現の二・そばにいる人
木苺の香りが色濃く漂って、カシュアを現実に引き戻す。
ふっと目線を前に向けると、術の師匠、兼、恋人が、香茶のセットを一そろい、おぼんにのせて微笑っていた。
「木苺の香茶、お待たせしました!」
ふわっとはにかむその表情は、ハニアにだけしか出来ないもの。過去に何があろうとも、今こうしてそばにいる人が、誰より何より愛おしい。
ひとつの無理もてらいもなしに、当然のように考えられる自分が嬉しい。
カシュアは穏やかに微笑んで、お気に入りの香りのお茶に口をつける。そんなカシュアに、ふんわり小首をかしげた店主が、真綿のように問いかけた。
「ねぇ、カシュア。今さっき、考えごとをしてました?」
「え? ……どうしてですか?」
『うん』とも『ううん』とも答えずに、カシュアが逆に訊き返す。ハニアはお茶のカップを片手に、つぶやくようにこう答えた。
「あなたは、考えごとをする時、自分の爪を撫でるから」
「そう……ですか? そうなのかな……」
思いもよらない切り返しに、カシュアが自分の爪をしげしげ見つめる。そんな恋人の反応に、ハニアがちょっと困ったように微笑んだ。
カシュアがふっと顔を上げ、繕うそぶりで軽く微笑う。
「……いいえ、何でもないんです。大したことじゃあないですよ」
(そうだ、そんな大したことじゃない)
自分の中ではもうとっくに、終わってしまった過去なのだから。
含むように口もとを緩める青年に、ハニアもつられてはにかんだ。ふいにぽんっと可愛い両手を打ち合わせ、椅子を鳴らして立ち上がる。
「そうだわ、こないだお客様からいただいたお茶菓子があったんだ! 今キッチンから持ってきますね、香茶と一緒にいただきましょう!」
その口ぶりは、いつもどおりの自然な言の葉運びだった。それにつけ、柔らかい笑顔を見るにつけ、本当に何も気にしていないらしい。
その温かな鈍感さに、カシュアは思わず笑ってしまう。
このまの抜けた明るさに、もう何度救われたことだろう。
キッチンへ向かう小さな背中を見送りながら、カシュアは萌黄の瞳をゆっくり閉じた。
(まあ、回想くらいは良いだろう。菓子を待つ間のひまつぶし……)
いったん思い出しかけた事柄は、ひととおり思い出さないと落ちつきが悪い。
それくらいの考えで、カシュアはもう一度回想の海に身を沈めた。
……ほとんど無意識のままに、自分の爪をいじりながら。




