表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/33

香の一・お天気雨とお客様

『今朝の空は、透き通る海の青に真珠のレースがかかったようだ。』

 お天気雨をそう例えたのは、いつの時代の作家だったか。


「えぇーっと、どの本の、何ていうタイトルの話だったっけ……? うぅん、思い出せないなあ……」


 香茶店『ファカルナ』の店内で、『幼げな少女』が小首をかしげて考える。この女の子、ハニアがここの店主だと言っても、10人中9人が「ウッソだあ!」と笑うだろう。


 ぽやっとしたはちみつ色の瞳、ふわふわした栗色のボブヘアー。小さな背たけ、幼い手足、地味ながら可愛らしい黒のローブドレス……。


 どっから見ても幼女な彼女、その実は『ものすごい童顔、その他もろもろ』なのである。成人おとなになりたてほやほやの、立派にここの店主である。


 ともかくも『今日の空は、透き通る海の青に』……そのフレーズがふとよみがえる、今朝は久々のお天気雨。ハニアは丸い窓の内側から、ガラスに伝うしずくを幼い指先で()()()となぞる。


「お天気雨でも、けっこう元気の良い雨ね……! 今日はお客様、いらっしゃるかな……?」


 うう、自分で言っててちょっと悲しい。悲しいけれど、つい口にしたくなるくらいに事実。こんな天気ではよけい客足は遠のくばかり、そして口にするとなお悲しい。


「……やだわ、これじゃ負のループだわ! 悲しすぎるメビウスだわ! ……そうよ! こんな時はお茶だわ! お茶を飲みましょうっ!!」


 自分でじぶんを追いこんだあげく、お茶で気分直しをはかる。何しろここは『香茶店』、お茶だけなら腐るほどある。いや、腐ったら大変だけど!


 ハニアはあわててくるりとターンし、奥のキッチンに向かおうとする。栗色の髪がふわふわ軽く肩に踊る。ローブドレスのスカートのすそが、ひらりと風を含んで揺れる。


 ふっとふり返り、()()()()の店内を改めて見回し……十八歳の女店主ハニアは、思わずため息してしまう。


 この店を始めて、二年目になる。

 幻術の力をベースにいろいろなものの香りを移した、甘い紅茶を扱う店。ハニアは『香るお茶』ということで、それを『こうちゃ』と呼んでいる。


 けれど、お客はなかなかつかない。さっき嘆いてしまったように、こんな雨の降る日には、客が来るほうが珍しい。『普通のフレーバーティーと、いったい何が違うんだ?』と、そう思われているのだろう。


「いったい、何が違うのかしら……?」


 自分でもよく分からなくなり、少女店主が眉をひそめて首をかしげた。今さらのような考えに、何だかきゅーんとおなかが空いたみたいな、足もとが頼りない気持ちになる。こういう思考はハマると落ちこむ。落ちこむのが分かっているから、ハニアは急にテンション高く声を上げた。


「……良いわ、お茶だわっ! とにかくまずはお茶にしましょうっ!!」


 無理やり思考のルートを戻して、大きく両手を打ち合わせる。と、首から下げた金のロケットのペンダントが小さく跳ねた。


「…………あ、」


 ハニアの目線が己の胸もとにふと落ちる。……気持ちがふわっと柔らかくなり、少女店主は思わずはにかみ、ロケットのふたをぱちんと開けた。


 チョコレート色の髪に、緩くく細い眉……。

 ハニアの恩師のカークゥの写真が、ロケットの中でっている。ハニアは写真を両手で包みこみ、ぽつりと一人つぶやいた。


「カークゥ先生、お元気かしら……?」


 写真の姿に『今朝の夢の記憶』を重ね、少女はうっとりと声にする。


 カークゥ=カーリス=カリービア。


 おっとりとして目立たない、けれど本当は底知れぬ幻術の力を秘めた人だった。

 落ちこぼれのハニアを優しく見守り、ここまで導いてくれた。今住んでいるこのてんも、彼のつてでただ同然で使わせてもらっているものだ。


(……また、会いたいなあ……)


 そう思っても、落ちこぼれだったハニアにとって、学校へ訪ねていくのはハードルが高い。どうしても気後れしてしまう。


 かといって、カークゥの家に直接行くのも気がひける。恩師の家を訪れたのは、店舗の件でお世話になった一度きり。カークゥ以外は用事で出かけていたらしく、ハニアはいまだに彼の家族とも顔を合わせたことはない。


「先生に、会いたいんだけど、なぁ……」


 ハニアはしみじみとささやいて、ぱちんとロケットのふたを閉めた。そのまま軽く握りしめ、はちみつ色の目を閉じて甘酸っぱい想いにひたる。


『からんからん、から……っ』


 店内にドアベルの音が響く。少女店主は『自分以外の鳴らしたベル』にちょっと()()として目を開ける。見たことのない青年が、店の中へと飛びこんできた。


 色の髪に、もえの瞳。ぱっと見女性かと思えるほどに整った顔の青年は、ぶるぶると犬の仔のように濡れた頭を震わせた。


「いやぁ、降られた! びしゃびしゃだあ!!」


 あどけなさの残る声音でそうこぼし、青年はハニアに向かって苦笑する。ハニアは何だかおかしくなって、思わずくすっと笑みをこぼした。それから()()()小首をかしげてにっこり笑い、白い手を優雅に揺らして椅子をすすめる。


『さっきまでの言動と別人みたい!』と言うなかれ。店を開いてはや二年目、『営業用のエレガンスさ』は、もうすでに嫌というほど身に着けている。


 ……悲しいかな、幼女みたいな見た目では優雅さより可愛さの方がまさってしまうが、そこは気にしてもしょうがない!


