表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/33

幻の三・全てはまぼろし

 リリカがくにに行ってから、一年が過ぎた頃のこと。


 少年カシュアの胸のうちでは、顔も知らない『香りの少女』、ハニアが大輪の花を咲かせていた。


 心の中で、リリカを見捨てた訳じゃない。

 けれど、胸のてんびんがどちらに傾いているかといえば、明らかにハニアの方に分があった。


 薄情な……というより、『一生けんめい忘れようとしていたんだな』と、十九になった今は思う。けれど十七歳の当時は、そう考える余裕もなかった。


 そんな十七のカシュアのもとに、リリカはもう一度現われた。

 一身に夏の陽射しを浴びて、白い麦わらぼうしをかぶって、見違えるような明るさで。


 家の庭先にその姿を見つけた時、カシュアは自分の目を疑った。


(嘘だろう? ……もしか誰かが、俺に幻術をかけてるんじゃないのかな?)


 思わずそう考えてしまうほど、リリカの表情はまばゆく強く輝いていた。

 まぼろしのように幸せそうな顔の少女は、カシュアに気がつき、ひらっと白い手を振った。


「お久しぶり、カシュア! 今ね、泊まっている宿屋から、あなたを訪ねるところだったの!」

「…………リリカ? 本当にリリカなの?」


 驚きのあまり無作法に指をさしての問いかけに、リリカはおかしそうに笑う。笑いながら、当然のようにうなずいた。


『ハニアはどうした?』


 もし耳もとでこう訊ねたら、十七のカシュアは『誰のこと?』と答えただろう。それほど当時のカシュアにとって、この再会は衝撃だった。

 別人のように明るくなった同い年のお嬢さんは、訊かれぬうちに打ち明けた。


「里帰りなの。……あと、お母さんのお墓参り」


 輝かんばかりの微笑みが、亡き母を語る時にだけ、ほんのりと湿り気を帯びた。ふっと昔の自分の家を振り返り、苦笑しながら口にする。


「おとなりの家には、もうまた人が住んでるのね。わたしたち家族が住んでた時より、庭が綺麗になってるわ」


 リリカの言葉に、カシュアはなし崩しにう。


「……元気、そうだね」


 ぼそぼそと口の中でつぶやくと、少女はまたを輝かせ、こくりと首をたてに振る。


「ええ、今はとっても幸せ! かあさまもとても優しいし、わたしも向こうで使う言葉を、もうほとんど覚えたの。屋敷のかたも近所のかたも、みんな気のいい、すごく素敵なひとたちよ!」


 笑いながらふりまく言葉に、ひとかけらの嘘もない。


 時々のぞく、しっとりと切なげな表情に、古傷の深さがにじむけど。亡き母を忘れず、胸のうちに大切に抱きしめたままで、彼女は新しい生活にもなじんでいる。


 かんむりのないお姫様の運命は、王子様ならぬ『お母様』がきっかけで、くるりと好転したらしい。


(……あれ? 何で今、胸が『ちくっ』てしたんだろう?)


 もしかして、目の前のリリカが不幸になっていれば良いと。


 嘆いて悩んで、ここに戻ってくれたら良いと、最低のことを考えた?


 その考えに、カシュアの胸が()()()()鈍く痛み出す。そんなカシュアの手を握って、リリカは満面の笑みで告げる。


「ありがとう、カシュア。これもみんなあなたのおかげ。あなたが昔に見せてくれた、あの幻術のおかげだわ!」


 少女の言葉に救われたような気になって、カシュアは緩く微笑んだ。


「うん、こっちこそありがとう。……ねえ、リリカ。あの日のまぼろし、どんなだったか覚えてる?」


 ふと質問してしまったのは、かすかな不安が胸に宿ったからだった。


 幻術は、やはり夢まぼろし。長くても半年で、術をかけられた人の記憶から消えるもの。――それでもあれだけ気持ちをこめたものだから、あの花畑は、あの『大好き』は、リリカの中からきっと消え去ることはない。


 そんな甘えた考えが、今の今まで頭にあった。小さな不安を胸に抱いた少年に、リリカはぎこちない笑顔を見せた。


「……もちろんよ。覚えているわ、はっきりと」

「どんなだった? どんなだったか、教えて、ここで」

「え、えぇと、ええと……ああそう! わたしとあなたが小さい頃の、思い出みたいなまぼろしよね?」


 不安が一気に散らけたカシュアが、弾けるようにうなずいた。


「うん、そう、そうだよ!」

「そ、そうよね! わたしたちが小さい頃の、わたしとお父さんとお母さん、三人が仲良くしていたまぼろしよね!」


 ぽつん……。


 心の中に空想の雨が降る音が、カシュアの耳に届いた気がした。さあさあと聞こえない雨音を聞きながら、カシュアはぼんやりうなずいた。


「…………うん、そう。そうだよ」


 リリカは明らかにほっとした笑顔を見せて、少年の手をさすって告げた。


「そうよ、忘れるはずもないわ。あの幻術のおかげだもの、わたしがこんなに幸せなのは。ありがとう、カシュア、本当にありがとう!」


 リリカは十も二十も感謝の言葉をくり返し、やがてごり惜しそうに、カシュアの手から手を離した。


「カシュア、じゃあこれで……」

「……あ、もう行く?」

「うん、これからお父さんと一緒に、お母さんのお墓に行くから」


 少女はふっとほんのり湿った笑みを浮かべて、それからまた輝かんばかりの笑顔になって、手を振りながら去っていった。


 カシュアは深く大きく息をつき、家の中へと戻っていった。


「あれ? カシュア、どうしたんだい? 『ぷらっと散歩に行ってくる』って今さっき出かけていったのに、もうお散歩は終わったのかい?」

「……カシュア? ねえ、どうかした、カシュア?」


 週末恒例の、デートの準備を始めていた両親の横をすり抜けて、カシュアは二階へ上がっていった。自室に戻って扉を閉めて、そこで初めて涙が流れた。


 こらえにこらえていたものが、ぼろぼろぼろぼろあふれてくる。熱のかたまりがあとからあとから目から噴き出し、止められない、止めようもない。


 ――消えてしまった、何もかも。

 クローバー畑も、一緒に遊んだ光景も、おしまいの『大好き』の言葉さえ。

 彼女の中から、消えてしまった。


 当然のことだ。だって、全ては、


(全ては、まぼろし、なのだから)


 いっそ己を突き放して、カシュアは心のうちでつぶやいた。そうして心で言葉にすると、こらえきれないえつがのどからあふれ出た。


 自分の幻術で自分をごまかす余裕もなくて、十七歳の少年は、声の枯れるまで泣き続けた。……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