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ローリン・マイハニー!  作者: 田中 義男
19/28

遡れ!

 たまよと吉田を連れ、席が半個室になっているカフェまで移動してきた。隣にたまよ、向かいに吉田という順で座っている。さて、どう話を切り出したものか。

「先ほどは取り乱してしまい、大変失礼致しました。また、奥様へのご挨拶が遅れてしまい、誠に申し訳ございません。私は、日神課長の部下の、吉田よしだ まいと申します」

 少し冷静さを取り戻したのか、吉田が真剣な表情でたまよに向かい頭を下げた。たまよも、笑顔で会釈を返す。

「改めまして、妻のたまよです。夫がいつもお世話になっております」

 こちらこそ、と小さく呟いた後、コーヒーを勢いよく一口飲んで、吉田は視線をこちらに向けた。

「日神課長、色々ご説明頂きたいことはございますが、事前準備もせずにご説明なさるのは心許ないでしょうから、私の質問にお答えしていただきたく存じます」

 憎悪がこもっているわけでは無さそうだが、その視線は目から決して外れない。少しでも論点をずらしたりすれば、直ぐに軌道修正されてしまうだろう。全く、上司としては頼もしい限りだ。

「分かった。まず何から聞きたい?」

「まずは、姉との関係をお願いします」

 いきなりその質問か……まあ、覚悟はしていたけれども。

「端的に言うと、恋人だった。もっとも、高校時代の事だから、20年近く前の話だけれどもな」

 回答に対して吉田が、そうですか、と伏し目がちに呟く。そして、再び視線を上げてこちらを見つめた。

「まだ幼かったので、うろ覚えではあったのですが、姉の部屋に一時置いてあった肖像画は、やはり日神課長でしたか」

「……だろうな。コンクールに向けて描いていた油彩画の息抜きに描いた、とは聞いていた」

 しかし、絵心が皆無な人間から見たら、息抜きと言うには精度が高すぎるようにも思えた。そう言えば、一度書類に貼った伝言メモにヒヨコの落書きをして三輪に提出してみたら、あまりの酷さに怒りを通り越して恐怖を覚えた、と言われたこともあったな……

「そのような仲だったのでしたら、姉の最期についてどこまでご存知ですか?」

 現実逃避気味に下らない事を思い出していると、吉田が真剣な口調で本題と思われる話題を切り出した。

 どこまで知っているか、か。

「……まあ、俺が殺してしまったようなものだから、それなりには知っているよ。あまり楽しい話でも無いけど、それでも聞きたいの?」

 自嘲気味にそう答えると、吉田の目が見開かれる。拳を握りしめて、肩を震わせる吉田を心配そうな顔でたまよが見つめる。

「……はい。その件について、両親からも詳しいことは教えてもらえませんでした。でも、知りたいんです。優しかった姉が急に居なくなってしまった理由を」

 大型案件から手を引かせようとした時でさえ見られなかった責めるような視線が、こちらに向けられる。しかし、それも当然のことか。

「なら話そうか。19年前の10月の始め、幸絵ゆきえ……君のお姉さんは、件のコンクール向けの油彩画の仕上げに入っていた。夏休み直前から手がけていたらしいが、最終調整だと言っていつも遅くまで美術室に残っていたから、邪魔にならないように読書なり勉強なりしながら作業を終えるのを待って、一緒に帰る日が続いていた。完成した日なんかは、20時近くまで残っていたな」

 校舎の周辺は針葉樹の林に囲まれていて、幹線道路からも少し離れていたため、昼間でも薄暗く、生徒や教師以外の人通りはほぼ無かった。ましてや、日が沈んだ後など、言うまでもない。そんな場所を一人で帰らせる訳にもいかない。

 それに、何よりその絵が完成して行く様子と、幸絵が絵を描いる姿を見ていたかったし、完成の瞬間に立ち会って二人で笑い合えたのは幸せだった。

「それは……ありがとうございます」

 吉田が責めるような視線と握り締めていた手の力を緩める。その様子に、たまよが小さく安堵の溜息を漏らした。

「気にするな……それよりも、話を続けようか。油彩画が仕上がった翌日、昼休みに美術室の前を通りかかった時に、君のお姉さんが泣いているのを見かけた。事情は話してもらえなかったが、足元に転がっているキャンバスの残骸で大体のことは分かった」

