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ローリン・マイハニー!  作者: 田中 義男
18/28

草枯れ

「何とか無事にたどり着きましたね……」

「そうだな……」

 百貨店での休憩を終えて、駅の外を進み、疲弊しながらも、西口側にある美術館付近までたどり着いた。

 一人の場合は駅構内を移動した方が早くはあるが、たまよはまだこの駅の構造に慣れていないため、このルートを選んだ……までは、良かった。しかし、時折道行く観光客に片言で写真を求められ、それを引き受けたり断ったりで、中々進まなかった。確かに、たまよの着物姿は絵になるけれども。

「大変でしたけど、一緒に写真を撮っていただけて、良かったです」

 たまよはそう言いながら、手を握る指に力を込めた。観光客の一人が、折角なのでこちらのカメラでも撮ってくれる、と言い出したため頼んでみたところ、二人で腕を組んだ写真を撮ることになった。

「たまよの写真だけが、あれば良いと思ったんだけどな」

 どうにも写真に撮られるのが苦手なため、そんなことを呟くと、たまよが楽しそうな表情でこちらの顔を覗き込んだ。

「あら、良いではありませんか。二人でお出かけしている記念になるんですから」

 そう言うものかもしれないが、社員証の写真や各種証明書類の写真を見るたびに、自分の顔ながら目付きの悪さや嘘くさい笑顔に辟易する。今回の写真は、もう少しまともな表情だと良いのだけれども。

「ところで正義さん、美術館と言うのは、あのすたいりっしゅな建物のことですか?」

 そう言いながら、たまよが美術館の斜向かいにある、網目模様の流線形の建物を指差す。

「いや、確かに美術館に見えなくもないのかもしれないが、向こうの建物の方だ」

 荷物を振り回さないように、軽く腕を上げて指差した。

「へー。あの建物もすたいりっしゅですね。この辺りはすたいりっしゅな建物が沢山あってウキウキします」

 たまよはそう言いながら、目を輝かせて辺りを見あげて見渡した。実際のところはオフィス街なので、若干デートには不向きではあるが、喜んでくれているのだから良しとしよう。

 交差点を渡り、美術館のビルに入ると、冷房の涼しさが心地よかった。夏物とはいえ、着物姿で炎天下を歩くのは少し無謀だったのかも知れない。

 ひとまずたまよをエントランスホールの長椅子に座らせてから、コインロッカーにフライパンと朴葉の入った紙袋を預けた。ロッカーに鍵をかけたところで、横に設置された自動販売機が目に入った。先ほど喫茶で水分は補給したが、炎天下を歩いたのだし、もう少し補給しておいた方が良いかもしれない。そう考え、ミニペットボトルの麦茶を一本購入し、たまよのもとへ戻った。

「お帰りなさい正義さん」

 パタパタと手で顔を扇ぎながら、たまよがこちらを振り向く。

「待たせたな。取り敢えず、麦茶を買ってきたから、少し飲んでおくように」

「ありがとうございます」

 たまよは両手でペットボトルを受け取ると、少し苦戦しながらキャップを開けて、ゆっくりとふた口ほど麦茶を飲む。そして、キャップを閉めてペットボトルをこちらに差し出した。

「ごちそうさまです。このくらいで大丈夫です」

「そうか」

 ペットボトルを受け取りながらベンチに腰掛け、何気なくキャップを開けた。このくらいの量ならば、ここで飲み切ってしまう方が無難か、と思ったのだがたまよの方から視線を感じる。

「すまない。まだ飲みたかったか?」

 そう尋ねると、たまよは顔を赤らめて、慌てながら首を振った。

「いえいえいえ!ただ、その……」

 その様子を見て、大体何を言い出そうとするかは分かった。

「ああ、間接キスだな」

 しれっと言わんとしていることを口に出してみると、たまよは耳まで赤く染めながら俯いた。繁殖行為を迫ってくる割には、変な所で純情だよな……

「まあ、そのくらいは気にする必要ないだろ、夫婦なんだから」

 そう言いながら、麦茶の続きを口に含むと、たまよがゆっくりと顔を上げた。

「そうですね……おはようございますのちゅうも、毎朝おでこにしてますし……」

 ……危うく、一日に二度も気管を痛める所だったが、何とか持ちこたえることが出来た。

「……初耳なんだけど?」

「以前、怖い夢を見ているお姫様をちゅうで目覚めさせる、というお話を繭子さんに読んでもらったことがあったので……ご迷惑であれば、明日からは辞めますが……」

 相変わらず、人の事を何だと思っているんだ、たまよは……

 返答に思案していると、こちらを見つめる表情が段々と曇って行く。

「……別に、迷惑では無いから、好きにしろ」

「かしこまりました!では、これからも続けますね!」

 たまよの表情が、見る見るうちに晴れて行く。まあ照れくさくはあるが、人事課長や早川たちに見られていなかったのだから、幸運な方か。

 

