配をかけてしまうでしょうから、本日はこの辺りで」

 そう言うと、浦元は首を傾げながらも、じゃあまた後日、と言って部屋を出ていった。礼をしながら見送り、扉が閉まった音を聞いてからゆっくりと頭をあげると、たまよもゆっくりと起き上がった。

「行ってしまわれましたね」

「行ってしまわれましたね、じゃないだろ。急に何をしているんだ?」

 脱力しながら尋ねると、たまよは苦笑して頬のあたりを掻きながら答える。

「申し訳ありません。つい、元の姿の時の癖で、意にそぐわない男性の近くだと、こうなるみたいなんですよ」

「確かに、好ましい類の人間では無いな」

 臆病な生物をこんな所に連れて来ている奴が、他人のことは言えないか……

「それよりも正義さん。お腹が空いてしまったのですが、さっき通り道で拾った小枝をいただいても良いですか?」

 軽い自己嫌悪に襲われそうになっていたところ、たまよの発言のおかげで、代わりに脱力感に襲われた。いつの間に拾ったんだ、そんな物。

「それは止めてくれると助かるんだけど……さっきの封筒に、前金が少し入っているから、どこかで食事をすることにしよう。ほら、行くぞ」

 溜息を吐きながら手を差し出すと、かしこまりました、と言う返事とともに、手が握り返された。

 こちらに向かう時にはあまり気にならなかったが、その手の感触は柔らかく温かだった。

「……これは、デェトというものなのですか?」

「いいから行くぞ!」

 まだ12時台だと言うのに、たまよの行動や発言による脱力感で疲労が蓄積されている気がするが、副業から帰る際の不快な感覚よりはマシだ、ということにしておこう。

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