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ローリン・マイハニー!  作者: 田中 義男
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憤れ!

 目の前に広がる景色は真白だった。しかし視界の端に、何か黒いものが映っているのが気に掛かる。正体の見当はついているが、念のため視線を移すと、そこには黒く爛れた自分の手があった。試しに袖を捲ってみたが、腕にまでその爛れが広がっている。恐らく、見えない部分も同じ様なありさまなのだろう。

 これだけ異常な姿をしているのだから、後ろの奴ももうついてくることも無い。

 そう考えれば、気楽なものだ。

 ただ後ろからの声が消えた代わりに、頭上から複数の声が聞こえてくる。

 その声は、わめき散らしたり、嘲笑ったり、すすり泣きながら、何かを指示している。

 その声に従い、指示された方向に手をかざすと、黒く爛れた自分の手が目に入り、どこかから悲鳴があがる。

 逆らうことは出来たのかもしれない。

 しかし、別の方法を考える気力もない。

 頭上からの声は繰り返され、何も考えずにその声に従う度に、悲鳴が次々と上がって行く。

 悲鳴があがる度に爛れた手から肉が削げ落ちていく。

 傷口からは骨が覗く。

 その骨さえも黒く爛れている。

 それでも声は繰り返される。


 失礼とは思いますがどこかでお会いしたことありませんか?


 ハッキリとした声のする先に振り返ると、どこかで見た顔がこちらをのぞき込んでいる。

 よく似ているが、特徴的なアザは無かった。

 今度こそ守らなくては。

 一人にはしておけない。

 そうしないと、また


「正義さん。朝になりましたよ……」

 目を覚ますと、不安そうなたまよの顔がこちらをのぞき込んでいた。声を掛けようとしたが、喉がつかえて上手く言葉が出ない。

「……今日は、いつもより酷くうなされていましたが、どこか痛むのですか?」

「……大丈夫だ」

 上体を起こしながら、なんとか掠れ声で答えた。するとたまよは、そうですか、と呟いてからベッドの縁に腰かけた。そして、微笑みながらこちらに向かって両手を伸ばし……

「大丈夫ですよ。怖い夢を見ても、私が起こして差し上げますから」

 ……胸に抱き寄せられて、あやすように頭を軽く叩かれてしまった。厚意は有り難いのだが、寝起きにあまり胸元に密着しすぎるのも苦しいため、たまよの肩に手を掛けて、ゆっくりと体を離す。

「……子供扱いするなよ」

「えーと……一昨日は、年寄り扱いするな、と仰っていらっしゃいませんでしたっけ?」

 とぼけた表情で首を傾げるたまよの頭をくしゃくしゃと撫で、極端すぎる、と伝えた。たまよは、すみません、とイタズラっぽく笑い、頭を撫でる手を取った。

「でも、少し表情が晴れたみたいで、良かったです。朝ごはんの支度が出来たので、食卓で待っていますね」

 そう言いながらそっと手を離し、たまよは寝室を出ていった。

 掌を見つめてみたが、一昨々日についた傷はもうすっかり塞がっている。無論、爛れて骨が覗いているということもない。ただ微かに、たまよの手の感触が残っていた。

 しばらくベッドに座ったまま天井を見つめていたが、段々と目が覚めてきたので、ダイニングに向かうと、割烹着姿のたまよがいそいそと朝食を運んでいた。たまよはこちらに気付くと、楽しげな笑みを浮かべた。

「今日は、白菜の酢漬けと、お豆腐と白菜のお味噌汁と、白菜のサラダと、めざしと、白菜の炊き込みご飯です」

 昨日の朝食で白菜を使い切ったと思ったが、その後の買い出しで新たに2束追加する事態になってしまった。しかし、その前に盛大にヘソを曲げらてしまっていた手前、断るにも断れなかった……まあ、別に体に害があるものでも無いから、良しとしよう。

 いつも通り向かい合って座り、朝食を進めていると、不意にたまよがこちらを見つめてきた。

「……どうした?」

「あ、すみません。昨日書斎で待機していた時に、少し気になった物があったので」

 一瞬にして、昨日の曲がったヘソを治すための苦労が思い出され、胸の辺りがヒヤリとした。

「何が気になった?」

 例の本以外に、何かマズいものでもあったのだろうか。いや、確かにビジネス書に混じって、毒虫の図鑑やら呪術書やらも並んでいるから、マズいものだらけだと言われれば、そうなのだけれども。

「あ、はい。本棚の天辺にいらっしゃった、小さな正義さんが気になりました」

 何だその不気味な生物は、と言いかけたが、すぐに何を指しているかに気づいた。

「ああ、あの絵のことか」

 書棚の上に飾ってある、小さな油絵のことを言っているのだろう。

「はい。大きな正義さんより、お若い感じでしたが」

 そう言うとたまよは、めざしをシッポから齧り出した。

「まあ、高校時代の肖像だからな……」

 引越しの度に、いっそのこと処分してしまおうかと悩んだが、その度に送り主の事を思い出し、結局未練がましく残してしまっている。

「ご自分で描かれたのですか?」

「いや、当時付き合っていた子が描いたヤツだ」

 自然とそう答えて味噌汁を啜ってから、大失言であることに気付いた。慌ててたまよの顔を見たが、意外にも平然としている。その様子が、逆に不安を煽る。

「……その、悪かった」

 恐る恐る言葉を発して見たが、たまよはキョトンとした表情のまま、箸を止めている。怒ったり、ヘソを曲げてはいないのだろうか。

 しばらくそのまま箸を止めていたたまよだが、こちらの考えに気づいたらしく、ああ、と呟いてから笑顔になった。

「大丈夫ですよ。私たちはずっと同じつがいでいることの方が少ないので、過去に誰とつがってたかはそんなに気にしませんよ」

 どうやら怒ったりはしていないようで安心したが、そう言われると、それはそれで寂しいものがある。しかし、そんなものかと思い直し、白菜の酢漬けを口にしていると、ただ、と言うたまよの前置きの声が聞こえた。

