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ローリン・マイハニー!  作者: 田中 義男
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訪れ!

 夢の見る見ないを選択できる装置があれば、きっといい商材になるのだろうな。

 そんなことを考えながら、黒い空に疎らに浮かぶ白い点を眺めていた。周囲には誰の姿も見えない。涙に煩わされることも無いが、笑い合うことも無い。

 それでも、この景色がこれ以上悪化することが無いだけ、有難いと思おう。


 日神さん!他に何かお手伝い出来ることはありませんか?


 後ろから、騒がしい声がする。


 俺も早く日神さんみたいになれるように頑張ります!


 目標にするなら、もっと他に適任者があるだろうに。そう思っても、その声は後ろからずっとついてくる。

 ただでさえ視界と足元が悪いというのに、後ろからついてくる者まであっては、道を間違えずに前に進むのに神経を使う。


 このままだとさ、この会社も結構まずい事になるんだよね


 不意に、前方から聞き飽きた誰かの声がする。


 でもほら、こういう世情だと、勤め人の人間関係ってギクシャクするよね?


 前方の声を無視してそのまま進むが、その声も並走する。

 足元からはビチャビチャと嫌な音が鳴る。

 横からは耳障りな声が響く。

 時折泥濘に足を取られ躓く。

 後ろからは自分を慕う声がついてくる。

 倒れている訳にはいかない。

 道を外れる訳にもいかない。

 そうなったら、後ろから着いてくる声に何が起こるか分からない。

 ……果たして、そうだろうか?

 今まで、誰かのために何かをしたところで、得たものは、何だったか。

 非難であったり、罵声であったりでしかなかった筈だ。

 ならば、いっそのこと誰から見てもすぐに分かるくらいに道を外した方が、後ろからついてくる声も、自力で自分の身ぐらい守るようになるだろう。

 足を止めて、並走していた声の方を向く。

 その方向に手を伸ばすと、空と地面の色が自分の手に集まっていく。


「かしこまりました後は全て私一人で引き受けます」


「ええと……出来れば、朝ごはんはご一緒したいのですが……」


 悲しそうな声に気がつくと、たまよがタオルを手に、困惑した表情でこちらを覗き込んでいた。

「でも、昨日はお疲れのようでしたし、今日は私も寝坊してしまったので、お腹が空いているのであれば、仕方がありませんね……」

「……すまない。ただの寝言だから、気にするな」

 そう言いながら頭を撫でる為に手を伸ばしたか、傷口に幅の広い絆創膏が貼られている以外は、いつも通りの自分の手だった。どうやらまだ朦朧とはしているが、夢からは覚めることができたようだ。

「それならば良かったです。では、食卓の用意をしていますので、目が覚めたら、いらしてくださいね」

「分かった。いつも助かるよ」

 たまよは、いえいえ、と答えてから、嬉しそうに寝室を出て行こうとした。その後ろ姿が目に入り、眠気が一気に吹き飛ぶ。

「……ちょっと待て、何なんだその格好は?」

「えーと、昨日ウルトラミラクルエレガントな課長さんから頂いたお洋服ですが……何かおかしいですか?」

 そう言って振り返るたまよの服装は、昨日の人事課長と同じセーラー服だった。

「おかしいと言うか……」

 年相応の格好をしろ、という言葉が出かけて止まった。そういえば、たまよの年齢を知らない。ただし、外見は成人をしている年齢に見える。

「……外出や急な来客対応があった時に不都合があるから、同じ袋に入っていた浴衣の方にしてくれ」

 その提案に渋ることなく、かしこまりました、と頭を下げてから、たまよは寝室を出て行った。

 昨日は詳しく確認出来なかったが、後で紙袋の中身を整理して置かないといけないな……


 食卓に着くと、白菜の味噌汁と、白菜の酢漬けと、白菜の炒め物と、焼き鮭が用意されていた。

「今日はいつもにも増して白菜だな」

 朝からこんな訳の分からない台詞を吐く日が来るとは思わなかったが、口をついて出てしまった。

「はい。この時期の白菜は傷みやすいので、そろそろ使い切ってしまわないと、と思ったので。私は傷んでいるモノでも平気ですが、正義さんがお腹を壊してしまったらいけませんし」