あま宿やどりの方ですか? でしたらどうぞ、こちらへいらしておかけになって。今すぐタオルをお持ちしますわ!」

「や、どうもすいません!」


 ちゃっかり腰を下ろした男に、ハニアがやわいタオルを渡す。


 人心地ついた青年へ、少女は香茶をれて差し出した。口もとへカップを運んだ青年が、ふいに何かに気づいたように、くん、と鼻をうごめかせた。


「何だろう、何か甘くて良い匂い……?」

「ここの売り物のこうちゃです。桜の匂いをつけたんですよ」

「ああ、なるほど。そうなんだ!」


 青年はそれこそ『はしゃいだ仔犬』を思わせるような笑みを浮かべて、そっとカップへ口をつける。そのまま萌黄の瞳を閉じて、()()としみじみ吐息をついた。


「……これ、うまい……なんか、『花の蜜吸う小鳥』になったみたいな気分!」


 少し詩的なおほめの言葉に、耳のあたりがくすぐったい。男の大きな瞳の色が、柔い記憶を呼び覚ます。


(この人、カークゥ先生に似ている――)


 髪の色も、顔立ちもまるで違うけど。春の若葉をゼリー寄せにしたような、萌黄の目の色がとても似ている。ハニアはいつになく甘い心もちになり、つくづくと男の瞳を見つめてしまう。


(カークゥ先生、今ごろはいったい、どうなさっているかしら……?)


「……あの、あのう、店長さん? どうしました? ぽーっとしちゃって!」


 ハニアが、はっと我に返る。


 気づけば自分の店の中、雨やみを待つ青年と二人でお茶を飲んでいた。カークゥそっくりの萌黄の瞳が、気づかわしげに少女店主を映している。ハニアは軽く首を振り、()()とあいまいに微笑んだ。


「いいえ、何だかちょっと昔を……昔に出逢った、素敵な方を思い出して……」

「ふぅん? でも昔をなつかしむ年でもないでしょう。ハニアさん、俺と同い年くらいだもん!」


 ふいに自分の名を呼ばれ、ハニアがはちみつ色の目をぱっちり大きく見開いた。


 どうしてこの人、私の名前を知ってるの? それに『同い年くらい』って、何でそんなこと分かるのかしら? 私はいつも、歳より幼く見られるのに!


 ――そう! こないだなんて、通りすがりのおじさんに『お嬢ちゃん、甘いアメをあげようか、でへへへ……』って! あれは相当やばかったわ!!


 何だか考えがとっちらかってきたハニアの前で、青年はぐうっと大きく()()をした。


「はぁあ、ようやく落ちついた! そんじゃあ本題に入ろうか……!」

「……ほ、本題?」


 と、いきなり真面目な顔になった青年が、一つ大きく頭を下げた。


こうちゃハニア・ハニウ・ハニュウさん! 俺を弟子にしてください!!」

「で、弟子ぃいっ!!?」


 思ってもみなかった申し出に、思考が軽く爆発する。あわあわとあわてて両手を振りながら、ハニアはテープの高速回転みたいにしゃべり出す。


「ととと、とんでもない、私があなたの師匠だなんて! 私幻術師の養成学校で、どうしようもない落ちこぼれで、結局とちゅうで退学して勢いだけでこの道に……っ!!」

「ああ、知ってますよ! 父からさんざ聞かされました!!」

「……お、お父様から?」


 ますますパニくる女店主に、青年がにっこり笑って言葉を継いだ。


「申し遅れました。俺、カシュア=カーリス=カリービア。幻術教師、カークゥ=カーリス=カリービアの息子です!!」

「…………え? え? えぇええぇえっ!!?」


 思考、完全爆発。白いほおに血をのぼせるハニアの手をとり、カシュアがすさまじい勢いでがぶり寄る。


「で、弟子の件OKですか? OKですね? よし決まり! ハニアさん、じゃなくてマスター、これからよろしくお願いしますっ!!」


 めまいのするような急展開に、ハニアがぼうぜんと目を見張る。


 初めての『弟子』の萌黄の瞳に映る自分は、何だかめちゃめちゃ情けなかった。例えれば、そう……『ポップコーンを口いっぱいに突っ込まれた小リス』のさまを思わせて、それはそれは()()()()だった。


 ()()()()としていた雨音が、少女の『ぽかん』につられたように、ぱつ、ぱつ、となごりの音をさせ、いつの間にか消えていた。……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