441号室 7
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何日か経った別の日。
わたくしは創請窓口に行き、サークルをつくりました。
窓口の担当はヒューロさんでした。サークルは創生ならば誰でも作れるそうです。どんなサークルでも作っていいとのこと。ただし、作る気がないのに申請した場合は窓口の脳スキャンにより不可と判定されるそうです。名前から内容が想像できないサークルや、名前と違う活動内容のサークルは可。ネーミングセンスの内として尊重するそうです。
サークル室はそのまま創生の部屋を使うことが多いですが、広い部屋や、特殊設備のある部屋が必要な場合、申請すれば割り振ってもらえるとのこと。わたくしは自分の部屋だけで充分なので、通常の手続きで申請しました。
名前は「お茶のみ研究会」で申請しました。
ダミーサークルの体裁としたわけですね。
どんなサークルでも作れますので、「引き込もりサークル」で申請することもできましたが、しませんでした。どうしてか? そうですね……だって、引き込もりって、ひとりでするものじゃないですか。だれとも関わりのない所でこもるから、部屋の空気がおいしいと思うのです。だからなんとなく、公にしないほうがいいと感じたのですね。
もちろんヒューロさんがわたくしの思考をスキャンしている可能性はありますが、わざと言わないでいるのを知られる分には、別に構いません。
[「お茶のみ研究会」か。面白そうだな。了承した]
ヒューロさんは簡単に申請を通してくれました。
次に、調度品の準備に移ります。サークルを作ると初期資産として金貨十枚が与えられるそうです。必要なものを用立てる費用です。わたくしはヒューロさんの案内に従い、商品を端末で検索しました。とはえいえ、商品と言っていいかは微妙です。この世界の経済は向こうとはちがいます。商業や利潤の観念も違ってくるからです。カタログの価格というか、数値から見積もってみると、大抵の調度品は金貨が十枚あれば、充分すぎるほど揃うようです。
わたくしが必要なものは、闇ルトさんからもらった金貨で、全部まかなうことができました。
[豆乳……? ソイラテでも作るのか?]
ヒューロさんは品物を発注してくれました。あとで部屋に届けられるそうです。
こうして一連の手続きは終了です。
部屋に戻ると、441号室の看板の下に『お茶のみ研究会』の看板ができていました。
その内容は『引き込もり研究会』です。……ああ、わたくしの『引き込もり研究会』。部員と部長はわたくしです。ここはわたくしの城となるのです。きのうまでと同じ、何もない部屋ですが、一段と新鮮な気持ちです。
わたくしは気持ちがよかったので、椅子をひとつ窓辺に持っていき、奥行きのある白い窓辺の上面を、トン、トン、と叩きました。昔はピアノを習ったことがあります。引き込もりを始めてからは、ピアノを披露する機会はなくなりましたが、技能は消えていません。その意味のなさって、何となくいいものですね。
ご存じでしょうか。天上から流れてくるひとつの音楽の存在。
耳から入る音でなく、脳に直接聴こえる音の波なのです。
それは空気のように分厚く、それでいて、ほどよい密度で世界を満たすもの。地上で引き込もっている時、わたくしは調子が良ければ、そのコードを聴き取ることができました。《創舎》では、聴こうと思えば、いつでも聴き取れます。脳のなかで受け取り、わたくしの全体へ広がる音。世の中のあらゆる要素が一点でバランスをとり、練り上げたような音。聴き続けても疲労しない、心地良いだけのコード。
わたくしは、そのコードに乗るメロディを、ピアノに見立てた白い窓辺で、トン、トン、と弾いていきます。コードが移ると、手の位置も移ります。空中で弾いてもいいですが、指先に伝わるパネルの硬い撥ね返りも、やはりいいですね。今、わたくしは、人のために活動していません。何も生み出していません。でも存分に幸せです。
「……なにしてるの?」
うしろから声がして、振り向くとサキちゃんがいました。扉の隙間から見ていました。わたくしは扉を閉めるのを忘れたようです。
