香の終・桃の香茶
りろりろ、ころころ、野原の虫の音が聞こえてくる。
……その虫の音も聞こえぬくらい、カシュアが夢中に『修業』をしている。ハニアの課した『桃』と『百合』と『バジル』の香りを、順に再現しようとして、しゃにむに腕を振っている。
「……うーあー、分からんっ!!」
叫んだ瞬間、ぽんっとイメージの玉が弾けて、人工的な香りの欠片がしょわしょわ香って消えてゆく。
「まあまあ、そんなに根を詰めずに……ちょっとお休みしましょうか?」
優しく告げるマスターに、カシュアはしょんぼりうなずいた。はあっと大きくため息して、うーんとうなって首をかしげる。
「素材から香りを取り出すのには、だんだん慣れてきたんだけどなぁ……! イチからイメージで香り作るのが、とにかくすっげぇ難しい。香りの記憶のレパートリーが、俺ん中少なすぎるんだ!!」
具現化できない原因は、きっちり分析出来ている。そんなカシュアの手のひらへぷっくりした指で触れ、ハニアがふんわり微笑んだ。
「大丈夫ですよ、これからだんだん覚えていけば。どうしてもイメージだけで香りを作らなきゃいけない時なんて、実はそうそうないですから。素材代がかからないから、金欠の時は助かりますけど」
ハニアはちょこりと小首をかしげ、冗談じみた本気の声音でおどけてみせる。カシュアが二三度またたいて、あやふやなしぐさでうなずいた。
「……そう、ですよね」
それじゃあ逆に、いったいどういうケースなんだ? 金欠がどうとか関係なしに『イメージだけで香りを作らなきゃならない時』って……。
そう言いたげに首をひねるカシュアを見つめ、ハニアが内心でつぶやいた。
ねえ、カシュアさん。
本当はこの私だって、あなたに訊きたいことがあるのよ。
(……あなたは、そんなに優れた幻術の才能を持ちながら、どうして私のところへ来たの?)
ハニアがしばし迷ってから、思いきって訊ねようと口を開く。その刹那、ドアベルがからからと鳴り出した。
「い、いらっしゃいませ!」
絶妙なタイミングの割りこみに、ハニアの声がちょっとばかり裏返る。くすっと微笑って店の中へ入ってきたのは、ほんのりと桜色の肌をした、可愛らしい女性だった。ハニアは仕切り直しのように、改めて女性に声をかける。
「……いらっしゃいませ。どのような香茶をお探しですか?」
「あら、可愛い店員さん! お嬢ちゃん、お兄さんのお手伝い?」
「ああ……いやいや! この人はここの店長です!」
さらっとあいだに入るカシュアに、お客の女性はアーモンド形の目を見開いた。
「えぇえ……店長さん? まっさかあ!!」
「いやいや、本当です! こう見えて店長は十八歳なんですよ!!」
「――あらやだ! 本当の話なのっ!? やだごめんなさい、あたしってば失礼なことっ!!」
「いえいえ! そうしてお客さま、どのような香茶をお探しですか?」
けっこう慣れた調子で、ハニアがもう一度女性に問いかける。
実はカシュアもこのやりとり、この店に来て何度も経験しているのだ。あんまりにも幼い姿の少女店主、こういった会話はこの店ではわりとテンプレートなのだ。
女性は『ごめんね』と何度もあやまった後、こくんと咳ばらいして改めて希望を口にした。
「……あのね、あたし、桃の香りのお茶がほしいの」
「桃ですか」
「そう、桃の香りの……ああでも、桃の入ってないのがほしいの! 本物の桃のエキスとか一滴も使っていない、でも本物の香りがする……そんなお茶がほしいんだけど!」
女性は甘やかな声で妙なオーダーを伝えてきた。ややっこしい要望に、カシュアが萌黄の目を見はる。
(ああ、すごいタイムリー!)
そうか、こういう時なんだ。イメージだけで香りを作らなきゃならないのは……だけどどうしてこの人は、そんな注文をするんだろう?
