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△△△で地の文の視点が変わります。
私とクルシュが踏み入ったダンジョンは、外であっても漂っていた異臭が充満していた。
何度か嗅いだことのある匂いだ。
貧民街を歩けば、この匂いがいつもどこでも鼻に入ってきていた。
鉄の匂いが混ざった匂い。
肉の腐る匂い。
死の匂いだ。
でも、おかしい。
ダンジョン内部では、生物以外は吸収されてしまうはず…。
ダンジョン内で放置された無機物は、吸収されて生物を誘き寄せる餌になって、ダンジョン内で死んだ生物は、ダンジョンが成長するための餌になるから…。
そうして考えると、ここは異様だ。
そうじゃない…。
このダンジョンに入る前から、分かっていたはずだ。
ここは異常だ。
あの手の事だけじゃない。
血の匂いが漂っていたはずだ。
それなのにダンジョンの周辺には、生物が近づいた形跡が無かった。
これ程の血の匂いが充満していれば、ウルフ達が黙っていないはず…。
「アルジ?」
「へ?」
「ダイジョウブ。アルジ、マモル。」
ああ、私はまた一人で考え込んでしまっていたのね…。
「気にしないで。進みましょう。」
あの子を救わなきゃ…。救う?
進めようとした足が止まる。
「アルジ?」
「いえ…、何でもないわ。」
ふと、過った違和感。気のせい…、よね。
△△△
「アルジ。」
精霊とクルシュがダンジョンを進んでいくと、クルシュが精霊を呼び止めた。近付いて来ている。
暗闇に包まれたダンジョン中からは、音を伴った匂いが…。
引き摺るような音と腐った匂いが。
何かが擦れるような乾いた音と血の匂いが。
堅いものが揺れる様にぶつかる音が…。
クルシュの静止の声から数十秒後、彼女達の前に“それ”は現れた。
それは、一目見て腐っていると感じる程のものだった。
それは、人の形をした肉塊だった。
彼女達の前に現れたそれは、所謂ゾンビ。
彷徨う死体と言われる、“死”になり損なった魔物。
死から体だけが取り残された魔物。
恨み等の感情は魂が死んだ際に無くなり、あるのは生への渇望。
生への畏怖。
生への憧れ。
生への嫉妬。
それらは、彷徨う。生を取り込むために…。
「アルジ。」
クルシュが精霊の前に立つ。その手には、あの冒険者の剣は無い。
王の元から逃げる際に、それはあの村に置いてきてしまった。
クルシュが拾ったそれは、粗末な物だとしても剣と名状できる金属の塊である。今思えば、それが、かの王の手にあったのであれば、オークとの戦いは別の結果になったかもしれない。
しかし、結局たらればの話。かの王が死んだことに変わりはない。既に起きた過去は変えられないのである。
閑話休題。
さりとて、クルシュの手にはそれは、無い。
あるのは、森で拾った太めの棒。
武器と呼ぶには粗末過ぎる棒だが、鈍器として考えれば優秀だろうか。
対するゾンビの戦闘力は、ゴブリンに劣る。
ただ、腐った肉塊には痛覚、いや、感覚が無い。あるのは欲望だけ。
故に怯むことは無い。
だからこそ、討伐する上での脅威度はゴブリンと同格の存在である。
かくして始まった戦闘は、あっけないものであった。
腐った肉塊の動きは、鈍重であった。
それが一歩進む間に、クルシュは彼我の距離を三歩で詰め、その手に持った鈍器を右上から、それに振り下ろした。
それだけである。それだけで戦闘は終わった。
戦闘と呼ぶには余りにも、粗末な物。
戦闘と呼ぶには余りに一方的な展開は、側で見ていた精霊だけで無く、それを行ったクルシュ自身にも驚かせるものであった。
「クルシュ、すごいわ!」
精霊は、それを見て喜んだ。
同時にクルシュに又守られ、何もできなかった自分に気付いた。
それを恥じる様に…。
それを嘆く様に…。
内に秘めた複雑な思いに蓋をして…。
彼女は笑う。
「…。」
クルシュは、自分が大切な物を守れた事を喜んだ。
同時に彼女の偽りに気が付いた。
ただ、彼には分からない。
ただ、彼は知らない。
彼女が自分同様クルシュを守りたいと願っていることを…。
クルシュはもう彼女に救われていると思っているのだから。
「アルジ。」
「何かしら、クルシュ?」
クルシュは、彼女が偽り隠した物が気になったが、彼女の笑みを見て止めた。
今は彼女を守れた事を誇ることにした。
いつか彼女が偽りで隠した事を話せるぐらいに、頼れる存在になる事を誓って。
精霊は、蓋をした感情を悟られずに安堵し、そして恥じた。
恥かしいが、それでも誇らしげなクルシュを見て嬉しかったのは事実。だから、一緒に喜ぶ。
いつか、いつか。守られるだけでなく、彼を支えられる存在になることを誓って。
内に秘めた誓いは、互いに似てていて、だが違う。
そんな誓いを、互いに知らずに。
今は、ダンジョンからの正体不明の手に飲み込まれた少女を救うために、彼らは進む。
ダンジョン内の進む道は一本道で曲がり角も無い。
道の先は暗闇を吐き出し続けるが、音や匂いがその道の先の存在を知らしめてくる。
そんな道を。
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