黄の三・手紙
夕方に家へついた二人は、玄関の前でもじもじしていた。
「パパとママ、心配してるかな……」
「……してるだろうな。心配とか通りこして、えらい怒ってるかもしれない」
「お兄ちゃん、何であんな、分かんない書き置きしてったの?」
今さらのように責めるカリアに、カロンがくちびるを尖らして、耳の後ろをかき出した。
「いや別に、ちょっとしたちゃめっ気っていうか……でもやっぱ、ふつうに行き先書いといた方が良かったかも」
「うぅー」
カリアが小さくうなり出し、兄の腰へとしがみつく。
妹の頭になだめるそぶりで手をやって、カロンがようやく覚悟を決めて、ドアのノブへと手をかける。
「ただい……ま」
『お帰りなさい、カロン、カリア!!』
玄関先で両親にそろって出迎えられて、幼い兄妹が目を見はる。
笑って手を伸ばした父は、びくっと身をひくカロンの頭に「ぽん」と優しく手を置いた。
「龍涎香は、見つかった?」
「……え? えぇえ? 嘘でしょ? 父さん、母さん、あんな書き置きで分かったの!?」
「『あんな書き置き』? はは、語るに落ちるってやつだねぇ。分かんないだろうと思ってて、あのメモを残していったのかい?」
「あ」
カロンが思わず口を押さえる。まだまだ幼い息子のしぐさに、父のカシュアが声を立てて笑い出した。
「ははは、今になって口押さえても遅いよ、カロン!」
「……どうして行き先、分かったの?」
問いかける息子と、不思議そうな顔をする娘に微笑いかけ、母のハニアがぷっくりしたくちびるへ指を押しあてた。
「あのね、私の誕生日に、二人が黙って出かけたのは、きっとプレゼント調達のためだと思ったの。カリアはたぶん、香り絡みのものを考えてくれるはず。『香り』と『涎れ』がキーワードなら、出てくる答えは『龍涎香』しかないじゃない?」
「それに、ラジオでもさんざ言ってたし。アルミッレの海岸で、オスのマッコウが見つかったって」
軽く種を明かされて、テディベアを盾にしながら、カロンが小声で問いかける。
「……それで、心配しなかった?」
「ん? んん、まぁ、心配ではあったけれど。しっかり者の兄貴もいるし、大丈夫だろと思ってね。パーティーの準備して待ってたよ」
手のひらの上で泳がされていた気になって、カロンが大きく息をつく。
カリアがそんな兄の腕から、テディベアを受け取った。そうして茶色い毛皮の小さなおでこに、柔く優しいキスをした。
「はい、これ、あたしとお兄ちゃんからプレゼントっ!!」
ぬいぐるみを抱き取った母が、ふいにとろっととろけるような顔をする。テディを抱いたハニアの姿は、まるっきり幼い少女みたいだった。……けれども、彼女は母なのだ。目の前にいるカロンとカリアを産み落とし、ここまで育てた母なのだ。
とろけるような笑顔のハニアが、テディをカロンへ手渡した。ぬいぐるみへ鼻を近づけ、軽く匂いをかいだ父の顔も輝いた。
「――素晴らしいな!!」
感嘆しながら、父がもう一度ハニアの手にテディを渡す。母はさっきぬいぐるみがされたみたいに、カリアのひたいへキスをした。
「この香りが、カリアの考えた『龍涎香』? ありがとう、私いまだに本物はかいだことないけれど、きっとそれより良い香りだわ!」
胸もとを押さえた少年が、誰へと向ける訳でもなく、ふとあいまいな笑顔を見せた。
胸が、ぎゅうっと痛くなる。
酸っぱいような、苦いみたいな、味がのどまで上がってくる……けれども、その味わいには、苦しくなるほど甘い想いも混じっている。
(ああ、こういう気持ちも、きっと『幸せ』というんだな……)
十三歳の少年は、あきらめの溶けこんだ心のうちでつぶやいた。母のハニアがそんなカロンと目を合わせ、ふわっと右手をさし伸ばす。
「カロンも本当にありがとう! ごはんのしたくも、ケーキの準備も出来てるわ。このくまさんもお呼びして、みんなで一緒にいただきましょう!」
