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火消婆の住む部屋で  作者: さの介
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一部屋目 初めての……

 秋政は元来物を多く持たない性格である。引っ越しの準備をする前から彼の部屋はがらんとしていた。あるものといえばベッドと机と数冊の本がまばらに入った本棚のみ。引っ越しに際して、漫画や本は近所の友人に譲り、机はリサイクルに出した。当初の予定ではベッドだけは持っていこうと計画していたが、住む部屋が住む部屋なのであえなく断念することとなった。


「まあ、枕が変わると寝られないってわけでもないから別にいいんだけどさ」


 高校の修学旅行以来埃を被っていたキャリーケース引っ張り出し、その中に必要最低限のものだけ詰め込む。こうして荷物をまとめてみると、秋政は改めて自分の持っている物が少ないことを思い知る。大学に提出する諸々の書類を最後に入れてケースを閉じると、秋政はすっと立ち上がり自分の部屋を見回した。ほとんど何もなくなった部屋がなんだか物悲しい。他人が見たら前とあまり変わらないと思うかもしれないが、十数年もの間使っていた部屋だ、少なからず思い出がある。なんとなく机の脚の跡がついた床を撫でてみたり、ベッドのあった場所に寝転がってみたりした。至極当然のことながら長い間家具を置いていた場所はへこんでいたり、周りより日焼けしていなかったりする。そんな当たり前のことを一つ一つ確認している。


「おっと、そろそろ出ないとな」


 腕時計に目をやると、数十分で駅に向かうバスが出発してしまう時刻を指していた。キャリーケースを手に取り、そのまま転がしながら部屋を出る。秋政の父は「こまめに連絡するように」ということだけを念押した。母は色々と最後の最後まで不安そうにしていたが、出ていくときに「いってらっしゃい」とだけ言って送り出した。秋政はどちらにも「ああ」とだけ返して家を出た。行きの道は二度目だ。迷うようなところはないのに、秋政の足は何故だか重い。少しだけ泣いた。






 「やっぱり何度見てもボロいなここは」

 

 数日ぶりにグランパレス倉野一〇七号室にやって来た秋政の一言は辛辣である。部屋を決めてから入居まで色々な手続きがあり、結局九月に入ってしまった。到着して早々に秋政は畳に寝転がる。五時間近く電車やバスに揺られた疲れがどっと出た。このまま眠ってしまいたいと秋政は微睡むが、いけないいけないとのそっと起き上がる。


「まずは今日中に寝具一式を確保しないと」


 キャリーケースを除けば秋政は身一つで越している、ベッドはもちろん寝袋さえ持ってはいない。よって大体のものは現地調達するほかない。季節がら布団がなくとも凍死はしないだろうが、いつまでも畳にざこ寝は避けたい。あらかじめ調べておいた近場の百貨店へ向かうために荷物を漁る。こちらで日用品を揃えるためにと持たせてもらったお金があるのだ。


「お金持たせてくれるくらいなら、通販で買ってこっちに届けてくれればいいのに」


 とも思ったが、一から揃えるというのもそれはそれで面白いかもしれないと自分に言い聞かせた。実際いざお金を受け取ると、色々買いたいものが出てきて楽しくなってきた。秋政はキャリーケースの底のほうにしまっておいた茶封筒を取り出すと、休憩もそこそこに部屋を出て行く。鍵を掛けてそれをポケットに突っ込む。






 日が完全に沈んだ頃、台車に大きなダンボールを載せながら帰路についていた。百貨店に行ったまではいいものの、家具やら家電やらを物色しているうちに時間が過ぎて気づけば日が傾いていた。また、その百貨店では台車の貸し出しはしてはおらず、宅配か自力で持って帰らなければならない。無料で配達してもらえるとはいえ今夜から使おうと思っていた秋政は、何を血迷ったか自力で持って帰ることにした。歩き出して十分もしないうちに後悔し始めた。当たり前である、今日日自分の身長と同じくらいのダンボールを抱えて歩いて帰るなど、家がよっぽど近くにあるかただの馬鹿かの二択である。普段の秋政は馬鹿ではないのだが初めての一人暮らしゆえかいつもより気持ちが舞い上がっていた。また一度決めたことをひっくり返すのは彼の性分にはあっておらず、結果このような事態になった。二十分もしないうちに足は止まり、体力的に帰宅は絶望的だと思い途方に暮れていると、彼の視界に希望が現れた。古びた木造一軒家にガラスばりの戸がしている。どうも看板を掲げているらしいが、辺りが暗くてよく読めない。しかしどうも住居ではないらしいと中を覗いてみると、所狭しと様々な家具が並んでいた。これはしめたと思った秋政は、台車を貸してもらおうと中に入っていった。人間いざというときには性分がどうだのとは言ってはいられないのである。


