伽《とぎ》の一・魔女カルカラ
「……ひまですねえ」
「……ひまですね……」
何だかぼんやりなティータイム、ハニアとカシュアがつぶやいた。季節は梅雨のただなかで、しとしとという雨音がガラス窓ごしに響いている。
「お、お客が来ない……っ!」
「そうなんです、梅雨どきはいつもこうなんです……っ!!」
ひまつぶしに飲み出した香茶も、朝からもう何杯めになるだろう。ハニアがカップを手にしていかにも愛らしいため息をつく。(っか、可愛いっ……っ!!)とか思わず内心で悶えているカシュアの表情にも気づかない。
少女は香茶をくっと小さな口に含み、それからふっと気を取り直したように微笑んだ。マシュマロみたいなほおに微笑を浮かべたまま、カシュアの鼻先につついと指を突きつける。
「そうだわ、カシュアさん。おひとつゲームでもしましょうか?」
唐突にこう持ちかけられて、カシュアがきょとんと小首をかしげる。
「ゲーム?」
「ええ! カシュアさんは『三題噺』って知ってます?」
「サンダイバナシぃ?」
外つ国の言葉みたいに訊き返され、ハニアが思わず吹き出した。
「聞き慣れない言葉ですか? この国に昔からある、ちょっとしたお遊びなんですけど……」
「えぇえ? そんなん知りませんよ。聞いたこともない……っ!」
「すごーく簡単なお遊びですよ! 三つのお題を元にして、即興で物語を作るんです!」
ハニアの説明を耳にして、カシュアが大げさに身をひいた。すわっていた椅子ががたんと音を立て、青年はちょっと椅子ごとこけかけた。あわあわと体勢を整えながら、カシュアはぎゃあと悲鳴を上げる。こけかけたことに対する反応ではない。『簡単なお遊び』の無茶ぶりレベルの難しさにだ!
「いやいやいや! どこが簡単?? 確かにルールはシンプルだけど、難しいことこの上ないっすっ!!」
「いえいえ、やってみればきっと楽しめますよ! ちょっと遊んでみませんか? お題は……『魔女』と『香り』と『恋物語』でいかがです?」
「ぐっはあ! マスター、もうちょい手加減してくださいよぉ! めっちゃムズいっ!!」
カシュアが大げさに頭を抱える。ハニアがおかしそうに笑って、カップの香茶を飲みほした。
「大丈夫、一緒に作ればいいんですよ!」
ほっくりした花びらのようなくちびるを丸くして、少女店主はふうっと一つ息をつく。少し考えるそぶりを見せて、ハニアはお話の最初の言葉を吐き出した。
「……昔むかし、あるところに一人の魔女が住んでいました。魔女は艶やかな黒髪に、苺みたいな赤い目をした、とても綺麗なひとでした」
ハニアはちょっと口をつぐみ、目の前の弟子をそっと見つめる。カシュアはちょっと居心地悪そうにカタいほおづえをつきながら、瞳で続きをうながした。
「魔女は名を『カルカラ』といい、香水作りの名人でした。もちろん魔女の作る香水ですから、ちゃんと魔法がかかっています」
ふんふんとカシュアがあいづちをうつ。その翠の瞳の輝きが、続きのつづきをねだっている。ハニアはふんわり微笑んで、さらに言葉を連ねていった。
「カルカラは今日もきちんと身なりを整え、お客様を待っています。今日初めてのお客様は、ふわふわ巻き毛の茶色い髪した、仔犬のような女の子です」
再びいったん言葉をきって、ハニアがほろりと、綿菓子のような笑顔を見せた。
『よく来たな。何が望みだ?』
『引っ越したばかりのせいか、最近何だか落ちつかなくて……』
幼い姿のハニアの口から、いかにも色っぽい大人の女性の声が飛び出る。びっくりした様子のカシュアに、ハニアがいたずらな笑みを浮かべた。
「さぁて、せっかくですから、ここであなたにも問題です! 魔女はどんな香水を女の子にすすめたでしょう?」
「え、えぇぇええっ!? マジ無茶ぶりっ! 難題ですよマスターっ!!」
ゲームのことを忘れきっていた青年が、何ともまぬけな悲鳴を上げる。うーうーとうなり出すカシュアのことを、ハニアがくすくす笑いながら見つめている。