もうきっと『気づいている』母親が、極上の笑顔でカロンに誘いをかける。
カロンはくしゃっとほおを歪めて、泣き出しそうにはにかんだ。
* * *
それから一週間が過ぎた、四月二度めの日曜日。
カロンは自分の部屋の中で、一人ラジオを聴いていた。
「アルミッレのクジラ、ついに解体されたのかあ……龍涎香は、見つからなかったみたいだな」
思わず知らずつぶやいて、カロンは小さく吐息をついた。
こんこん、とふいに部屋の扉がノックされ、母がひょこりと顔を出す。
「何? 母さん」
「あなたあてに、お手紙が一通届いたわ。知らない町の人からよ」
「何それ? 『知らない町の人』?」
いぶかしげに眉をひそめて、カロンが椅子から立ち上がる。
手渡された封筒には、確かに見慣れぬ町の名と、知らない名前が書かれていた。名前の響きから考えると、どうやら女の人らしい。
母が去ったのを見届けて、カロンは小さなペーパーナイフで、見知らぬ手紙の封を開けた。たたまれた便せんを取り出して、まだ何か入っているのに気がついて、封筒をそっと逆さにする。
中からこぼれ出てきたのは、押し花をあしらったしおりだった。海苺をぐっと小型にしたような、姫海苺の押し花のしおり。
(ああ! もしかして、この前の……!!)
差出人に思いあたった少年は、便せんを広げて食い入るように読み始めた。
* * *
『お元気ですか、カロン様?
初めてお便りさし上げます。わたしはこの間お目にかかった、海苺の女です。
あの後、あなたの姓を調べさせていただきました。そうしてあなたがマルティス村の、香りのお店『ファカルナ』の息子さんだと知りました。無礼なこととは思いつつ、お便りさせていただきます。
わたしは小さい頃、アルミッレで育ちました。
十歳の頃、父の転勤で今の町へと移りましたが、越した後でもアルミッレが大好きでした(もちろん、今も大好きです)
この間あの町に戻ってきたのは、今度結婚する彼に、私の生まれ育った町、アルミッレを見てもらいたかったからです。
何より、あのベリー畑の光景を、見てもらいたかったのです。
けれどベリー畑はあんなパネルに変わっていて、わたしは『絶望』していました(大げさな表現と思われるかもしれませんが、本当にがっかりしていたのです)
わたしが一番見てほしかった風景は、もうアルミッレにはない。
幼い頃の思い出を、何かに否定されたような。そんな気にさえなりました。
その時、あなたがあの光景を再現してくれたのです。
もう、ものすごく嬉しかった。月並みな表現ですけれど、天にも昇る心地になりました。
同封させていただいたしおりは、その時のせめてものお礼です。もしお気に召したならば、どうぞ使ってやってください。
『あの風景を、わたしはずっと忘れません』
わたしがそう口にしたら、あなたはお笑いになるでしょうか?
あなたにお手紙さし上げるため、いろいろ調べ物をしていて、わたしは改めて知りました。
『幻術は夢まぼろしに過ぎないから、どんなに長くても半年で、人の記憶から消えてしまう』
けれど、わたしはあの夢のような光景を、きっと一生忘れません。
もし万が一あの景色そのものを忘れても、あなたのこと、あなたがくれた感動だけは忘れません。
わたしは生まれてくる子どもに、男でも女でも『フレィズ』とつけようと思います(気が早いと思われますか? 実は『さずかり婚』なんです!)
フレィズはアルミッレの方言で『海苺』という意味なんです。だからわたしは、子どもの名を呼ぶたびにあなたを思い出すでしょう。
今住んでいる町は、あなたの村より『海向こうの異国』の方が近いような場所なので、改めてお礼にうかがうことはちょっと難しいですが、いつか必ずお店の方にうかがおうと思います。
どんな香りの商品を買って帰ろうか、今から楽しみにしています!
