表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/33

伽の二・香りたくない少女の話

「……ひまですねえ」

「……ひまですね……」


 ぼんやりとお茶を飲んでいるハニアとカシュアが、ぽつりぽつりとつぶやいた。あきぐちの午後、ゆうべから降り出した雨が()()()()と降り続いている。


「お客が来ない……!」


 おぼろなかんを覚えつつ、カシュアがテーブルに顔を埋める。そのふるまい、このあいだの『くちなしのお客』でしょい込んだメランコリーも、ようやく薄れてきたようだ。


 内心で安心のため息をつき、ハニアがカシュアの頭に触れる。さらさらの金色の髪を()()()でて、女店主は小花のように微笑んだ。


「……カシュア、ひまつぶしにおひとつ、お話をしてさしあげましょうか?」

「お話?」


 顔を上げたカシュアに、ハニアが小首をかしげてう。


「ええ、私がこないだ、眠れない夜に考えたお話です」

「おお、いいなそれ! ぜひに聞きたいですマスターっ!」


 思った以上の食いつきに、照れ笑いながらハニアが口を開いた。


「昔むかしのそのまた昔の話です。あるところに、『フィニア』という名の少女がいました」

「フィニア? ここいらあたりの方言で、『良い香り』って意味ですね!」

「ええ、そうです」


 ふわりとはにかんだ女店主が、くるくる言葉をつむいでゆく。


「フィニアは、自分の匂いが嫌いです。匂いというより、香りというべきなのでしょうか。生まれた時から、フィニアの体からは花の香りがしていました」


 ふんふんとうなずくまなに、ハニアは言葉を重ねてゆく。


たえなる香りを、両親や親戚は不思議がり、それ以上にめいっぱいに喜びました。『ねえパパ、この子、フィニアって名前にしましょうよ』……! ママの提案を、みんなは喜んで受け入れました」


 興味深げにうなずくカシュアに、ハニアは嬉しげに語り続ける。


「そういう訳で、生まれたばかりの女の子は『フィニア』という名をつけられました。けれどもフィニアは、そんな自分の名前も好きではありませんでした」

「えぇえ? どうして?」

「フィニアはね、こう思っていたんです。(わたしには、香りしか良いところがないみたい)って」


 ほおをふくらした愛弟子が、心外そうな声を上げる。


「ええ? だって良い香りなんでしょう? 悪い臭いならともかく、『良い香り』っていう自分の名前が嫌いって……」


 お子様思考の青年に、ハニアはちょっと困ったような笑みを浮かべた。


「だからですよ」

「……えぇーえ?」

「体の匂いをめられ続けて、フィニアはほかのことに自信が持てなくなったんです。実際、彼女は香りにまさるような美点をひとつも持っていなかったから」


 納得のいかなさそうにうなずくカシュアに、ハニアはなおもこう続ける。


「丸っこい顔は可愛らしくとも、決して美人とはいえません。髪はくしゃくしゃのくせっ毛で、学校の成績もあんまり良くないし、運動神経もありません」


 カシュアが聞きながら、()()とくちびるを尖らせる。だだっ子のような表情に、ハニアが苦笑して先を続けた。


「それでも彼女の周りには、絶えず人が集まりました。体から発する香りのせいです。皆の言うことは、いつもおんなじ。『良い香りだね』『本当、良い香り!』」

「……香りのこと、だけですか……」


 カシュアが何か考えこみながらつぶやいた。ようやく分かりかけてきたらしい。かすかに笑みを含んだハニアが、またことを紡いでいった。


「皆みんな、わたしじゃなくて『わたしの香り』が好きなんだ……そう思いつめた少女はやがて『香り』という音を耳にするのも、嫌になっていきました」


 カシュアがすんと鼻を鳴らした。心細そうに眉をひそめて、ハニアのことを見つめてくる。幼い表情をなぐさめるように微笑んで、ハニアが再びげんを連ねた。


「そうしてある時、フィニアに『セダム』という名の恋人が出来ました。『君が好きだ』。そんなストレートな一言で、セダムの方から告白をしてきたのです」


 緩やかな話の転換に、カシュアが思わず身を乗り出す。そんなしぐさをなだめるように、ハニアが微笑に微笑を重ねた。


「セダムはいつも優しくて、フィニアを大切にしてくれました。けれどフィニアの心には、いつも疑いが宿っていました。(この人もきっと、わたしの香りだけが好きなんだ)」


 泣き出す準備をするように、カシュアがきゅっと眉をひそめる。せんさいな愛弟子の心を思い、ハニアは緩やかに微笑んだ。


「少女はある時、セダムに向かって聞きました。『ねえ、あなたはわたしのどこが好き?』 香り、と答えられたなら、別れるつもりで聞いたのです」

「……それで、セダムはなんて答えたんです?」

「『香り』」


 ああ。ああ。

 やっぱり、そうか。


 ひどい心的ダメージを受け、カシュアがフィニア本人のようにうなだれる。そんな青年の耳もとに、信じられない言葉が届いた。


「『……以外の、全部』」

「…………え?」

「『全部好きだよ、ぶさいくな仔猫みたいな顔も、ぽちゃっとした体つきも、ちょっとひねくれた性格も。香りも嫌いじゃないけどさ、香り以外のいいところを見る邪魔になる』。そう言いきってはにかむセダムに、フィニアは思いきり抱きつきました」


 ほうっと肩の力を抜いて、カシュアがほっとした笑顔を見せた。物語の終わりを聞いたつもりの耳に、また言の葉が流れてくる。


「それから十年経ったある朝、フィニアはセダム似の、双子の娘にきました。

『ねえ、二人はママのどこが好き?』『香りーっ、以外の、全部ーっ!』

 声をそろえて答える双子に、フィニアはとろりとろけるような、はちみつの笑顔を見せました」

「おぉお、すげぇ! だいだんえんじゃないですか!」


 カシュアが思わず立ち上がり、心から感嘆の言葉を吐いた。ハニアはちょっと照れくさそうに、自分のほおに指をあててはにかんだ。


「……この間いっぱしの口をきいといてなんですけど、やっぱり私、ハッピーエンドが好きみたいです!」


 ハニアがさらっと告白し、いたずらっぽい笑顔を見せる。


 ……そう。『ほんとの人生にほろ苦い結末が多いなら、お話の中くらいハッピーエンドが多くても』……。


 このあいだのカシュアのげんを思い出し、ハニアは宝物みたいに、自分の胸へ手をあてる。カシュアはちょっと不思議そうな顔をして、それから()()と窓の外へと目をやった。


「あれ……いつの間にか雨、やんだみたいだ!」


 軽くはずんだカシュアの言葉に、ハニアもつられて窓を見る。

 しっとり濡れた窓ガラスの向こうから、はちみつ色の秋の日光ひかりがとろり、柔らかくさしてきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