饗堂(しょくどう) 1
*
偶然を装ってルートヴィヒさんが通りすがりました。
「よう。また会ったな、『蒼穹』」
すこし前に外に出ていた彼は、わたくしが出て来るのを待っていたようでした。
「ルートヴィヒさん。そういえば、自己紹介をしていませんでした。引込完です」
わたくしは頭を下げました。
「分かった、覚えておこう、『蒼穹』」
「『闇ルトさん』と呼んでもよろしいですか? サキちゃんもそう呼んでいましたので」
「フッ、好きにするがいい」
額に二本、指を当て、思慮に耽るポーズをとります。意味があるかは分かりません。
「おっと、待つがいい」
挨拶を終えて部屋に戻ろうとしたわたくしを、闇ルトさんは引き止めます。
「半端に胃にモノを入れたら腹がへった。ここでは『腹がへった』と思うと腹が減ってくる……。食堂に行かないか、『蒼穹』?」
太陽をまぶしげに仰ぐように言いました。
ここには太陽はありませんでしたが。
食堂は光量と開放感ある場所でした。モノトーン……では、ない模様ですね。白・くもりぎみの透明・クリームぎみの透明・等々のパネルをうまいこと組み合わせ、透明から白までの水墨画のようなデザインが、内部に広がりました。
パネルは内部の電子の流れで色合いが変化するのか、時間ごとにさりげなく配色が変わっていき、安定しようとする空気を心地よく揺らしています。
注文するカウンターは弧状に広がっていました。それだけメニューの種類があるということでしょうか。
座席も平面ではなく劇場のような段差の上にあるなど、非対称な広がりがありました。6~7割の席には創生の皆さんが居て、食事・歓談・討議などしています。賑わっておりますね~。
「ここも刺激的な場所なのですね」
「おれも何回来ても同感だね。ロリッ子ほどには刺激されんがな」
「……」
シャラッと髪を掻き上げる闇ルトさん。
わたくしたちは闇ルトさんの上衣や端末を置いて、下層の眺望がよいテラス席を確保し、カウンターに向かいました。ぺたぺたと歩くわたくしを見て、闇ルトさんは気付いたように言いました。
「裸足なんだな」
「ええ」
これも部屋からそのまま来た理由によります。
「気持ちいいものだよな。素足で歩くのは」
「はい。気持ちいいです」
「……正直な笑顔だ。おれがまともな男だったら惚れていたかもしれん」
しかし闇ルトさんはロリコンですので説明不要というわけですね。ああ……何か分かります。サキちゃんがこの人にツッコミを入れたくなる心が。
「正直な子にはおれが奢ってやろう。学校からタダで貰った金でな。何でも頼むがいい」
闇ルトさんは胸を張りました。頼もしいのか頼もしくないのかわからない幽玄な方です。
「学校からお金がもらえるのですか? つまり、闇ルトさんは、研究で成果を上げているからですか?」
「そんなのは関係ない。もちろん研究で金を貰う神もいるが、基本的には金は誰でも貰える。創生であるならばな」
闇ルトさんは尻ポケットから直径5センチほどの金貨を出し、わたくしにくれました。それは外周に簡素な縦線が彫られただけのもので、古今東西、どこの国でも「金貨」として通用しそうなものです。金色を凝集したような光を放っています。見た目ほど重くはなく、安心感がないほど軽くもありませんでした。
「創生ならば誰でも……?」
つまり創舎に居る人は全員、ただでお金をもらえることになります。一般にお金は労働の対価としてもらうものです。無料でお金がもらえるなんて本当でしょうか。首をかしげるわたくしに、闇ルトさんは言います。
「無から価値を生み出しているわけじゃない。金貨が支給される仕組みは理に適っている。金貨は『創生』という『世界の最も良き者』への対価として差し出されている。たとえば、おれの研究は世界を良くし、明らかに前に進める。『創生』はこの世界を[あるべき姿]へと導く奴らだ。たとえ邪悪で粗暴な創生でもそうなんだ。創生が創生である事自体が、この世界に対して、至高の気品と歓びと安らぎを与えるのさ。だから金貨は『創生』に対してちゃんと『支払われている』んだ。詐欺なんかじゃない。君も入り用ならICに行くといい。定量が支給される」
じぶんが創生である実感がないわたくしには、スピリチュアルなお金の解説に聞こえました。創生であれば金貨がもらえるなら、闇ルトさんのように研究して成果を出す必要もないわけです。つまり、創舎にいる限り、生活に困窮することはないし、安心して引き込もりを続けることができるのですね……。おー……! すばらしい……!!
