なろうで異世界転生が主流になっている理由(逸般人考察)
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
以前、フォローをさせていただいている方から
こんなタイトルのエッセイが流れてきました。
【どうしてなろうの作品は異世界転生モノばかりなのか?】という疑問に対して、
賛成派・反対派の意見を集めようとされており、様々なご意見があったようです。
逸般人自身も小説を読みには行けないのですが、
(時間管理が行き届いていないのですが、それはまた別の話)
本文にまでは目は行き届かないまでも、作品の内容が紹介されているツイートは
作品の引用TLをさせていただく際、その小見出しは目に飛び込んできますが、
結構な割合で【異世界転生】に関連した言葉が登場します。
小説の王道と思っていた【ファンタジー】と双璧をなしている感じですね。
おそらく、このエッセイを綴られた方は、
あまりにも膨大に増えていく異世界転生作品に対して、
一石を投じたくなったのでしょう。
それを拝見した時は「何か思うことはあったんだろうなぁ…」と思う程度でしたが、
自分なりの意見を持とうと考えを巡らせていたものの、
中々「これ」といったモノが固まることはなく、
中途半端な発言は新たな舌禍を生み出しかねないと控えていたのですが、
この質問に対する逸般人の回答が何となく形になりました。
結論から先に申し上げますと【人に歴史あり】の一言に尽きるでしょう。
もっとしっくりくる結論が【亀の甲より年の劫】という諺でした。
大辞泉で語弊がないかと確認しましたが、
【長年の経験が貴重であるということ】とズレていないのを確認しました。
つまりは経験が異世界転生を書かせてしまうのです。
これまでの500本の無駄文も、ほとんど自らの経験に基づいて書いています。
こればかりは若い方よりも、無駄とはいえ年輪を重ねてきた方が有利です。
典型的な例を挙げますと、
【半沢直樹】の原作である【オレ達バブル入行組】シリーズや
【花咲舞が黙ってない】の原作である【不祥事】シリーズは、
池井戸潤さんが、元銀行員という経歴で得られた経験があったからこそ、
精密な描写力や行員の心情が描かれた作品となり、
それが100万部を超える売り上げの原動力となったのでしょう。
では【異世界転生】は作者の経験に基づいたモノなのか?
それはNOです。
誰もが望んではいるかもしれませんが、
どれだけ人生の年輪を重ねたとしても、
現実からファンタジーへ飛び込んだ経験をお持ちの方はいらっしゃいません。
では、比較的経験の乏しいであろうの若い方の作品ほど
異世界転生のジャンルがが多いのは何故か?
私が思うに、それは【嗜好が積み上げた経験】がそうさせるのでしょう。
書かれた方のプロフィールに視線を向けますと、
これまでに作者の方が読まれた作品を並べている方がいらっしゃいますが、
その書籍の内容が今時のライトノベル作品が主流で、
内容が異世界転生やハーレムが多く、その作品が好きだからこそ、
自らの言葉と表現で作品を書いてみたいという動機へと結びつき、
そのジャンルを書きたくなってしまうのでしょう。
ファンが多ければ多いほど、同様のジャンル作品が増えるのは
自明の理と申し上げても、決して過言ではないように思えます。
逸般人が初めて手書きで書いた作品も、
村上由佳先生の【おいしいコーヒーの淹れ方】シリーズに影響を受けて、
大した経験もないのに書いた恋愛小説でしたし、
それを友人に読ませたという消したい過去までくっついてきます。
経験がなければ、作品が書けない逸般人にとっては、
誰かを殺めるシーンを想像で書けてしまうミステリー作家の方々を尊敬するのです。
別に異世界転生のジャンルを手掛けるのを否定するつもりはありません。
折角創作に意欲を燃やされているのですから、そこに水を差すつもりはありません。
その作品を書きあげた後に、
どんな経験を積んで、どんな作風に変わっていくのか…
独自の経験を積まれて、
異世界転生から少し遠ざかった時の作品が楽しみに思えてくるのです。