「うーんと、えーっと……あぁ分かった! はちみつだ、はちみつの香りっ!!」
「はちみつの香り? その訳は?」
「いや、なんか可愛い感じがするからっ!!」
カシュアはまったくのノリと勢いだけで答えを返す。回答を聞き、ハニアはふっと口もとに蜜を含んだ微笑を見せた。
「……正解、ですか?」
「違いますよ。ペパーミントの香水です」
「ペパーミント?」
首をかしげる愛弟子に、女店主がタネ明かしする。
「ほら、ミントのあのすーっとした香りをかぐと、なんだか気持ちもすーっと落ちついていくでしょう? だからです」
「は、ははぁ……」
「……まぁ、問題の答えには『私の好み』も多分に入っていますけど……!」
あっさり本音をこぼすハニアに、今度はカシュアが吹き出した。ハニアもつられて苦笑い、また声色を艶やかに変え、カルカラの声で話し出した。
『そうか。それならミントの香水を持っていくが良い。気持ちが爽やかになるからな』
女店主は話の継ぎ目に可愛く微笑い、また言の葉を紡いでいった。
「女の子は、嬉しそうにお礼を言って帰りました。次にやってきたのは、落ちついた大人の女性です」
ふんふんとうなずくカシュアを見つめ、ハニアがまたも声色を変えてゆく。
『カルカラ様。私、もうじき結婚するんです。結婚式には何をつければ良いでしょう?』
ふっと微笑った女店主が、小首をかしげて弟子の目の奥をのぞきこむ。
「さあ、今度の女性におすすめするなら、あなたは何を選びます?」
「うぉう、ここでまた来るかぁ! そうだな、うーん、えー、結婚式かぁ……」
しばし悩んだ愛弟子が、ぱっと顔を上げて答えた。
「薔薇だ、バラの香りがいいな! なんか華やかな感じがするし!!」
「正解です!」
弟子のテンションに引っぱられ、ハニアも弾けた声を上げる。またカルカラになりきって、声色を変えて話し出した。
『結婚か、それはめでたいな。ならばバラの香水をつけてゆくが良い。艶やかな香りは、花嫁姿にぴったりだ』
微笑を浮かべた女店主が、ふわりとくちびるの花を咲かせた。
「三人目のお客様は、とても上品な紳士でした」
ここでまたもや声色を変え、ハニアはもの錆びた声で語り出す。
『若い時の夢を見て、眠りたいんです。そんな香水はないでしょうか?』
ふふっと思わせぶりにハニアが微笑う。そんな女店主の様子に、カシュアがおずおず声を上げた。
「……あのー、ここでやっぱ、来ちゃいます?」
「もっちろん! さぁ、あなたなら、ここで何をおすすめします?」
「だぁああ今までで一等難しいーっ! そうだな、あーっと……レモンの香り? 『初キスはレモンの味』って言うし! なんかほろ苦い、甘酸っぱい感じだし!」
ハニアがころころとくすぐられた小鳥みたいな声で笑う。いたずらっぽくちっちっと人さし指を揺らしてみせて、嬉しそうに答えを明かした。
「残念でした。答えは柘榴の香水ですよ!」
「あぁあ、ザクロか! そう来たかぁ!!」
思いきり納得するカシュアへ向けて、ハニアは言葉を連ねてゆく。
『そうか。それならザクロの香水を持ってゆくが良い。甘酸っぱい夢を見るのに、ぴったりだ』
ふっと息をついたハニアが、どことなく淋しそうな笑顔を見せた。紡ぐ言葉に、心なしかしっとりとした感じが混じる。
「紳士は満足そうにおじぎをして、帰ってゆきました。そうして一日お客の相手をしていた魔女は、自分の香水を手にとりました。想い人をとりこにする香水です。毎日これをつけていれば、好きな相手が自分だけを見てくれるようになるのです」
「うわぁ、ここで惚れ薬か! そしたら美人魔女、最強ですね!」
あどけなくはしゃぐ愛弟子に、ハニアは湿った笑顔を見せた。水におぼれた小花のように微笑んで、ぽつぽつ言葉を編み上げてゆく。
「カルカラは香水を手首につけたあと、気を失ってしまいました。しばらくたって気がつくと、恋人のティトクが、心配そうに見つめていました。『カルカラ。……また、あの香水をつけたんだね』」