……それでは、今回はこのあたりでペンを置かせていただきます。
あんなに素敵な幻術を、本当にありがとうございました。
(心の底から、甘い感謝とキスをこめて)
カロン=カーリス=カリービア様へ
海苺の女より』
* * *
手紙を読み終えたカロンは、くすぐったそうに苦笑した。
「子どもの名前に『海苺』かあ……」
手にしたしおりをしみじみ眺めて、少年は内心でつぶやいた。
(そうか、こんなのもありなんだ)
おそらく彼女は、まぼろしの光景を忘れるだろう。
感動していた風景は、記憶の中の幼い目で見た本物の光景になり変わって、やがてそれもだんだん薄れていくだろう。幻術とは、そういうものだ。
でも、彼女は『感動したこと』自体は忘れないだろう。
手紙に記したとおり、子どもの名を呼ぶたびに、カロンを思い出すだろう。
(ぼくだって忘れない。ぼくの幻術であんなに喜んでもらえたこと、きっと一生忘れない)
「……そうか、これで良いんだな」
きっとずっと昔から、無数の幻術師たちが、そう考えてきたんだな。だからこそ『幻術』と『幻術師』が、はるか昔から現代まで、存在し続けてきたんだな……。
「――これで、良いんだ」
今は、良いんだ。これで良いんだ。
けどやっぱり、いつかはきっと、どこの誰にも忘れられない、そんなまぼろしを作りたい。ぼくがおじいちゃんになっても、叶わぬ夢かもしれないけれど……。
カロンは内心でしみじみつぶやき、しおりを手にしてはにかんだ。目の裏がじんわり熱いから、そっと指先で目を拭う。ちょうどそのタイミングで、こんこんと誰かがドアをノックした。
「っ……は、はい! 何?」
「カロン、お茶飲むか? 木苺の香茶、淹れたけど」
父親の声に、カロンは手紙一式を机にさっとしまいこんだ。この手紙、父に見せるのはやっぱり何とも照れくさい。
「うん、飲む! 入って!!」
いつもより少し甘えた声が出て、カロンはきゅっとくちびるを噛む。
父、カシュアはティーセットをおぼんにのせて入ってきた。二人のカップに香茶をついで、なにげなく横目でカロンの机に目線をくれる。
「手紙、結局誰からだった?」
(ああ、父さんそれが知りたかったのか)
ブラフにもならない木苺のお茶を受けとって、カロンはにんまり笑ってみせた。
「ふふ、ないしょ」
「彼女から?」
「えー、全然違うよ、向こうは彼氏連れてたし。今度結婚するんだってさ、しかも『さずかり婚』だって」
「……し、失恋か? にしたってえらいダイナミックな失恋……、」
「って、だから違うってば、父さん!」
カシュアが大きく首をひねりつつ、うなずいた。『何か分からんが、まあいいや』と言いたげに、ゆるりとカップへ口をつける。ふいにふわっとほおを緩めて、おかしそうに笑い出した。
「ん? なに? 何で笑うのさ、父さん」
「……いや。お前本当に、龍涎香のこと知ってたのかな、と思ってさ」
いぶかしげに自分を見やる息子に向かい、カシュアはさらっと種を明かした。
「龍涎香って、採りたてはひどく生臭い、嫌な臭いがするんだよ。これ、有名な話だぞ?」
まあ、実際かいだことはないけどさ。
笑ってつけたす父の言葉に、カロンが思いきり吹き出した。肩を震わせて笑いながら、やっとカップに口をつける。木苺の甘酸っぱい味が、そこでようやく舌に届いた。
「……ねぇ、父さん。このお茶、良い香りだね」
カシュアが何か言いたげに、じっと息子の顔を見つめた。
「お前、うんと小さい時な……」と言葉にして、後は黙って微笑んで、うなずいてお茶に口をつけた。
かげない香りは今きっと、部屋じゅうに甘く香っている。
幸せの残り香のような、その匂いを想いながら、カロンは黙ってお茶をすする。
机の中のしおりを想うと、心の奥に海苺色の灯がともり、ほんのり淡く輝いた。