独特の細身の白服を着たサキちゃんは、なにもない部屋の色に溶け込み、ちょっとすると首だけが浮いているようにも見えます。それはそれでかわいい生き物に思えます。
「おひさしぶりです」
「この前会ったばかり」
「そうでしたか」
「……ん」
サキちゃんは眠たげに目をこすり、入って来ました。そういえばいまは朝でしょうか、昼でしょうか。こちらにも時間の流れはあります。ただ、向こうよりやわらかい時間でした。朝だと思えば朝、昼だと思えば昼……。要するに「感じたい時間帯」を感じることができました。しかし、めりはりはあり、こちらにも夜が存在するので、夜を昼に感じるのはさすがに難しいです。
時計もあります。食堂の前などにありますし、端末でも表示できます。目盛りは15個です。つまり15時間(?)で一周する時計です。「1日」は「30時間(?)」になります。文字盤には数字はありませんでした。書かなくても分かるためか省略されているようです。
「起きたところですか?」
「五時間前におきた」
椅子をひとつ引き、くたっと、のしいかのように座ります。そういえば、サークル申請をした今はわかります。椅子が多めにあるのはサークルの部屋として使うことも考えられているのですね。
「……なにか、たのしそうね」
わたくしの様子を見て、サキちゃんは言います。
「サークルを作ったのですわね」
「サークル?」
「はい。お茶のみサークルという名の、実質は引き込もりサークルです。あ、でも引き込もりながらお茶を飲むことは多いですから、無関係でもないですけど」
わたくしはかねがね引き込もりたかったのです。サークルを作ったことで、もっと強固に引き込もれそうな……。茫洋とした期待がありました。うきうきしていました。
「サークルと言っても、引き込もるわけね。メンバーはアマネ一人なの?」
「そうですねー。部長はわたくしですし、部員も、わたくしですね」
「おかしい人」
サキちゃんは呆れたように呟きます。しばらくこちらを見て、ようやく目が覚めたように、眼鏡の奥をぱちぱち、しばたたきます。
「……服、変えたのね」
「はい、変えました」
手続きの後、服をもらったのです。ヒューロさんは、カタログから服を選び、注文。同時に届いたらしく、ヒューロさんは幅広い鉄の顎に手を入れ、中から服を出しました。ロボットが吐き戻す図は鮮烈でした。
出て来たのは、エスニック色を取り入れた、緑のリゾートドレスでした。クジャクの羽根を思わせる模様が刺繍され、ほれぼれする出来です。みずみずしい緑の色調変化がとても細密でした。
靴もありました。アラビア風の模様と飾り石が特徴的なミュール。やや落ち着いたドレスの色調に対し、靴は暗めの金や茶色をうまく取り入れていました。
[勘違いするな。お前のためではないぞ。我が輩が前回と同じ服を着ているお前を見飽きたのだ]
ヒューロさんは言いました。わたくしが着替える間、ヒューロさんは首を真後ろに回転させていました。ロボットですから気にしなくていいのですけどね。
[うむ。良い。創舎の鎮やかな色味の中に、萌えゆく生命力の緑。創舎の華やかさが少しは増したであろう。お前はスタイルがいい。何を着ても似合う]
そう言ってくれたのは嬉しいですね。でも、落ち着いた雰囲気の割には胸元は大きく開いていて、そこは慣れません。こういう服は着たことないのです。脱ぎ捨てた部屋着は、ヒューロさんが食べました。つまり、この部屋の戸棚に転送したそうです。
「やっぱりでかい。ありえない」
サキちゃんは、わたくしの胸を見て、まばたき。よく見られる気がしますが、そんなに妙な代物なのでしょうか。
「……似合っていますか?」
わたくしは訊きました。ヒューロさんのセンスを信頼しないではありませんが、初めて着るタイプの服です。自信はありません。
「似合ってる。いいと思う」
サキちゃんは言いました。わたくしはぱーっと晴れやかな心になりました。妙なものです。ひとりにほめられただけで、こんなに嬉しいなんて。引き込もりは人からほめられるのが度を越えて嬉しいのです。