欠片の三・バナナの香りが、
さて、おやつ時である。
目の前には、まだ子どもっ気の抜けきらない愛しい夫と、三歳になる幼い息子。夫婦で営んでいるのは『香るお茶のお店』だから、お茶っ葉はそれこそ売るほどある。
……だが、お茶の時間にお茶菓子がない。ちょうど切らしてしまったのだ。あるのはシナモンパウダーと、ほどよく熟したバナナが二本。そしてお米の粉だけだ。
「――さぁこの状態でどうするハニア! はたしてこの材料からお茶菓子を作れるのか主婦ハニア!!」
「もぉあなたったら! おかしなナレーション入れないで!」
くすくす笑いながらハニアがピンクのエプロンを着け、可愛らしくウィンクをする。
「分かりました! いつもの『バナナの揚げたの』をこさえます!」
『わーい』と両手をあげる夫と息子に再びウィンク。主婦ハニアは慣れた手つきで小さな器に米粉を入れて、水で溶く。シナモンパウダー少しと塩ひとつまみ、ここまで全て目分量。
……小ぶりのバナナ二本をころあいに切り、米粉を溶いた衣をまぶして、小さめのフライパンにひまわり油を注いで熱し、バナナを投入、とちゅうで一回ひっくり返し、じゅわじゅわと揚げて出来あがり!
「さぁ出来ました! ママのお得意、簡単『バナナの揚げたの』です!」
『わー!! おいしそー!!』
おやつと同時進行で、自分が淹れたダージリンのカップ片手に、カシュアが芯から幸せそうにあつあつのバナナにかぶりつく。まだ幼いカロンはミルク、ハニアがフォークで揚げバナナを小さく切って、ふーふーして息子の口に入れてあげる。
「あー良いなぁ、ハニア、俺にもふーふーして?」
「あなたは大丈夫でしょ、本来はあつあつが美味しいのよ?」
「むー」
不満そうなカシュアを見て、幼い息子がどことなくドヤ顔をしてみせる。苦笑いしたカシュアがダージリンを一口すすって息を吐く。
「やっぱ良いね、バナナの揚げたのにダージリン! いつもは香茶を飲むけどさ、こんだけバナナが甘ーい良い香り放ってると、香茶とけんかしちゃうからなぁ!」
カシュアの言葉に、カロンがふうっと不思議そうな顔をする。そうしてくっと顔を上げ、小さな口をまるく開いた。
「あのね、カロンね、バナナの香りが……」
* * *
……その日に、幼い息子が言った言葉を、ハニアとカシュアは忘れなかった。
カロンは、日に日に成長していった。どこか横顔に陰のある、美しい少年に育っていった。
三歳のある日に言った言葉なんて、もうとっくに忘れてしまったようだった。
――「バナナの香りが分からない」なんて、言ったことさえ忘れてしまったようだった。