 悪夢に何度も現れる、切り裂かれ踏みにじられた淡い色彩で満ちていたはずのキャンバスと、泣いている幸絵。思い出すだけで頭痛がする。

 こめかみを抑えていると、たまよと吉田から不安げな視線が向けられた。

「……大丈夫ですか?日神課長」

「……問題ない。その後、キャンバスを引き裂いた連中のいる教室に向かって、スズメバチの群れを向かわせた。感情に任せていたから、主犯者以外にも少し被害が出たらしいが、見て見ぬ振りをしていたのなら同罪だと思った」


 その時はそれが最善だと思っていた


「姉がそれを望んだのですか?」

 射抜く様な視線を吉田が向ける。 

「……その日の放課後に美術室で軽い口論をした後、そんな事は望んでなかった、とハッキリ言われたよ」

 今の吉田と、まったくもって同じ表情で。

「その後、幸絵は一人で帰って行った」


 後をすぐに追えば良かった


「少し頭を冷やしてから、俺も学校を出た」


 口論などしなければ良かった


「校門を出てしばらく歩いていると、道路に何かが横たわっているのを見つけた」


 一人にしなければ良かった


「横たわっていたのは幸絵だった」


 呪いなど使わずただ傍にいれば良かった 


「轢き逃げに遭ったらしく俺が駆け寄った時にはもう手遅れだった」



 幸絵を殺したのは俺だ



「……事情は分かりました。お話ししていただき、ありがとうございます」

 目を伏した吉田が、深々と頭を下げる。そして、ゆっくりと顔を上げ、こちらに視線を戻した。責めるような色は、消えている。

「お話を伺った限りですと、確かに日神課長ならば、ご自分を責めてしまわれるでしょうね」

 吉田は、でも、と呟いて一呼吸置いた。

「月並みな言葉ではありますが、姉はそんな事、望まないと思いますよ。姉が家で日神課長の肖像画の仕上げをしていた時、とても優しい表情をしていましたから」

 そうだと良いのだけれどもな。

 不意にたまよから、きっとそうですよ、と言う柔らかい口調の呟きが聞こえた。吉田も同意するように軽く頷く。

「では、次の質問ですが……既に答えの予想は着きました。私の作成した書類を作り直してミスの多い物にしていたのは、私を一人にしないためだった、いうことでよろしいですよね?」

 そして、次の質問を口にした。

相変わらず、人の目をまっすぐ見ながら、答えづらいことを聞くやつだ。一瞬だけ、はぐらかす、という選択肢が頭によぎったが、たまよが真剣な表情でこちらをみて小さく首を横に振っている。仕方ないか。

「そうだな」

 姉妹と言うだけで、全く別の人間であると理解はしているつもりだった。ただ、一人にして、もしも吉田が幸絵のような嫌がらせに遭い、同じような最期を迎えてしまったらと思うと恐ろしくて仕方なかった。側にいて、今度こそ守りたい、などと思い上がったことを考えていた。

「でしょうね。もしも、ご自分の成績のことだけをお考えでしたら、お客様への訪問時にサポートでついて来て下さったりしないでしょうし、ましてや今後のアドバイスなんてしないでしょうから」

 吉田は淡々とそう言って、コーヒーを一口飲む。

「ただ、ロシアン醤油差しの案件についてだけは、少し勝手が違っていたように思えたのですが?」

 質問する表情に、若干の困惑の色が浮かぶ。この様子なら、何故そう思ったかを問い返せば、話をはぐらかして、真意を語らず済ませるのは容易だろう。ただ、たまよがそれを制止する様に、また小さく首を横に降る。

「ただの嫉妬と独占欲だよ」

 コーヒーを一口飲み短く告げると、吉田が更に困惑の表情を深める。

「嫉妬?」

「ああ。君に好意を持っていたが、伝える前に君は他の人の所に行ってしまった。そのきっかけと、同じきっかけで君が独り立ちして行くと思うと、酷く淀んだ気分になったからだ」

 吉田は、そうですか、と呟いてコーヒーカップに口をつける。そして、残りのコーヒーを飲み干し、困惑の表情を消して視線を合わせてくる。

「好意を持っていただいていたのは、ありがたく思います。でも、それは私個人に対してでは無く、私に見える姉の面影に対してだったんですよね?」

 察しの良い部下で、なんとも助かることだ。

「まあ、そうだろうな」

 結局の所、守りたいなどと自分に言い訳をして、幸絵の面影を独占したかっただけ、だったのだろう。その結果、幸絵を悲しませた嫌がらせと同じ事を自分がしてしまった。それでも最終的な結末が、幸絵の時と違ったことは救いか。

