インフォメーションカウンター 2
「……?」
そう言って、ヒューロさんは、どうやら「学校」の名前を明かしたようでした。「学校」だけではありません。それはこの「宿舎」も表す言葉のようでした。ですが、妙なことに、名前の部分になると高音域のホワイトノイズが入り、《□□□》としか聞こえないのでした。ヒューロさんはそんなわたくしの戸惑いをスキャンし、答えました。
[その名前は、ここでは発音できない。我が輩もお前たちも、口にすれば今のように混線する仕様となっている。名前をつければ主体と客体が切り離される。つまり「対象」が生まれる。そして「対象」の「範囲」と「属性」と「時空」が限定される。いわば一つの関数が決まるというわけだ。しかしながら、《□□□》の実態とは、《関数全体》なのだよ。だから名前を定めない……。しかし、名前はある。ゆえに《□□□》という名称を持つ]
「本当に《□□□》は――」
……。どうやら、本当に発音できません。どこからともなく混線します。ちなみに「この学校というか、宿舎というか、その一帯というか」……という概念を考えながら発音しようとしたら、こうなりました。
[だが、いちいち概念を思い描くのも不便であるし、神々どもは《あそこ》だの《無い所》だのと言っておるがな。「《無い所》の西門に6時ね~」といったようにな]
「《無い所》だと発音できるわけですね」
[そうだな]
と一言、ヒューロさんはこの話題をさらっと終わらせました。
「《本校》と《創舎》と仰いましたが」
[《本校》の説明は省く。なぜならお前は「ワタクシってば引き込もりだからぁ~、《本校》には一生行かないんだぁ~ウフフ☆ かっこい~! ワタクシってば超クール&スマート&女子力っ! キメテは最近流行の『中二』も取り入れてス・キ・ナ・シ!(キリッ」と、このように考えているであろう? それゆえ今は触れない。何れ識る秋も来るだろう]
彼はキリッとした口調で述べました。わたくしのキャラが崩壊しているように思いますが、彼にはそう見えるのかもしれませんし、人の解釈に立ち入るのは無粋なので黙っていましょう。
「それでは、『創舎』というのは、ここのことですか?」
[そうです]
床を指して訊くと、彼は頷きました。がしゃん。首から音がします。
[《□□□》に集いし神々は「創生」と呼ばれている。例外はあるが、殆ど一致する。そちらの世界でいう「学生」に似た概念だ。何かを作るとも限らず、創造的な生業に関わるとも限らず、されどそう呼ばれる。由来はわからぬ。《□□□》の創生時から「創生」なのだよ。ああ、もしや、創生時の神々に敬意を払っての「創生」なのかもな。それで、だ。「創生」どもが集まる任意空間というか、次元というか、建物。そいつが「創舎」だ。ここのことであるな。最近はエゲレス語のSocialなる語と掛けて「ソウシャ」とか、果ては「ソーシャたああああああああああああああああああん」とか言って擬人化イラストを描いて萌えている豚どもが居るが、そういった嘆かわしい者を見たら我が輩に報告するように。即座に叩き斬るであろう。日の本の武の志を忘れるとは、亡国を憂うるな。まあ、ここは国じゃないけどな! なあアマネ!? な?]
ヒューロさんは頑強な両腕で、二の腕あたりをわしわしと掴んできました。驚きましたが、意外と力はセーブされています。
[つってもさ、「創舎」の説明って、これくらいなんだわな。見たり暮らしたりしてれば解っていくことだし? それをくどくど説明するとか無駄だし? まあ自分で見ていきゃいいんじゃね? そうしろよな。な? まったく、錆びたカラダに鞭打って窓口に出てみたら、新参のおもりとはついてねえ。まあ何でも言って来いよ。今日から我が輩がお前の世話係だ。でもお世話しないけどな。めんどいから]
彼はフアアと息をつき、腰や肩をギシギシと回しました。ところで、わたくしは気づきました。
キャラ崩壊しているのはこの人のほうだったと。
ロボットながらに野武士然としたたたずまい。ですが肩が凝るのでしょうか、反動がきたのかもしれません。キャラが飛んでいます。
[それで次の案件は? 自身の照会だったか? 照会するのは構わぬが、今は何もないぞ。ほれ]
ヒューロさんが億劫げに顔を上げると、天井にあったディスプレイがふわりと落ち、彼の手に収まりました。わたくしの世界の電子端末にも似ていますが、もっとこう、風が無い日に青く光る池のような、吸い寄せる光を放っています。彼は板状の端末をクルリと回し、わたくしに見せました。画面には日本語表記で一行、
《識別名:引込完 状態:神》
とありました。
[お前は《□□□》に来たばかりだ。これからおのれの神と向き合い、神のことを知っていく。帰ろうと思えばいつでも帰れるのは体験していよう。そして神に向き合おうと思うなら、すきなだけできる環境がここだ。自由にやればよい]
「『おのれの神』と仰いましたけれど、神とは、引込完から分離した何かなのですか? 先程は『わたくしたちは神だ』と言われましたが」
[ほぅ、鋭いね。いかにも、神という言葉には幾つかの意味がある。一つは「状態」を表す。この意味で、「お前は神だから、ここに来られた」わけだな。そして、もう一つの意味は、「能力」を表す。神は例外なく、じぶんの魂を拡張した現象を発露する。すなわち「能力」を持つ]
「『能力』……?」
