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ローリン・マイハニー!  作者: 田中 義男
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群がれ!

 昨日も足を運んだ駅に、今日は一人でやって来た。腕時計を確認すると、指定された時刻の15分前になっている。辺りを見渡してみたが、浦元らしき人物は見当たらない。

 流石に監視カメラがあるような場所で事を仕掛けて来るとは思えないが、昨夜のことを考えると事故を装って線路に突き飛ばして来る可能性は充分にあるか。ならば、ホームにはあまり長居しないほうがいいな。

 地上への階段を登り改札を出て、構内の喫茶店に入った。喫煙席と禁煙席が分かれていないため多少煙いが、少し時間を潰すくらいなら問題は無い。

 店員が運んできたブレンドコーヒーに口をつけると、少し傷痕が残った掌が目に入った。痛みはすでに無く血が滲むことも無いが、薄っすらと赤くなっている。咄嗟のことだったとはいえ、我ながら無茶をしたものだ。そんなことを思いながら、コーヒーを更に一口飲んだ。

 コーヒーを飲み終える頃、スマートフォンに着信があった。会計を済ませ店の外に出てから画面を確認すると、見知らぬ番号が表情されていた。ただ、電話の主は浦元で間違いないだろう。

「はい、日神でございますがどちら様でいらっしゃいますか?」

 わざとらしく馬鹿丁寧に出ると、軽い舌打ちが聞こえた。

「誰かは分かってたんだろ?それよりも、電話は3コール以内に出ろよ」

 相手は案の定、浦元だった。酷くイラついた口調でビジネスマナーを説いているが、人に何かを指摘する前に自分の行いを省みて欲しいものだ。

「おい、聞いてるのか?」

「ああ、すみません。余りにも不愉快な雑音が聞こえてきたため、思わず気が遠くなっておりました」

 軽く挑発してみると、再び舌打ちの音が聞こえた。眉間にしわを寄せた安っぽい脅しの表情が目に浮かぶ。

「まあいい。今から言う場所に、必ず一人で来い」

「念を押さなくても、一人ですよ。それよりも、さっさと場所を教えてもらえませんかね?不審人物に妻を人質に取られているので、早く家に帰りたいもので」

 人事課長がたまよの側に居ることを匂わせてみると、軽いうめき声が聞こえてきた。どこに潜り込んでいるのかは知らないが、これでたまよに危害を加えに来ることは無いだろう。

「……ともかく、今から指定する場所に向かえ」

「かしこまりました」

 浦元は商業施設の名前だけ口にすると、通話を一方的に切った。流石にそこで待っているとは考え辛いため、何度かに分けて道案内をするつもりなのだろう。しかし、メールで連絡が来るようであれば、すぐに警察と人事課長に転送してやろう思ったが、そこまで軽率な行動を取らないか。

 炎天下の中、何度か駅の東西を往復させられたが、最終的に露地に面した雑居ビルにたどり着いた。電話越しの声に促されてビル内に入り、立ち入り禁止と書かれたバリケードを越え地下に続く階段を下りる。

 地下に降りると、薄暗い廊下に窓のない扉が並んでいた。切れかかってはいるが蛍光灯がついていることから廃墟では無いようだ。しかし、電話からの雑音以外は何の物音もしない。

 浦元は扉の番号を告げると、通話を切った。

 意を決して脚を進め、指示された扉を開けると、照明が落とされた部屋の中央に、ディスプレイが煌々と光るスマートフォンが落ちている。ここまで来い、ということか。

 間違いなく罠だろうが、室内に足を踏み入れスマートフォンの側まで進む。背後から重い扉がゆっくりと閉まる音が聞こえ、灯りが段々とディスプレイのみになっていく。スマートフォンの側にたどり着くと、室内の灯りは完全にディスプレイのみになった。

 しばらくスマートフォンを見つめていると、ディスプレイが輝きを増して、大音量の着信音が室内に反響した。おそらく、暗闇の中で正確な顔の位置を知るために拾わせたいのだろう。さすがに銃は所持していないと思うが、そこまで乗ってやるのは危険すぎるか。

 身をかがめてスマートフォンを拾うふりをしながら、裾にしのばせた蜈蚣に、浦元の元に向かうように小声で命令を与えた。

 スマートフォンの光に照らされ、蜈蚣が素早く床を這って、俺の正面へ向かって行くのが目に入る。

 正面?