 麦茶を飲み終え、直通のエレベーターで美術館のある階まで一気に登る。エレベーター内には警備員はいるが、ほかの客の姿は見えない。先ほどまで人混みを歩き通しだったため、あまり混雑していないのは幸いだ。

 不意に、たまよが腕にしがみついてくる。しがみつく腕から微かに震えを感じ、エレベータが怖いのか、と小声で問えば、たまよは小さく頷いた。頭を軽く撫で、もうすぐ着くから大丈夫、と告げるとたまよは再び小さく頷いた。

そんなやり取りをしているうちに、エレベーターは目的の階に着き扉がゆっくりと開いた。何気なく、警備員の方を振り返ると、この上なく穏やかな表情を浮かべている。

「よい休日を」

「……どうも」

 穏やかな笑顔でそう告げる白髪の警備員に、軽く会釈をしてそう告げてエレベーターを後にした。どこかで会ったような気はするが、人事課長の気配はしなかったため、きっと気のせいだなのろう。ただ、念のためたまよにも確認しておこう。

「たまよ、さっきの警備員の方だけど、人事課長の変装だったりしないよな?」

 こちらの問いに、たまよは意外そうな顔で首をかしげる。

「え?ウルトラミラクルエレガントな課長さんではありませんでしたよ?」

 それなら良いと告げれば、たまよは訝しげな顔のまま、そうですか、と小さく答えた。先日の女子高生姿でも、姿を見ただけで人事課長だと認識できたたまよがそう言うのなら、大丈夫だろう。


 チケットを購入しガラス製の重い扉をひらくと、周辺の景色が一望できる展望室になっていた。たまよは怖がりながらも、外の景色に興味を持ったらしく、腕にしがみつきながら、不安と好奇心が混じった表情でこちらを見上げてきた。

「すこし、窓のそばに行っても良いですか?」

「ああ、構わないよ」

 ゆっくりと、窓の近くまで近づくとたまよは興味深そうに、辺りの景色を見渡した。

「建物が沢山ありますね」

「そうだな」

 高さに慣れてきたのか、腕にしがみつく力が少しずつ弱くなる。

「あの辺りは、緑色ですが何があるんですか?」

「一昨日行った回遊式庭園をもっと広くしたような公園があるな。もう少し涼しくなれば、バラが見頃になるはず」

 そうなんですかと呟いて、たまよはしばらく庭園の方を見つめていた。そして、景色を見ることに満足したのかこちらを見上げて、先に進みましょうか、と腕を引いてくる。

 一緒に行きたいと言い出さなかったのは少し意外ではあったが、なんとなく理由を聞いてはいけない気がして、そのまま奥の展示室に足を進めた。

 展示室に入ると、北欧の印象派の画家をメインテーマにした展覧会が開かれていた。家族との日常がモチーフとなる作品が多くあるためか、展示室全体が穏やかな色に満ちている。毎夜見ている夢とは、実に対照的だ。

「なんだか、優しい感じの絵ですね」

 サンタクロースを扉の前で待つ子供たちを描いた作品の前で、たまよが笑顔でそう呟く。

「そうだな。前々から好きな画家だったのだけれども、気に入ってもらえただろうか?」

「はい。この画家さんがの絵が好きというのは、なんだか正義さんらしいですね」

 意外だと言われるかと思っていたので、少々面食らった。

「どうなされましたか?鳩さんが豆大福を召し上がったようなお顔をなさっていらっしゃいますが?」

「どんな表情なんだそれは……ともかく、今までこの画家の絵が好きだというと、むしろ印象と違うと驚かれることが多かったんだけどな」

 そう伝えると、たまよの方も面食らったような顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。

「その方たちは、きっと正義さんのことをちゃんと観察されていなかったんですよ。よく観察していれば、わかりますよ」

 ……もっと他に言いようが無いのか、とは思ったが胸にしまっておいた。たまよがそう思ってくれるなら、良いということにしておこう。

 特別展示のスペースを見終え、通常展示室のメイン展示の前に備え付けられたベンチに、二人で腰を掛けた。目の前には、向日葵の絵画が飾られている。暖色を中心に描かれているはずだが、何故か毎回見るたびに寒々しい印象をうける。ふと、たまよの反応を見てみようと顔を向けると、小さくくぅという腹の鳴る音が聞こえた。