そう思うカシュアに軽く微笑んで、少女店主は女性へ椅子を示してみせた。
「どうぞ、こちらへおかけになって。お茶を飲みながら、詳しいご注文うけたまわります」
女性はちょっと小首をかしげて、困ったように微笑んだ。ちょこりと椅子へ腰を下ろしたお客様へ、淹れたての香茶が供される。女性はカップへ口をつけ、「桃の香りね」とつぶやいた。
「美味しいわ。とても美味しいけど……このお茶には、本物の桃が使われているのかしら?」
「ええ、桃の果実から抽出した成分が、少し入っています」
「ああ、そう。……そうなのね」
明らかにしょんぼりする女性に、ハニアがなぐさめるように声をかけた。
「ですけれど、本物の桃を一切使わずに、本物の香りのする香茶を作ることも出来ますよ」
ハニアの言葉に、女性がぐんと弾かれたように顔を上げる。
「ほ、本当? 人工の香料を使ったみたいな、あのへんてこな甘さじゃないの? 本当に本物の香りがする?」
「ええ、大丈夫ですよ。幻術の力を使えば、ごく自然な甘さの香茶が作れます」
はあっと吐息をついた女性が、嬉しそうに桃色のほおをほころばせた。
「……良かったぁ……っ!」
ほっとした顔で微笑んで、女性は可愛く口を開いた。
「あのね、あたしには娘がいるの。今年で五歳になる娘。名は『サルシェ』っていうんだけれど」
(娘! 五歳!?)
カシュアがちょっとおどろいて、女性のことをまじまじ見やる。女性は全体に可愛らしい雰囲気で、そんな年の子どもがいるとは思えない。『幼な妻』というやつだろう。
(……まあ、マスターには負けるけど?)
そう思いながらカシュアはひそかにナゾの優越感にひたる。ハニアは女性の言葉に驚く様子もさらさらなく、さらりと合いの手を入れた。
「サルシェちゃんですか。可愛いお名前……ここいら辺の方言で、『桃の花』ってお名前ですね」
「ええ、あたしも夫も桃好きだから名づけたの。『桃の花みたいに、可愛く育ってほしい』って。そしたら名前のせいか、親より桃好きになっちゃって!」
甘く苦笑したお母さんが、ふっと淋しげな吐息をついた。
「……でも、あの子最近、桃食べられなくなっちゃったの。この前全身にぶつぶつが出来ちゃって、あわてて病院に連れて行ったの。そしたら『これは桃アレルギーですから、桃は絶対食べさせないでください』って言われたの!」
女性の言葉に、カシュアがいぶかしげな顔をする。ぐっと大きく首をひねり、女性に向かって問いかけた。
「『桃アレルギー』? でもそれまでは、普通に食べてらしたんでしょう?」
「ええ、そうよ。あたしも不思議に思ったの。でもアレルギーって、はなから全然食べられないパターンだけじゃないらしいのよ」
女性はきゅうっと口をつぐみ、一気に香茶を飲みほした。ふーっと大きく息をつき、身ぶりをまじえて説明し出す。
「ごくシンプルに言っちゃえば、体の中にゲージがあるイメージね。ある食べ物を口に入れると、食べるたびに少しずつゲージの針が上がっていくの……。その針が許容量を振りきると、そこで初めて症状が出る……うちの娘もそのパターンだったのよ!」
説明を終えたお母さんが、力なく微笑って吐息をついた。
「でも、大好きな桃を食べられない娘がね、見てるとあんまりかわいそうで……。せめて本物の香りのするお茶くらい、飲ませてあげたいなって思って」
ハニアが微笑みながらうなずき、用意しておいたお茶の缶のふたを開けた。何かをぷつぷつつぶやきながら、茶葉の上へ手をかざす。
――透明なしゃぼん玉のようなものが、ぷうっと宙に浮き出した。次の瞬間甘い香りをふりまきながら、あっという間に弾けて消えた。