「うわっ!?」

 すぐそばで短い悲鳴が聞こえた。咄嗟に顔を上げると、スプレー缶を構える手だけが見える。マズい。

「囓……っ!!」

 蜈蚣に命令を与える寸手でスプレー缶が噴射された。

 咄嗟に後方に跳びのきはしたが、かなりの量の薬剤を吸い込んだらしく、呼吸が苦しい。

 うずくまり咳き込んでいると、周囲が俄かに明るくなりながら、回転していく。

 いつの間にか倒れこんでいたらしく、蜈蚣を踏み潰しながらこちらに近づく革靴が見える。回転する視界の中でなんとか上を向き視点を定めると、下卑た笑みが浮かんでいた。

「いい様だな、日神」

「……ぐっ!!」

 治ったばかりの右手を踏み抜かれ、痛みに声が漏れてしまった。

「ああ、悪い悪い。虫かと思ったら手だったみたいだな。まあ、どちらでも変わらないか」

 不快な声がすると同時に、みぞおちに蹴りが入る。何とか声をこらえたが、それが気に障ったらしく、浦元は眉間にシワを寄せながら側頭部にゆっくりと足を置いた。

「前回も今回もお前が裏切ってくれたおかげで、俺の人生は台無しになってるんだけど、どうしてくれるの?」

 知るかそんなこと。こっちは目眩と呼吸困難でそれどころではないんだ。

 そう思いながら視線を向けると、眉間にシワを寄せた顔が近づいてくる。

「なんだその反抗的な目は?一回裏切っても許してやった恩人に向かって、随分な面をするじゃないか」

 側頭部に置かれた足に体重がかけられ、圧迫感が目眩に拍車をかける。

「でも、俺も優しいからな。命乞いでもしたら、許してやるかもしれないぞ?こんな都会じゃ、用意した虫以外は使えないだろ?」

 あまりの浅はかな発言に、思わず嘲笑がこぼれてしまった。

 ここまで思慮が浅いのなら、台無しになったという人生でもさぞ楽し……

「そのクソ生意気な薄ら笑いをやめろ!」

「っ!?」

 口に出さずに挑発していたが、それでも気に障ったらしく、眉間のシワの深さと、足にかけられる体重が更に増す。

「前々から、お前のすました面が気に入らなかったんだよな。いい機会だし、潰しておくか」

 下卑た笑いと共に、頭から足がゆっくりと放された。

「……それは……御免被……りた……いで……すね」

 ベラベラと喋っていてくれたおかげで、声がなんとか出せるくらいには呼吸が落ち着いてきた。

「へえ?じゃあ、何か言うことがないか?」

 言うことか……ひとつしか思いつかないな。





「……群がれ」





「は?」



 こちらの言葉に、浦元が間抜けな表情をうかべた。しかしその表情は、背後から聞こえるカサカサという音によって、恐怖に変わっていった。

「あぁぁぁぁぁ!?」

 振り返った浦元は、情けない悲鳴をあげながら殺虫剤を振りまいているが、通気口からひっきりなしに押し寄せる黒と茶色の波に対しては、多勢に無勢だろう。

「離れろ!?離れろ!!」

 ついにはスプレー缶の中身を使い切ったようで、腕や脚を必死にはたいているが、次第に身体が黒と茶色に染まっていく。

 不意に、バサバサと音を立てながら、黒い塊が浦元の顔にとまる。

「ぎゃぁぁぁぁぁああぁあ!……がっ!?」

 うるさい悲鳴と足音の後に、衝突音と何かが倒れる音がした。

 視界が遮られ、錯乱が最高潮に達したらしく、浦元は部屋の奥へ走って行き、壁にぶつかって倒れたようだ。軽く顔を動かして様子を見てみると、カサカサと音を立てる黒と茶色の塊が床に転がって痙攣していた。

 ひとまず人事課長から依頼された、命に別状が無い範囲でうぎゃあと言わせる、ということは完遂できた。しかし、殺虫剤を一缶使い切ってくれたおかげで、せっかく落ち着いてきた呼吸が、また少し苦しくなってしまった。目眩もまだ治らない、咳込む度に蹴られた場所と踏みつけられた場所が痛む……浦元が目覚める前に、せめて外と連絡だけでも取りたいが、こんな状態ではどうしたものか……