「今でもその方と繁殖なさりたいのなら、少し複雑な心境になりますが……」

 後に続いた不安そうな声に、口にしていた酢漬けの酢が盛大に気管に入ってしまった。むせ返っていると、たまよが慌てて駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか正義さん!?」

 手拭きで口元を拭い、大丈夫だ、となんとか告げたが、気管と喉がまだ痛い。

「……まったく……他に言いようが……あるだろ」

「失礼いたしました……」

 たまよが申し訳なさそうな表情でこちらを覗き込みながら、背中をさする。その顔を見て、瞬きがいつもより若干多いのが気になった。

 ……変に隠す方がややこしくなるだろうな、たまよの場合。

「……未練が無いと言ったら、嘘にはなるな」

 たまよは、そうですか、と呟いてから目を伏せる。まあ、そういう反応にはなるよな……あまり、思い出したいことでも無いが、結果だけは、伝えておこう。

「……ただ、既に亡くなっているから、不貞の心配はしなくても大丈夫だ」

 なるべく感情を読み取られないような表情と声をつくり伝えたが、たまよはひどく動揺した表情を浮かべてから、うな垂れた。

「……無神経なことを聞いてしまって、申し訳ありません……」

 微かに涙声になり、背中に置かれたままの手のひらも、心なしか震えているように思える……伝えるのは、まずかったか。

「まあ、もう随分と昔のことだし、知らなかった訳だから気に病むことじゃない」

 あやすように頭を撫でてみたが、でも、と言う短い言葉が返って来る。

「……不用意な発言で、正義さんにまたとても悲しい顔をさせてしまいました……」

 ……感情を読み取られたとしても、怒っていると思われるような表情を作っていたから、まさかバレるとは思わなかった。しかし、それよりも気に掛かることがある。

「また?」

「はい、初めてお会いした時から、ずっと悲しそうなお顔をされていましたよね?最近は、そうじゃない表情も増えきていましたのに……」

 ここ一週間、たまよなりに、ずっと気に掛けてくれていたのか……ならばこれ以上、心配をかける訳にもいかない。

「じゃあ、悲しませてくれた罰として、今日はデートに付き合うこと」

 年甲斐も無い台詞を吐きながら頭を軽く小突くと、たまよは顔をあげて、キョトンとした顔で見つめて来た。そういう反応をされると、恥ずかしさが段々とこみ上げて来る。

「……何?重罰すぎるとでも言いたいの?」

 気恥ずかしさを紛らわすため、若干不貞腐れ気味に言ってみると、たまよは顔を赤くしてから慌てて首を横に振りだした。

「めめめ滅相もありません!」

 ひとまず、落ち込みから回復してくれたようで安心した。しかし、こういう反応をされるとからかってみたくなる。

「へえ?その割には、返事が遅かった気がするけど?」

「急なお話で、ビックリしてしまっただけです!精一杯おめかしするので、是非連れていってください!」

 まあ、いつもの和装に不満がある訳では無いが、たまよの言う精一杯のおめかしが、一体何なのかは気になる。流石に、昨日注意したので、セーラー服を来て来る事は無いだろう。

「じゃあ、楽しみにさせてもらうよ。でも、まだ副業の方が片付いていないから、買い出しの延長みたいな物にはなってしまうけど」

「いえ、それでも嬉しいです!では、ご飯をいただいたら用意いたしますね!」

 そう言うとたまよは自分の席に戻って、急ぎ気味に黙々と食事を食べ始めた。

 食事を終えると、たまよはテキパキと片付けを終えて、着替えに向かった……までは、良かった。

「……どうして、そうなった?」

「ウルトラミラクルエレガントな課長さんから頂いた服の中から、旦那さんと楽しむならコレ★、というメモが貼ってあった物を選んだのですが……ダメでしたか?」

 そう言うたまよは、襟と裾にファーが付いた、身体のラインがハッキリと分かるベアトップの白いワンピースを着て、白いファーが付いた白いニーソックスを履き、頭にはファー製の長い耳付きのカチューシャを付けている。

 どう見てもバニーガールだ。

 人事課長に対して、やり場のない憤りを感じていると、たまよが上目遣いをして、恐る恐るといった様子で声を掛けてくる。

「あの……似合っていませんでしたか?」

 いや、寧ろ似合っているとは思うけれども、問題はそこでは無い。

「……少なくとも、外出の時は別の服にしてもらえると助かる」

「この服も、お出かけには向きませんでしたか……ちなみに、このセリフを言えばつれない旦那さんも燃え上がっちゃうかも★、というセリフがメモに書いてあったのですが、着替える前に言った方がよろしいですか?」

 ふむ、全くもって嫌な予感しかしない。

「言わなくていいから。ひとまず、人事課長に抗議の電話を入れているうちに、メモが付いていない物に着替えてきてくれ」

「かしこまりました」

 たまよは素直に頭を下げて、着替えに向かった。

 しかし、人事課長め……

 直接本人に抗議もするが、一度セクハラとして、管理部長に通報した方が効果的なのかもしれないな。

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