 そう言いながら、水柿色の浴衣の上に割烹着を着込んだたまよが、茶碗を乗せた盆を手にやって来た。盆に置かれた茶碗の中身にも、白菜が炊き込まれている。

「ただ、ヒトの食事に慣れてしまったので、今だと私もお腹を壊してしまうかもしれませんが」

 盆を片付けて席に着くと、たまよは苦笑しながらそう言う。

「自分でもそう懸念しているのなら、拾い食いしようとするのは避けてくれると嬉しいのだけれども」

 ため息を吐いてからそう言うと、たまよはギクリとしてから、目を泳がせた。

「……昨日のお庭で、おやつ用の枯葉なんて拾って無いですよ?」

 そして、実に棒読みでそんな言葉を口にする。繭子も止めてくれれば良いものを……

「……後で没収」

「正義さん!今日は一段とすたいりっしゅです!」

「おだてても駄目」

 言葉短くそう告げると、ションボリ、と言う効果音が聞こえそうなくらいにしょげた表情と共に、かしこまりました、と言う返事が来た。まったく、たまよは。

「それよりも、早く朝食にしよう。いつも、美味いものを作ってくれて、ありがとう」

 落ち込まれたままにしておく訳にもいかないので、仕事で身につけた笑顔でそう言うと、たまよの表情が徐々に明るくなり満面の笑みに変わった。

「はい。いただきましょうか」

 出来れば、たまよにはこの表情を使いたくなかったが、嘘臭いとは思われていないようなのは幸いだ。


「ところで、正義さん」

 白菜の炒め物に箸を伸ばしていると、たまよから声が掛かった。

「どうした?」

 あまりにも深刻な顔をしているので、箸を止めて尋ねると、たまよはその表情のまま言葉を続けた。

「私は妻として、魅力的では無いのでしょうか?」

 予想外の質問に、思わず箸を落とすところだった。

「いきなり、何を言いだすんだ」

「いえ……最初に着ていたお洋服に、これを着れば旦那さんの心を鷲掴み!繁殖間違いなし!と言うお手紙が添えてあったのですが、着替えるように言われてしまいましたので」

 ……人事労務の管理監督者が率先してセクハラをするのは、如何なものだろうか。ただ、今はこの場に居ない者に腹を立てている場合ではないか。

「別に、あの服は未成年が着る物だから止めただけだ」

 そう答えると、たまよは納得したらしく、小さく頷いて苦笑した。

「そうでしたか。確かにそれだと、私では着られませんね」

「納得してくれたのは良いが、たまよは今何歳なんだ?」

 思わず寝起きの時に聞きそびれた質問が口を出てしまい、後悔した。女性に年齢を聞くのは、色々と問題がある。

 しかし、たまよは特に気にする様子もなく、しばらく視線を上にずらして考えてから、笑顔で答えた。

「正確には分かりませんが、暑い季節を迎えたのは、今回で3回目です。でも、脚は14本になっていたので、立派な大人ですよ。子供達も沢山いますし」

 人間に換算すると、どのくらいなのか考える暇も無く、衝撃的な発言が飛び出した。

 いや、まあ、成体のダンゴムシなのだから、そうなのかもしれないし、初日に一族を率いる的なあれはあったけれども。

「あ、でも自分から繁殖したいと思ったのは、正義さんだけですよ。他の方々は、お腹が空くと共喰いしようとしてくるような方ばかりだったので、逃げたり防御したりで大変でした」

 色々と理解が追いつかずに唖然としていると、たまよの顔が段々と不安げになっていく。何か言って取り繕わなくてはいけないのだろうけれども、しかし一体、何をどう言えば良いんだ?

「……正義さんも、お腹が空いたら共喰いなさろうとするんですか?」

「そんな猟奇的な趣味は無い!」

 突拍子も無い質問を否定するために、漸く発言をすることができた。その答えに、たまよは安堵の表情を浮かべて、良かった、と呟いた。

 たまよが安心したのは良かったのだが、色々と心臓に悪い朝食になってしまったな。


 朝食を終え、洗い物をたまよに頼んでいる間に、寝巻きから部屋着に着替えて洗面所に向った。

 洗顔とヒゲの処理を終え、洗面台の向かいに置いた洗濯カゴに向き直る。掌の怪我が治るまでキッチンに立つことを禁止されている代わりに、洗濯は当面の間こちらで担当することになっている。

 洗面台の横に設置した洗濯機に柔軟剤をセットした所で、壁に掛けたデジタル時計を見ると、9時半を示していた。朝の家事が少し遅くなってしまったが、今日は何も予定がないから問題はない。