「はい、これで桃の香りがつきました。どうぞかいでみてくださいな」
「……え? これだけ?」
自信ありげにうなずくハニアに、お母さんが半信半疑で缶へ鼻先を近づける。その鼻へほのかに香ったのは、間違いなく天然の桃のそれだった。
「うわ本当、ほんとに桃の香りだわ! ありがとう! さっそく娘に飲ませてみるわっ!」
満面の笑みでお代を払い、踊るような足どりで女性は店を後にした。からからと鳴り響くドアベルの音を聞きながら、カシュアがぽつりとつぶやいた。
「……こういうケースなんですね……『イメージだけで香りを作らなきゃならない時』って」
俺ももっと、頑張んなきゃ。
愛弟子が小さくつぶやきこぶしを作る。そんなカシュアに、ハニアは少しためらってから問いかけた。
「……カシュアさん。あなたはどうして、優れた幻術の才能を持ちながらも、私の弟子になったんですか?」
萌黄の瞳を見はったカシュアが、一拍置いてほんのり微笑ってつぶやいた。
「あこがれてたんです」
「……え?」
「ずっと、あこがれてたんです。毎晩学校から帰った父の口にする、香りの好きな女の子に。十五の年から、今までずっと」
歌うようにささやいて、愛弟子が照れくさそうにはにかんだ。
「ここに来た直接のきっかけは、通ってた養成学校の教師とけんかしたこと……。けど、だけど、本当はずっと前から思ってたんです。『本当に、人の心に残る仕事がしたい』って」
ああ。ああ。
何だか、これじゃあ……。
これじゃあ、まるでプロポーズだ。マシュマロみたいな少女のほおに、じわじわと血が昇ってゆく。
……この前の『生きていてくれて、嬉しい』を、親愛の言葉と思っていた。親愛と思い込もうとしていた。
でも、今、あなたはまた胸に沁み入る言葉をくれるの?
自分に見入るハニアにふわっと微笑みかけて、カシュアは言葉を続けていく。
「ほら、幻術はしょせんまぼろしだから、術をかけられた人の心に残ってるのは、長くてせいぜい半年でしょう? 『あんまりまぼろしが鮮やかだと、人々はそれにおぼれてしまうから、幻術のそうした特色も、神が与えたもうたものだ』」
「……伝説の偉い幻術師が、昔に言った言葉ですね」
「そうです! でも、俺はずっと思ってたんです。それじゃつまんねえなあって」
へへっと苦笑した青年が、ふいにひどくまじめな顔になる。怖いくらいに真摯な瞳で、まっすぐハニアを見つめて言った。
「でも、あなたの香りは違う」
少女店主がゆっくりと、はちみつの目を見開いた。
言の葉で口づけるように、カシュアが言葉を重ねてゆく。
「イメージが限定されてるから、あなたの香りは普通の術よりもっとずっと密度が高い。記憶の中でちらけることなく、人の心に残り続ける……って、親父がいつも言ってたんです」
ふっと苦笑うカシュアの両目に、涙ぐむハニアの姿が映る。青年は骨ばった手でほおをかき、萌黄色の瞳を緩めて、少年のように微笑ってみせた。
「……どんだけ華々しく見えても、すぐに忘れ去られる幻術より、その香りをかぐたんびに、いろんな想いを蘇らせる香茶を作る人の方が、もっとずっと本物だと思うから」
だから、ここに来たんです。
そう打ち明けて微笑む弟子の目の前で、ハニアが初めて涙を見せた。赤く潤んだはちみつ色の瞳から、ひと粒、ふた粒、涙が落ちる。
カシュアがどこか痛ましげに微笑んで、つっとマスターの胸もとを指さした。
「それじゃあ、俺にもひとつ教えてください。そのロケットペンダントの中、誰が入ってるんですか?」
そんなこと、もうとっくに分かっている。
分かっているけど、分からないふりはもう疲れた。あこがれている本人の口から答えを聞いて、とどめをもらって、この感情を終わりにしたい。
