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私は逃げる。逃げる。逃げる。彼らから逃げる。必死に空を舞い、森の木の間を飛び回り、捕まらない様に…。
先程までの私は、愚かだった。何が死後の世界だ。何が争いのない静かな世界だ。
分かっていたはずだ。音が何かが争っている音だと…。
そもそも、悪夢の中の私であった時から、私は愚かであった。貴族としての誇りを持っていた。ただ、その誇りの理想は誰よりも高く、そして誰にも共感を得られなかった。
それなのに、私は求めた。自分自身に飽き足らず他者にまで、それを押し付けようとした。
それ故の孤独。
それ故の死。
仕方がない。私が愚かだったのだ。愚かにも、貴族としての誇りを持ってしまったから…。所詮は子供の戯言であった。民は貴族に税を差し出す。貴族は民を守る。そんな理想。あの国では、確かにそれは理想だ。
理想であって、叶うことの無い貴族の誇りという、夢物語。
私の理想。
民のための国。
民を守る国。
民が笑いながら暮らせる国。
民が身内の不幸で悲しまなくてもいい国。
ああ、私の理想で、夢物語だ。私があの国で毎夜、夢想し願い、実現ができなかった夢物語。
「ま、待ちなさ~い!」
ヒューマの一人の女性が…。
「待て~。」
ヒューマの一人の少年が…。
「待てや、ごらぁ!」
ヒューマの一人の男性が…。
私を追いかける。捕まえて、素材とするために。いや、殺し奪うために…。
それは、あの国では必然だった。弱者を蹴落とし強者に恭順する、自然摂理だ。それが、私は堪らなく嫌だった。だから貴族でありながら、いや貴族であったからこそ、私は民を救うために冒険者として、魔物の討伐や薬草の採取に護衛、多くの民の依頼に応えた。
そして、最後は死んだ。
私が弱かったから。
私が愚かだったから。
最後を思い出しても、私を見る民の目は珍しいものを見る、そんな感情しか感じなかった。
民にとって、私とは結局、貴族であったんだろう。それだけ、やはり私は誰にも愛されず。そして関心を向けられることなく捨てられ、死んだ。
「「「うわ~~~~!」」」
どれ程の間逃げただろう…。後ろで三人のヒューマの声、いや悲鳴が聞こえた。私は、後ろを反射的に見た。見てしまった。
三人のヒューマが、緑の流動性粘液体型生物、スライムの大群に群がられているのを、見てしまった。
スライムは、しっかりと準備した冒険者なら、負けることは無い。それほどに対策が認知されており、それほどに手ごわい。準備に一つでも不備があれば、その冒険者は、己の失敗を自分の命で償うことになる。
スライムに捕りつかられば、その時点で死亡は逃れないことになる。
だから私には彼らを救うことなんてできない。弱く愚かな私に、彼らを救う術はない…。
「あ、あすけ。」
三人の内の少年が、こちらを見ながら声を上げる…。
スライムは口などの、体の穴という穴から、体内に侵入しようとする。そして、内側と外側から捕まえた生物を溶かし、捕食吸収を行う。スライムは全てを喰らう。なので、その後は何も残らない…。今も、彼らの皮膚の捕食を終えて、肉や内臓の捕食を始めた。
弱者の私には、彼らを見ることしかできない…。やはり、私は貴族であった。私を捨てた貴族と同じだ。民を守らず、救わず、関わらない…。
何が誇りだ。結局、何もできない…。ただの小娘に過ぎない…。
音がした。音がした方向を見る。つまり今、捕食されている彼らに対して私を挟んだ対面だ。そこに広がる光景に息を呑んだ。
辺り一面を、スライムが蠢いていた…。衝撃的な光景だった…。私は思わず後ろに動いた。それが良かった。
私がさっきまでいた場所に、スライムが落ちてきた。上を見れば、木の幹から枝に蠢いているスライムだった。
私は後ろに向き直り、逃げた。守るべき民を置いて逃げた。例え、彼らが助からないと言っても、その事実は変わらない…。私が私の理想に反した行動をとっている。
悔しかった。悔しくて、悔しくて、情けなかった。頬が人知れず濡れた。雨が降り始めたのだろうか?
いや、分かっている。これは、私の涙だ。私が守れなかった、理想の涙だ。私が救えなかった、民の恨みの涙だ。
私が守れるものは、少ない。自分の理想すら守れない私には、はたして何が守れるのだろう?
ただ、それが悔しくて、情けなくて涙は止まってくれる気がしない。
何より、泣くことしかできない自分が、何より情けない…。
涙が乾いても、私は逃げ続けた。逃げて、逃げた。
いっそ、さっきスライムに殺されれば良かった。泣くことしかできない無能は、死んでしまった方が良かったんじゃないか?そもそも、私が逃げずに最初から捕まっていたら、彼らは死ななかった…。
私は、自分が死にたくなくて彼らを殺した。無能で、愚かで、弱者な私は、我が身可愛さに民を殺した。
なんだ、私も奴らと同じだったのだ。民を独裁のまま虐殺する奴らと、違いがあるだろうか?
私の涙はとっくに枯れてしまったはずだが、頬を雫が伝う。一度流れたら、意識してしまったら、流れはもう止めれなかった。とめどなく頬を濡らす…。
私は、頬を伝う涙を止められず、私は進む。行き先の無いままに。
そして、出会った。いや、見つけた。先程の三人によって、瀕死にまで追い込まれた雑魚であるゴブリンに。
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