 洗濯を終えて、書斎のPCでメールのチェックをすると、人事課長からの昨日の礼らしきメッセージと、浦元からの泣き言のような恨み言のようなメッセージを受信していた。人事課長からのメッセージについては、返信をしておいたので問題はないだろう。後は、浦元の方か。

 ここの詳しい住所までは知られていないが、逆恨みで人事課長の住民票の写しまで手に入れるような奴だ。昨日の一件でしばらくの間はこちらに注意が向くであろうことを考えると、突然の襲来には備えておいた方がいいだろうな。

 その時には、全てを終わらせられるように。

「正義さん。居間の掃除が終わりましたので、掃除機をお持ちしました」

 一人で意気込んでいたところ、書斎のドアをノックする音と、たまよの鷹揚な声によって、現実に戻された。書斎の入り口に向かいドアを開けると、スティックタイプの掃除機を手にしたたまよが立っていた。

「よろしければ、書斎も私が掃除しますよ?」

 たまよはそう言って、小首を傾げた。一昨日たまよがショックを受けていた図鑑は書棚に戻したから、頼んでも問題は無いか。

 そう思った矢先、机の上に置かれた本のタイトルが目に入った。


 ダ ン ゴ ム シ の 秘 密


 ……たまよの今後の生活に不都合が無いようにするため、昨日の帰り際に駅近くの書店で購入したことを忘れていた。たまよの目に入ったら、いざこざ具合は一昨日の非では無いだろうな……

「いや、触られると困る物もあるから、今まで通り自分でする。たまよは自由にしていてくれ」

 たまよは特に追求することなく、かしこまりました、と頭を下げて居間に戻って行った。ひとまず、本は書棚にしまっておこう。

 掃除機をかけ終わり、一息つこうとした途端、玄関のチャイムが鳴った。書斎から飛び出すと、たまよがモニタを覗き込み、インターホンに手を掛けようとしている。

「誰が来ている?」

「あ、はい。男性の方が、お一人でいらしてます」

 予想よりも早い襲来だが、まあ構わない。

「たまよ、後はこっちで対応するから、しばらく書斎に隠れていてくれ」

「え?あ、はい。かしこまりました」

 たまよは困惑しながらも、素直に書斎に入り扉を閉めた。これで万が一にも、たまよを盾にされる心配は無い。

 インターホンを手に取り、わざと明るい口調で言葉を発する。

「これはこれは、休日に態々会いに来ていただけるとは光栄です。しかし、私なんかに構っていないで、もっと有意義な休日を過ごされてはいかがでしょうか?まあ、無理な話かもしれませんが」

 そう告げても、インターホンの相手は黙ったままだ。安い挑発に乗って、玄関前で騒いでくれれば、通報も出来ると思ったが、流石の浦元もそこまでは馬鹿じゃ無いか。

 しばしの沈黙の後、インターホンから、聞き慣れた声が聞こえて来た。

「あ……うん。急にごめんね、日神君」

 しかし、その声は浦元のものではなく、勤め先の上司のものだった。

 馬鹿は俺だったか。

 急いで玄関に向かい扉を開け、最敬礼で頭を下げる。

「誠に申し訳御座いません月見野部長!人違いとは言え、とんだご無礼を!」

「いやいやいや!僕が急に来ちゃったのが悪いんだし、頭を上げて!」

 恐る恐る頭を上げると、つばの浅い麦藁帽子の下に、苦笑する精悍な顔が見えた。怒り心頭な様子では無さそうなことは救いだが、世話になっている上長に無礼極まりないことをしてしまった。

「寛いでいたところに、ごめんね」

 その言葉に、部屋着のままだったことを思い出した。

「……重ね重ね失礼いたしました。ただいま着替えて参りますので、ひとまず中でお待ちください」

「いやいや!わざわざ着替えなくても大丈夫だから!似合ってるね、作務衣!……ただ、ちょっと話はあるから、お邪魔はさせてもらうよ?」

 月見野部長は、どこか悲しそうに苦笑してそう言った。

「かしこまりました。中へどうぞ」

 仕事の引継ぎや、今後の進退についてや、今までに手を染めて来た悪事についての叱責くらいならば幸いだが、月見野部長の表情から見るに、恐らく別件なのだろう。

 この人には、これ以上迷惑を掛けたくは無かったのだけどな……

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