もう一度親父の顔を目にして。
ほの甘い、ほろ苦い、この感情を終わりにしたい。
覚悟したカシュアの目の前で、ハニアは黙ってロケットのふたへ手をかけた。
ぱちん。
金の器からのぞいたのは、よく知った男の顔だった。
黄金色の髪に、萌黄の瞳。女性的なほど整った顔。
ああ。……ああ。
これ、俺だ……。
目を見はってゆくカシュアの脳裏に、いつかのやりとりが蘇る。
『その写真、一枚いただけないですか?』
『え? ええはい、いいっすよ。じゃあ焼き増ししてきますね!』
後日写真を渡した時の、ハニアの笑顔に嫉妬したこと、今でもはっきり覚えている。
ああ、そうか。
あの時彼女がほしかったのは、俺の写真の方だったんだ……。
――ああ、だめだ。
だって目の裏がこんなにもう熱くって、やけどしそうで、塩辛いものがあふれてきて……、
ぼろぼろぼろぼろ、熱いしずくが止まらない。うっくうっく、口から声も止まらない。
先に盛大に泣き出され、本格的に泣くしおを失ってしまったハニアが、困ったように微笑いながら優しくカシュアの肩を撫ぜる。
……ひとしきり泣いて、ようやく落ちついた様子の愛弟子へ、店主がにっこり笑いかけた。
「カシュア、もうすぐ三時ですよ。お客様もそうそういらっしゃらないでしょうから、もう一度お茶にしましょうか?」
「……は、はい! 俺、今ならいくらでもお茶飲めます! 店内のお茶っ葉全部飲みつくせますっ!」
「やだぁ、そんなに飲まないで! 後の仕入れが大変ですよ!」
ころころ響く笑い声が、香りの漂う店にあふれる。お互いに笑い終えた後、心地の良い沈黙がふと訪れた。二人は自然と顔を見合わせ、互いのほおにじゅんじゅんと血が昇っていき、互いにたがいのくちびるを……。
その瞬間、からんからんとドアベルが鳴り響き、お客が中に入って来た。
『っいっ……いらっしゃいませぇ!!』
「おやおや、何だかにぎやかだねえ。二人で何をしていたんだい?」
「っか、カークゥ先生!!」
「親父ぃいいい!!?」
思いっきり裏返った声で、二人が「お客」を出迎える。ふらり店内に入って来たのは、ハニアの恩師でカシュアの父、カークゥ紳士その人だった。
「ななな、何だよ親父っ! こんないきなり訪ねてきて……っ!!」
「おや? 可愛い生徒の営むお店に、先生が様子見に来ちゃいけないかい?」
「…………いや! 別に、そういうワケじゃないけどさ……!」
親子漫才のような会話に、ハニアがくすくす微笑いながらぺこりとおじぎして、さらっとキッチンへ引っこんだ。ほどなく奥から甘い匂いが漂い出し、ハニアは木苺のお茶とお茶菓子を手に戻ってきた。
木苺のジャムを添えたスコーンと甘酸っぱい香茶をたしなみ、三人で当たりさわりのない会話が続く。やっと落ち着いてきた矢先、カークゥがふと気づいたようにハニアに言った。
「そういえば、いまだにつけてくれているんですね。そのロケットペンダント」
『ぶふぅ!!!』
二人が同時にお茶にむせ、ハニアとカシュアのその反応にカークゥは薄く目を開いた。そうとうびっくりしたらしい。それから「ははあ」と言いたげに、一人合点してうなずいた。
(……あ、バレた。今バレた!!)
血の繋がった親子なので、カークゥが何を思ったかすぐ分かる。分かっちゃったけど、このことはマスターには言わんとこう……カシュアは内心でそう誓い、木苺のお茶をすっとすすった。
『……うまい』
カークゥとカシュアの声が綺麗に重なって、ハニアが思わず笑い出した。
丸窓の外は、今日は晴天。
からりと青い秋の空が「今日も良い日になるよ」だなんて、微笑んでいるみたいだった。