「……すみません。美味しそうな絵だったので、つい……」

 たしかに、ある程度予想していた反応ではあるけれども。

「……斬新な感想をありがとう。しかし、さっきの特別展示でも、植物がそれなりに描かれていたと思うが、なぜこの絵だけ、そういう感想なんだ?」

「あ、はい。私たちはどちらかというと、枯れ朽ちた植物の方が好きなので……あ、白菜は別ですよ!新鮮でも傷んできてもどちらも美味しいですから!」

 まさか、ここにきてまでも白菜について力説されるとは思わなかったが、何となく寒々しく感じていた原因は分かった気がする。画家本人がどう思って描いたかは定かではないが、全体の4割は花びらが落ち、残りも花びらが萎れつつある。

 そういえば、あと1週間もすれば夏も終わりか。

「……どうなされましたか、正義さん?」

 不意に、たまよの手の上に添えた手に力が入ってしまった。たまよは、不思議そうにこちらを見つめている。

「……別に、なんでもない。それより、空腹なら場所を移動しようか」

 そう言って立ち上がると、たまよもゆっくりと立ち上がった。

「あ、はい。ありがとうございます」

 たまよの手を取り、出口の扉に手をかけたとき、パタパタという聞き覚えのある足音が聞こえた。

「日神課長!」

 ……できれば、この状況で聞きたくなかった聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。

 ゆっくりと振り返ると、スニーカーを履き、七分丈の白いズボンと半そでの黒いパーカー姿人物が立っていた。特徴的な坊主頭には、黒いキャップを被っている。

「……吉田か。珍しいな、こんなところで会うなんて」

 できる限り平静を装ってそう告げると、吉田は一礼してから口を開いた。

「あ、はい。本日はこの辺りで、全国でんでん虫を愛でる会の会合があったため、その帰りになんとなく立ち寄りました!」

 相変わらず、こいつはブレないな……

 感心していると、吉田は気まずそうに言葉を続けた。

「ところで……昨日、月見野部長から連絡をいただいて、早川さんと例の音声を聞いたのですが、少しお話をさせていただいてもよろしいですか……?」

「ああ、そうだったのか。今日は所用があるから、詳しい事情は日を改めてでも良いかな?」

 吉田の答えを聞かずに、先に進もうとしたが、たまよがゆっくりとした口調でそれを制止した。

「正義さん、私のお腹ならまだ大丈夫ですから」

 そして、吉田に向き直るとゆっくりと一礼した。

「初めまして。妻のたまよと申します」

 たまよが頭を上げると、吉田の目が見開かれたのが、一目で分かった。そして、上手く言葉が出ないらしく、無言のまま唇が数回動かされた。まあ、そういう反応には、なるだろうな。

 しばらくその様子を見ていると、吉田は漸く絞り出すような声をだした。

「なんで……お姉ちゃんがここに?」

 できれば、全てが片付くまで気付かない振りを続けていたかったが、潮時が来たようだ。

「お姉ちゃん?あなたも、ダンゴムシだったのですか?」

 たまよの鷹揚な口調の質問を気に留めることなく、吉田が真剣な目でこちらを見つめて来る。この目つきの時は、はぐらかそうとするだけ無駄だろう。もっとも、こうなってしまったなら、今更はぐらかすつもりもないが。

「日神課長、お忙しいところ大変失礼とは存じますが、何卒ご説明を」

「……解った。ひとまず、場所を移そうか」

 吉田は口を一文字に結んで、頷いた。

 困惑した表情のたまよと思いつめた表情の吉田を引き連れ、重い扉を押し開け下りのエレベーターへ向かった。

 エレベーターの前では、来場時に際に対応をしてくれた白髪の警備員が、驚いたような表情を浮かべていた。

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