 咳込みながら途方に暮れていると、床に虫とは違う黒い毛羽が生えているのが見えた。

 その毛羽は徐々に長さを増して、盛り上がっていく。しばらく見つめていると、目を瞑った女性の顔が現れた。

 異様な光景ではあるが、見覚えのある光景だ。ただ、前回とは髪型が違い、首にはやけに飾りの大きなチョーカーを付けている。

「なんだ……三輪……か」

「今回は驚かないんですね、日神課長」

 三輪は若干不服そうな顔をしてそう言った。

「……生きていてく……れたことが分かっ……たから」

 咳込みながら答えると、三輪は頬を膨らませた。

「勝手に殺さないでくーだーさーいー!ところで、さっきから視界の端に黒い塊が動いていて、心なしかカサカサ音がしているような気がするのですが……まさか?」

「都会にいる……薬剤に……強い虫」

 人事課長が昨夜、作戦名ブラックダイヤモンド、と名付けていたが、作戦名を伝えなくても何かは分かったらしく、三輪の表情から血の気が引いていく。

「さすが日神課長、やることがえげつない……」

 ……特殊メイクで吉田と月見野部長の頭から生えてきた挙句に、迫真の演技を繰り出す奴に言われたくはないのけれども。

 そうは思ったが、反論を口にだす暇もなく咳が出続けている。

「だいぶお辛そうですね?」

 咳込み続けていると、三輪は心配そうに眉をひそめて首を傾げた。

「ま……あな……し……かし」

「……一年前の事を考えると当然の報いだ、とか思いましたか?」

 怪訝そうな表情に向かって咳き込みながら頷くと、三輪の表情が今度は呆れたようになり、小さくため息を漏らされた。

「またそうやって面倒臭いこと言って。本人がもう気が済んだって言っているんですから、これ以上引きずらないで下さいよ。それに、事情はうちの部長から教えていただきましたから」

「……すまなか……った……っ!」

 咳き込みすぎて喉の奥が少し切れたらしく、咳を受けた手に薄く血が付いた。

「日神課長!?しっかりして下さい!」

 三輪にもその血が見えたようで、目を見開いて慌てている。軽く切れただけだとは思うが、咳による疲労と痛みでかなり体力を消耗しているのも事実だ。

「奥様も帰りを待っているんでしょ!?」

 ……そうだ、絶対に水族館に連れて行くとたまよと約束したんだった。

「三輪……」

 一瞬、三輪に救援を呼んでもらおうかとも思ったが、すぐに諦めた。最寄りの駅名を伝えることはできるが、詳しい住所は分からない。ここまでの道のりを説明するにも、説明し終えるまで意識が持つかどうかも怪しい。

 こちらの考えていることが伝わったのか、三輪は急に得意げな表情を浮かべた。

「大丈夫だよ!日神課長!」

 そして、やけにクオリティの高い物まねを披露しながら、効果音を口ずさんだ。

「社長の思い付きシリーズNo.30!デストピアへまっしぐら!人の気持ちと居場所がスマホで分かるチョーカー!を付けてきていますから」

 ……位置情報と心拍数と体温あたりを送信して、居場所とおおよその感情を送信する仕組みなのだろうけれども。

 社長め、また需要のありそうな製品に厄介な名前を付けて。この商品名じゃなければ、公共施設にも話をしに行きやすい商材になるはずなのに…

「ふっふっふ、奥様の話題と社長への憤りで少し表情に生気が戻ってきましたね?ちなみに、今日はうちの部長と課長が企画した実運用に耐えられるかのテストをしているので、そろそろ援軍が来る頃ですよ」

 不敵に笑う三輪の言葉と共に、入口の扉が勢いよく開く音がした。

「日神課長!お待たせいたしまし……きゃぁっ!?」

「吉田!?何があっ……うわぁ!?」

 扉の方向から、部下二人の悲鳴が聞こえた。俺の身を案じたのか、浦元の惨状を見たからなのかといえば……

「日神課長……いくらなんでもこれは……」

「さすがジャスティス・日神……やることが容赦ない……」

 ……後者の方だろうな。早川と吉田は入口で足が止まってしまったようだ。まあ、無理もないか。

 というか早川め、誰がジャスティス・日神だ。

「このくらいで怯まない!術者が意識を保っているうちは散らばることは無いから、さっさと日神を回収して、病院に連れて行きなさい!」

 怯む二人の後方から、管理部長の声と低めのヒールを鳴らす音が近づいてくる。その音に二人の足音が続く。

「さて、じゃあ援軍が来たようなので、私は通常の業務に戻りますね」

 そう言って微笑むと、三輪は床に吸い込まれるように消えていった。それと入れ替わるように、管理部長の顔がこちらを覗き込む。

「良くやったわね日神。後のことは私とアイツでどうにかするから、後は復帰までの期間でゆっくり休みなさい」

 無表情にそう言うと、管理部長は浦元の方へ歩みを進めた。

「では、救急車をお呼びいたします」

「デストピアへまっしぐら!人の気持ちと居場所がスマホで分かるチョーカー!のおかげで、住所もばっちり分かったんで大丈夫っすよ!」

 良かった。これで、たまよとの約束は破らずに済みそうだ。

 安堵とともに、意識が遠のいていく。

「そうそう、二人とも。この手の呪術はよほど強いものじゃない限り、術者が気を失ったりすれば解けてしまうことが多いから、日神の意識があるうちに少なくともこの部屋からは出た方がいいわよ」

 管理部長が的確な指摘をする。

「ほ、本当ですか!?日神課長!あと少しだけ頑張ってください!」

 吉田の焦る声が聞こえる。

「日神課長!気は失ってもいいので、意識だけは保ってください!」

 早川が混乱極まった発言をしている……そんな器用なことできるか、このバカ。

 朦朧とした意識の中で、悲鳴を上げる二人に猛スピードで引きずられていることだけは分かった。

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