表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/33

現の終・木苺のお茶

 ――想い出にひたり終わったところで、ハニアが菓子を手に戻ってきた。

 あれほど店主を惑わせたのは、こうちゃを砕いて生地にミックスした、クッキーの詰め合わせの缶だった。


 ハニアは小さく舌を出して、苦笑しながら椅子にすわる。


「お待たせしました、すみません。どこへ置いたか忘れちゃってて、探すのに時間かかっちゃって……」


 ふっと何かに気づいたふうに、ハニアがカシュアを上目づかいに見つめてきた。


「……カシュア、もしかして泣いてました?」

「いいえ。泣いてやしませんよ」


 泣いていたように見えたとすれば、それは嬉し泣きだろう。


 心のうちでささやいて、カシュアはほおに笑みを浮かべた。紅茶のお代わりをそそいでもらい、白いカップを口へと運ぶ。


 いちごの甘酸っぱい香りがこうちゅうに満ちあふれ、青年はしみじみとつぶやいた。


「……うまい」


 その言葉に、ハニアがくすっと小さくう。


「お父様そっくり、その口調」


 甘く緩んだ声音で告げて、女店主は嬉しげに小首をかしげてカシュアを見つめた。


「初めて木苺のお茶を飲んでもらった時も、あなたはそうして『うまい』って言ってくださいましたよね」

「あ、じゃあもしか、それがきっかけですか? 俺のこと好きになってくれたの」


 思ってもみなかった切り返しに、ハニアがほおを真っ赤に染める。


 女店主の胸を彩るペンダントのロケットには、カシュアの写真が入っている。

 その小さな金の器に、以前は父、カークゥの写真が入っていたことを、カシュアはちゃんと知っていた。


 切なげに瞳を細めるハニアのひたいに、カシュアがテーブルの向こうから伸び上がって口づける。無理な体勢にえぐい身長差、腰にけっこうな負担がかかるが、こういうキスも悪くない。


 もえの瞳に『師匠』を映して、まながふっとつぶやいた。


「……ねえ、ハニア。もし俺が、この先老いにおぼれてさ、君のこと忘れてしまっても、この香りで思い出すから……この木苺の匂いをかぐたび、きっと、全部を思い出すから」


 あまりにも唐突な告白に、ハニアがきょとんとはちみつ色の目を見はる。

 それからふわっと、綿わたの手ざわりを思わす微笑をほおに浮かべて、ひとつ大きくうなずいた。


「……うん。私もきっと、何を忘れても思い出してみせるから。あなたのこと。あなたとのこと」


 カシュアは甘く涙するように微笑んで、もう一度恋人のひたいへキスをした。


 たとえこの先何があろうと、何度だって思い出す。

 この木苺の、甘く切なくやわい香りが、この世に存在する限り。


 この想いは、この毎日は、まぼろしなんかじゃないのだから……。


 恋人たちがテーブルのこちらと向こうで見つめ合い、もう一度くちびるを近づける。互いの息が触れ合わんばかり、互いが近づいたそのせつ、からんからんとドアベルが鳴った。


『っいっ……いらっしゃいませぇ!!』

「おやおや、相変わらずにぎやかだねえ。二人して何をしてたんだい?」

「っか、カークゥ先生!!」

「親父ぃいいい!!?」


 またかよおぉ!! と言いたげなカシュア、嬉しげにおじぎをするハニア。傘を閉じ、や、と手をあげる父に向かって、カシュアが()()()とほおをふくらませる。


「……何しに来たのさ、親父」

「ん? 先生が可愛い生徒のやってるお店に、香茶買いに来ちゃいけないかい?」

「…………いや、別にいけなくはないけどさ」

「しかしカシュア、何だかお前は来るたびにこうしてお茶を飲んでるねえ。ちゃんと修業はしてるのかい?」

「あのなっ! だいたい親父がこーゆー時に限ってだなっ!!」

「『こういう時』? こういう時ってどういう時だい??」


 にこにこ笑いながら息子を追い詰める父親に、カシュアは()()()と頭を抱える。あーもー、とか悶えている恋人に笑いかけ、キッチンから戻ってきたハニアがもうひとつカップをテーブルに置く。


「さ、先生もいっぷくいかがです?」

「ええ、ありがたくいただきます……おや、どうやらお天気雨もやんだみたいだ。きっとこれからは良い天気になりますよ!」


 窓をかえり見たカークゥの言葉に、二人もつられて外を見る。なるほど、雨は降るのをやめて、よりいっそう明るく日がさしてきた。


 丸窓のおもてを伝い、日を浴びて水滴がきらきら光る。その輝きは、透き通る柔らかな宝石のようだった。


 お茶が美味しくて、目の前にマスターがいて、ついでに親父も目の前にいて。


 ――ま、いっか。これもなかなか幸せだ――。


 なんてことを考えながら、カシュアは木苺のお茶に口をつける。

 甘酸っぱい、どこか()()()と胸の鳴るような味わいが、のどを伝って過ぎていく。紅茶の茶葉のクッキーも、何だかしみじみ美味しく感じて……。


 ああ、あの時けんかした先生に、今度の休みに逢いに行こうか……。

 先生、今の俺の幻術は、そこそこいけると思うんですよ。お元気ですか? 見てくれますか?


 内心でつぶやきながら飲むお茶は、甘酸っぱさがほんのちょっぴり増した気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