「申し訳なかった」

 テーブルに鼻先がつくかつかないかの距離まで頭を下げて詫びると、頭上からひっくり返った吉田の声が聞こえて来た。

「日神課長!?ささささ、最敬礼で謝らないでくださいよ!!頭を上げてください!」

 ゆっくりと頭をあげると、吉田が慌てた表情をしていた。姿勢を正すと、吉田は軽く咳払いをしてから、視線をこちらに戻した。

「ロシアン醤油差しの案件については、最終的にやり遂げることが出来ましたから、これ以上何も言う気はありません」

「そうか、良くやったな」

 遅くなりすぎたが、本来かけるべきだった言葉を伝えると、吉田から笑みが零れた。

「いえ、私一人の実力では無く、色々な方に協力していただきましたし、日神課長からも日頃ご指導をいただいていたから、なんとかやれたんです。ありがとうございました」

 まさか、礼を言われるとは思わなかった……

 しばらく面食らっていると、吉田はたまよの方を見てから、再び困惑した表情になり、質問を更に続けた。

「姉の面影を求めていたことについてですが……奥様とご結婚なさったのも、姉と良く似ているから、なんですか?」

 今までの質問の中で、一番答えづらい質問が来てしまった。そうではない、とは口が裂けても言えないが、そうだとも言い切れない部分もある。

「外見が似ていると言うのは、紛れもない事実だが……正直なところ自分でも分かりかねている」

 頭の中を整理するために、コーヒーを一口飲んでみたが、それだけで効く程度ではないようで、自分でも納得の行く答えがまったくもって見つからない。

「そんなに似ている方だったのですか?」

 不意にたまよがこちらを向き、キョトンとした表情で首を傾げる。

「ああ、そうだな」

 目の周りのアザが無いことと、俺より少し下くらいの見た目年齢になっていることを除けば、吉田が驚愕する程に似ている。たまよは、そうなんですか、と鷹揚な口調で答えてから、幸せそうな表情でハーブティーを口にした。気分を害してはいないのだろうか……

「……答えづらい質問をしてしまい申し訳ございませんでした……ただ奥様が、あまりにも姉に似ていたので、混乱してしまって……」

 そうだろうな、と相槌を打つと、吉田が混乱した表情のまま、小さく頷いた。

「奥様の件についての質問は、これ以上続けても進展が無さそうなので、最後の質問を良いでしょうか?」

 身構えながら頷くと、吉田は軽く息を吸い込んでから、目を見開いた。


「虫を操ることが出来ると言うことは、でんでん虫を操ることは出来ますか!?」

「言うに事欠いて君はまたそれか!?」

 思わず声を荒げてしまった。吉田のことだから、予想はある程度していたが、まさかこの流れで聞いてくるとは思わなかった。

 吉田は肩を落として、恐縮した表情になっている。

「申し訳ありません……奥様があまりにも姉に似ていたため、遠回りになってしまいましたが、月見野部長から例の音声を聞かせていただいた時に、真っ先に聞きたかったのが、でんでん虫を操れるかと、仕事でのことだったんです……」

 ……まあ、ブレない信念があるというのが、吉田の強みだとは思う。

「こっちこそ、急に声を荒げて悪かったな……しかし、蝸牛はどうも苦手でな……上手く使役できないんだよ」

 嘆息混じりに告げると、吉田の肩が更に落ちる。そこまでショックを受けなくても、良いのでは無かろうか。

「正義さん、カタツムリさんが苦手なのですか?」

 先ほどとは種類の違う頭痛にこめかみを抑えていると、たまよが袂を引いて首を傾げた。

「ああ……あの感触がダメで……」

「そうなんですか……私は、カタツムリさんも、すたいりっしゅだと思いますが」

 たまよがそう言い終わるや否や、吉田が勢いよく身を乗り出し、たまよの手を取った。

「奥様!でんでん虫の良さを分かって下さるのですね!?」

「はい。殻の渦巻き加減と、尻尾の感じがとてもすたいりっしゅだと思います」

「そうですよね!こうなれば、是非とも奥様も全国でんでん虫を愛でる会に……」

「上司の妻を訳のわからない集団に勧誘するな!」

 一日に二度も、蝸牛のことで声を荒げるとは思わなかった。

 それでも、沈んだ気持ちのままになるよりは、良いのだろうけれども。良いのだろうけれども……

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