話の続きに興味しんしんの愛弟子に、ハニアがしっとり微笑ってみせる。
「ティトクは綺麗な金色の髪を揺らし、きらきら光る蒼い瞳を、痛ましげに細めました。想う相手を、とりこにする香水。それは甘い毒なのです。あまりつけると、皮ふが透き通るように白くなり、やがては死んでしまうのです」
「えぇ……えぇえ!? なんでそんな……」
戸惑うカシュアを柔いしぐさでおしとどめ、ハニアは言葉を継いでゆく。
『ねえ、もうやめようよ、こんなこと。そんな香水つけなくてもさ、僕は君だけのとりこだよ』
愛弟子にすがる目つきでみつめられ、ハニアはしょんぼり微笑ってみせた。
「(嘘だ)。カルカラは内心でつぶやきました。魔女のほおへ手を触れるティトクの指からは、ほかの女の匂いがします。カルカラが怖いくらいに鼻がきくことに、ティトクは気づいていないのです」
カシュアが黙って眉をひそめた。綺麗な萌黄色の目が、泣き出しそうに歪んでいる。ハニアはそんなカシュアを見つめ、犬の仔を撫ぜる口調で語り続けた。
「(愛しい人に、自分だけを見てほしい。私の願いが叶う時、私は生きているのだろうか)。カルカラは毒に麻痺した頭で考えて、嘘つきな恋人の腕の中で、淋しそうに微笑みました」
「……それで、最後はどうなるんです……?」
カシュアの問いに答えるそぶりで、ハニアは再び口を開いた。
「それから、きっかり一年後。ティトクはカルカラの葬式で、参列者たちのさざ波のようなうわさ話で、事の真相を知りました。ティトクは青い目を歪め、歯を食いしばり、ようやく涙をこらえました」
「涙……? だって、ティトクはカルカラを愛していなかったんじゃ……?」
「『馬鹿』」
自分に言われたような気がして、カシュアが体をかたくする。ハニアは淋しげな笑顔を見せて、終わりの言葉をつないでいった。
「『馬鹿』。つぶやいたティトクは、この世で一番愛した人へ、くちなしの花を捧げました。(馬鹿なカルカラ。あの女性の香りは、僕の姉さんの香りなんだよ)」
「…………え?」
「……(生まれつき自分ひとりじゃ歩けない、僕の姉さんの香りなんだよ。ほら、今でも香っているだろう? 僕の指から、心から……)」
言葉を失う愛弟子に、店主は小花のしおれたような笑顔を見せた。
「ティトクは心中でささやいて、こらえきれずに涙しました。そんな死人の恋人を、何も知らない参列者たちは、冷ややかな目で眺めていました」
続きの言葉は、出てこない。
物語の終わりに気づいたカシュアはうつむいて、ぽつりと小さくつぶやいた。
「哀しすぎるじゃないですか」
「はい?」
「あんまりですよ、そんな結末! もっと良い話の終わりはないんですか? だって、だって、これじゃあんまり……っ!!」
「世の中にはね、」
声を荒げた愛弟子が、店主の口調にはっとする。自分と同い年くらいなのに、ひどく大人びた声だった。見た目では自分よりずっと幼いのに、別の世界のひとみたいだった。
カシュアの様子に気がついて、少し声音を緩めたハニアが、繕うそぶりで口を開いた。
「この世の中はね、ハッピーエンドであふれてる訳じゃないんです。こうしてお店をやってると、いろんなひとがいらっしゃるんです。皆それぞれ、いろいろな訳を抱えてて……それでもこらえて、最後は微笑って死んでいけたら、それも一種のハッピーエンドじゃないでしょうか」
黙りこんだカシュアが、やがて小さくうなずいた。
(ああ。俺は、まだまだ子どもなんだ)
こんな小さな体でも、マスターは一人で立派にお店を切り盛りしてる。
人生の経験値が、俺はまだまだ足りないんだ。
「……勉強になりました」
生まじめにぺこりと頭を下げる愛弟子を、ハニアは少し不思議そうな顔で眺めた。ひょいと頭を上げたカシュアが、含みのある笑みを浮かべる。
「でも、マスター。正直、このお話って初めっから『完成』してたでしょう?」