わたくしは、能力という語を聞き、おのずと身構えました。ライトノベルやアメリカ映画でよく使われるギミックです。「能力もの」というと、わたくしは良作を鑑賞したことはほぼありませんでした。
「能力」とは、一種のチートのことです。
しかし、「能力もの」の作品は、多くの能力者がまず居るところから始まることが多いです。つまりチートが「あって当たり前」になってしまうのです。それはもはや特別な力ではなく、普通の力なのです。人々が使うお金や家電と同じで「誰でも使える技術」です。それはもう「能力」とは言えません。
けれど、期待もしました。今までが99の非良作だったといっても、次が1の良作ではないとは断言できません。それも今度はわたくしが能力を持つらしいとなれば、眉に唾をつけながら展開を注視していきたいです。
期待をしたと言っても、能力を使って世界をこうしよう、みたいな思いはカケラもありませんでした。
そういう事を企てたり、実行したりって、とってもめんどうですから。
うまく言えないですけど、「能力」を持っていること、「不思議なものを持っているだけ」のことって、素敵だと思うんです。
「じゃあ、ヒューロさん。わたくしも何かの能力を得られるんですか?」
[むろん得られる。というか既に得ている。照会は能力情報を確認する意味もある。だが初回は表示されていない。「この能力が現れるはずだ」とか「この能力を持たねばならない」と考えると、能力が発現しないばかりか、歪んだ能力が現れることにもなりかねない。最初から「堕ち神」になるという阿呆なことをする必要は無い。ゆえに最初は《□□□》の側で情報を遮断している]
「お楽しみということですか」
[お楽しみだ。だが、あらかじめ言っておく。能力とは「主体のエネルギーが個性に応じて最大限に発揮されたもの」だ。いうなれば、お前の魂がもともと有しているものだ。だから能力が現れた時、きっとお前には、驚きは無いだろう。鎮かな満足だけがあるだろう]
ヒューロさんは予言します。わたくしは実感がありませんが、もともとあるものが増幅して現れる類のものであれば、確かに驚きは少ないだろうと思えました。
[創舎は神と向き合う場所。ここで自然に生きていれば自然に能力は発現する。期待せずに期待しろ。だが、能力とても、おのれより出でしもの。畢竟、神と向き合うとは、おのれと向き合うことなのだ。では、次だが――]
ヒューロさんは説明を終えると、議題を移します。いちおう事務的な面も持っているみたいです。
[最後の問い合わせだな。お前は「創舎」を利用する「創生」の資格を有したが、そのうえで、したいことはあるか? 思い付けば言ってみろ。われわれ事務の仕事は「創生」にケアやサービスを提供することだ。ただの裏方とも言えるな]
「なるほど……」
この建物にはいろいろなサービスがあるようですね。
ただ、有償か無償なのか。そもそも通貨の概念はあるのか。そして、どういうサービスがあるのでしょうか。わたくしは来たばかりで、「創舎」のことを何も知っていないのです。
しかし、やりたいことと言えば、さしあたって一つ。
「狭くて構わないので、引き込もれる部屋はありませんか?」
せっかくこの快適窮まり無い世界に居るのなら、この世界で、わたくしのいちばん好きなことをやりたい。
引き込もりたいです。
[「引き込もりの神」よ。インフォメーションカウンターは創生に手厚いフォローをする。われわれはその仕事で食えている。お前の願いを見越し、すでに創舎の一室を取ってある。鍵を持って行け]
ヒューロさんはディスプレイを床に向かって振る仕草。すると画面の一部がぬらりと分裂し、黄色の物体が下に落ちました。それはレトロゲームにありそうな、わかりやすい形の鍵でした。もう一つ、何かがばさりと落ちました。『創舎案内書〈簡略版〉』と書かれた冊子です。パンフレットのようでした。むぅ。無機的なディスプレイが粘土のように分裂、変形するとは、見たことがない技術です。
[今はやりたいことが思い付かぬようだ。創舎を見て、情報を得てからでもいいだろう。それを持ってお前の部屋に還るがよい]
ヒューロさんは鍵を示しました。わたくしが鍵を拾い上げた時、窓口は明るくなり、誰も居ませんでした。天井ではディスプレイに『ありが』という大文字が流れ始めました。
鍵に刻まれた番号は441。
こうしてわたくしはあっけなく、あたらしい引き込もり場所を与えられたのです。
窓口から出ると、心地よい喧騒がうわっとたなびきました。わたくしはパック詰めのサバ一尾分ぐらいある鍵を持ち、通路を歩いて行きました。
そして考えました。引き込もりに部屋を出してくれる時点で、これはまともな世界ではないのだろうと。
それでもいいなと思いました。わたくしは、今までの世界でも引き込もりだからといって白眼視されはしませんでした。そういう家族に、環境に、囲まれて育ったからこそ、今のわたくしが、ここにいるのでしょう。とはいえ、一般には引き込もりは、世間からは侮蔑されるのがふつうです。しかし、引き込もりですと申請し、了解したと部屋を与えてくれる優しい世界。向こうから見れば、「頭のおかしい世界」に違いありません。
しかしわたくしは、こちらをとりたいと思います。この世界の快適さの実感、それはわたくしには、まったく現実的なものと感じられましたから。