「いやー、それにしても美人だったなぁ。あの店の店主さん」


 店主はいかにも和服美人といった風の人で、快く台車を貸してくれた。店の裏から台車を転がしてきてくれた男の人は恋人か何かなんだろうかと邪推しながら、秋政は台車をゴロゴロと転がす。しばらくすると、グランパレス倉野の屋根が見え始め、謎の安心感に秋政は襲われた。敷地と平屋の間のスペースに台車を置き、寝具一式入りダンボールを部屋に入れる。かなりドアぎりぎりで入ったそれは部屋の中でも圧倒的な存在感だった。


「よし、さっさとバラして今日は寝よう」


 近くに銭湯があるらしいのは知っていたが、詳しい場所調べるのも、今から向かうの億劫になっていた。今日のところは濡れたタオルで体を拭いて、明日改めて銭湯へ行こう。そう思いながらダンボールを解体していく。ものの数分で布団が姿を現し、いつでも就寝できる態勢になった。新品の布団の匂いはどことなく落ち着かない。


「さてと、この空きダンボールどこに仕舞っておこうか……。まあとりあえず押し入れに仕舞っておくか」


 役目を終えて無造作に転がっているダンボールを一つにまとめると、押し入れの戸を開けてそこへ投げ入れる。その後秋政は持ってきたタオルを温水で濡らして、体を適当に拭き、寝間着に着替えると倒れるように床に就いた。明日は引っ越し挨拶をしなきゃいけないなぁなどと考えながら、秋政はその意識を手放していった。





 翌朝。秋政は目が覚めると、一瞬戸惑った表情をしてから何かに納得するように頷いてみせた。時計の針は十時を指していて、世間はとっくに動き始めていた。大学の夏休みもそろそろ終わるので、そろそろ生活習慣を元に戻さなければいけないなとぼんやり考えながら、彼は寝間着を脱ぎ、着替える。昨日も昨日で忙しかったが、今日は今日ですることが山ほどあるのだ。まずは、引っ越しの挨拶をしなければいけない。昨日ついでに買ってきた贈答用のお菓子を確認する。この平屋は全部で六部屋あるため、五つ用意していれば事足りるはずである。


「ってあれ? 四箱しかないぞ? 昨日確かに買ってきたはずなんだけど」


 袋には何度数えても四つしか入っていなかった。しかし秋政は、まあ昨日は疲れていたし間違えたのかもしれないと、深くは考えなかった。それよりも彼が気にしていたのは、一番初めにここを訪れた時に見た女性がとの部屋に住んでいるかである。あのときはあまりに突発的なことだったため部屋の位置をしっかりと確かめてはいなかったのだ。後から考えてみると、本当にそれだけの理由で入居を決めてしまってよかったのかと思いもしたが、それくらいの思い切りと勢いがないといつまでたっても一人暮らしなど見つからないと考えて最終的にここに住むことに決めたのだ。つまりはほとんどそれだけの理由で入居を決めたといっても過言ではない。


「さてと、とりあえず布団をたたんで、かなり遅い朝食にしようっと」


 手早く布団をたたみ、押し入れに入れるために持ち上げる。


「あ、そういえばダンボール入れっぱなしにしてたんだっけ。まあいいか、下の段はまだ空いてるし」


 そして、足で引き戸を開ける。秋政の視界に飛び込んでくるのは昨日入れておいたダンボール――――だけではなかった。


「は?」


「あ」


 結論から言うと目が合った。ぼさぼさの灰色の髪に、人間離れした白い肌、そしてどこまでも暗く黒い瞳と視線がぶつかった。瞬間秋政は恐怖を覚えたが、しかし童顔で口いっぱいに煎餅を頬張っていることで完全に拍子抜けさせられる。更に昨日入れておいたダンボールにすっぽりと入っているのを確認すると、もはや困惑の表情しか出来なくなっていた。ともかく秋政は問うことにした。


「だれだお前」


「そっちこそ誰じゃい。この火消婆の部屋に勝手に寝泊りしおって。じゅーきょしんにゅーざいとやらで訴えるぞ」


 これが冬泉秋政と火消婆との初めての会話だった。

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