「あ、ばれました? ええ、ベースは昔、祖母から聞いたお話です」
いたずらっぽく微笑うハニアに、カシュアは「やっぱりなぁ!」と吹き出した。
「だって難しいですもんね。三つのお題を盛りこんで、お伽話を作るなんて!」
「いや……そういうことじゃなくて……」
どんなに世の中の無情なところを知っていたって、ハニアにはそういう悲しいお話を作り上げるような感性はない。彼女がふわふわした、見た目通りに『幼い少女のような』優しい感性の持ち主だと、カシュアはもう気づいている。
(やっぱりなんか似合わないなあ、マスターがこの話を語るのは……)
内心でそっとつぶやいて、カシュアが口もとに手をあてる。考えてふっと思いつき、ハニアへ向かって提案した。
「――変えちゃいましょっか?」
「はい?」
「だから、話のラストを変えちゃうんです、もちょっと色味の明るい方に! あーでも、それするとマスターのおばあちゃんに失礼かなぁ?」
きょとんとしていた女店主が、思わず小さく吹き出した。くすくす笑いをこぼしながら、カシュアへ向かって人さし指をぴんと可愛く突きつける。
「それじゃあ、あなたが語ってみてください! 今のよりもっと明るい話!」
「あぁあ!? ヤブヘビだったかぁーっ!!」
オーバーに頭を抱えたカシュアが、考えながらぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「……なんかのひょうしにカルカラが、ぽっと本音を言っちゃうとか? ティトクに向かって『お前はいつも、ほかの女の匂いをぷんぷんさせている』とか。そんでティトクが、『何言ってるの、これは僕の姉さんの香りだよ!』って返して、そこで誤解が解けるとか……」
「はい、そこからお話っぽく語ってみましょう!」
「あぁあ……! えーと、カルカラはティトクの姉さんの話を聞いて、『私がその足を治してやろう』と意気ごみました。それからは毎晩お店が終わってから、カルカラはお店の奥の研究室にこもりました。恋人のティトクとの逢瀬の時間も、いくらか削れる勢いでした」
カシュアの懸命な『お話』を、ハニアはにこにこ聞いている。愛弟子は合い間にうーうーうなりながら、だんだん言葉をつないでいった。
「そして三年経ったのち、やっと薬が出来ました。薬を飲んだティトクの姉さんの両足は、最初からわずらっていなかったかのように治りました。姉さんはカルカラにとても感謝し、『うちの弟をよろしく頼むわ』と、両親さながらに言いました。そうしてやがてカルカラとティトクは結婚し、末永く幸せに暮らしました……」
何とかひとくさり語り終え、カシュアがはーっと大きく息をつく。ひたいに浮いた汗を拭って、満足そうに笑ってみせた。
「……へへ、こんなんでいかがでしょう?」
カシュアの言葉に、ハニアがぷはっと吹き出した。ころころ笑うマスターに、愛弟子はちょっとあせって訊ねる。
「あ、あ、やっぱ駄目でした? ご都合主義かな? ありがちですか?」
「いいえ、いいえ! おばあちゃんには悪いけど、私こっちの結末の方が好きかもです……!」
嬉しそうに応えてみせて、ハニアがちょっと笑いやめて小首をかしげた。
「あ、でも……! さっき私が『ハッピーエンドがどうの』って言った話と矛盾してます?」
生まじめな女店主の言葉に、今度はカシュアが吹き出した。
「はは、良いじゃないですか! ほんとの人生にほろ苦い結末が多いなら、お話の中くらいハッピーエンドが多くても!」
「ああ……そうですね! 本当にそう……!!」
あっさり納得したハニアが、くっとカップに手をかける。さっき飲みほしたことに気がつき、笑って椅子から腰を上げた。
「カシュアさん、もう一杯お茶をお飲みになりますか?」
「おおっ、いいっすねぇ!!」
人生の経験値がほとんどゼロの愛弟子は、あどけない表情でカップ片手に笑ってみせた。