わたくしは、想像を超えてスケールの大きい《□□□》の仕組みを、全く知りません。これから肌で知っていくのでしょうね。……そういえば、わたくしは、これからもずっとここで過ごすのでしょうか。ここに、骨を埋める? それは違うかんじがします。でも今は、しばらくここに、滞在していたい。そういう気持ちでした。
「こちらの世界に来ると、向こうよりずっと小食になる。腹があまり減らなくなるのさ」
「そういえば……おなかがすいたと思うことがありませんね」
体感では数日は過ぎていましたが、空腹は感じませんでした。サキちゃんのお茶と冷米は非常に美味でしたが、嗜好品という感じです。
「だから食べるのは本当に腹が減った時とか、心から『あれが食べたい』と思った時になってくる。デートの相手との話の肴にもよく使うな。といって、グルメがダメってわけじゃない。食うのが好きだった奴は、ここでも変わらないな。毎日、ぶっといソーセージや、肉の丸焼きをビュッフェ式で食べてる奴らも居る。だからあらゆる種類の料理を出すカウンターがある。においの強い料理はあっちさ」
闇ルトさんは上方を示しました。弧状のカウンターは斜め上方向に展開していました。においや煙を上と外に逃がす構造なのでしょう。創舎の食堂は段差やスロープを活かし、ワンフロアで4~5階の広がりを持つスペースなのでした。ちなみに、段差やスロープを短絡したい人には、円筒形のケージが至る所にあり、入ると一瞬で上下できるようです。自動ドアの進化形かもしれません。
闇ルトさんは手近のカウンターで、本日のランチである、[水菜と人参と豆腐の寒天詰め定食]を頼みました。わたくしも真似ました。カウンターには人がいました。全自動ではないのですね。
「接客しているのはバイトの創生たちだ。奴らが自分たちで料理を作るからな。客にも自分たちで出そうということさ。料理好きな創生も多い」
料理が渡されると、闇ルトさんはお金を払いました。カウンター上に盛り上がった部分があり、金貨を入れる溝があります。わたくしも真似をして金貨を入れました。
「お釣りは受け取りますか?」
カウンターの人に訊かれました。何か、受け取らないのが当たり前、のニュアンスを含んでいました。
闇ルトさんが言います。
「金貨一枚で30回は食事できる。釣りはその場で受け取ってもいいし、あとでICや端末から受け取ってもいい。『蒼穹』の時代の概念で言えば、金貨は、インターネットに繋がっている記録媒体とでも思えばいい。おれが君にあげた金貨は、君の資産となり、数字の増減は端末の向こうで管理される。もちろん食事以外の買い物にも使えるし、端数を合算して金貨に替えることもできる」
なるほど、貨幣と電子マネーを混ぜ合わせたようなお金が「金貨」のようですね。
「なお、おれはいつも釣りは受け取らない。銀貨や銅貨でポケットが膨らむのは美しくないからな。おれは金貨しか持ち歩かない。金貨はカッコいいからな!」
「すると、端末の向こうの残高は膨大になりませんか?」
「フッ、かもしれんな。そういった数字の管理は知らんな。めんどうくさいからな。支給の金貨に加えて、研究の報酬も入ってくるからな、金は一人では使い切れんな」
闇ルトさんは髪を掻き上げました。もしかするとこの方は部屋の片付けをやらないタイプかもしれません。そして、研究への関心が強いようです。どんな研究なのでしょう?
[水菜と人参と豆腐の寒天詰め定食]は、彩り豊かでした。それぞれ色の違うトレーや食器が彩りを増していました。寒天を箸で切り取り、口に運びます。
……おいしい! 濃厚でコクの深い豆腐。青臭さと果汁感が調和した人参。清涼感と歯ごたえのある水菜。それらを閉じ込めた寒天は、一歩引きながらしっかり、味の骨組みを造っています。淡白すぎるのを懸念したのですが、違いました。わたくしは《創舎》に来てから、おいしいものしか口にしていませんでした。向こうでは淡白なはずのものに、非常な濃厚さと滋味とを感じるのでした。いい意味で味覚が鋭くなった気がします。
「こちらの食べ物は味が充実しているだろう」
「(口に含みながらこくりと頷きます。)」
「こちらでは、薄い味を基本とし、香草や酸味でアクセントを加える料理が好まれる。味の濃すぎるものや強いものは敬遠されがちだ。肉でも脂ぎった丸焼きなんかはあまり好まれない。蒸した鳥の笹身を薄切りにしたものや、生ハムあたりが人気があるな。油脂類はオリーブオイル、グレープシードオイル、胡麻油などが人気が高い。まあおれは食事のこだわりはないがな。そもそも空気から食べ物の味を取り出せるしな」
闇ルトさんは冗談とも本気ともつかない調子で言いました。
「ところで『蒼穹』は何の神なんだ?」
サキちゃんと同じ質問をされました。
わたくしはこちらに来た流れや、能力はまだ知らないことや、引き込もりをやってみたいことを述べました。
「フッ、ハハハハハ!! そいつは面白い!!」
闇ルトさんは手を止めました。今更ですが、ナイフとフォークで定食を食べるのは、こだわりなのでしょうか。いかにも中二キャラという大声で笑う闇ルトさんですが、食堂には気にする方は居ません。華麗にスルーです。もしかすると、ここでは闇ルトさんのようなキャラはポピュラーなのかもしれません。
「引き込もっていたら《創舎》に来ていた、か……。ならば常識的に考えて『蒼穹』がやる事は一つだ」
ビシィ、と人差し指を立てました。
「自分でも言うように《創舎》でも引き込もることだ。お前の魂がお前をここへと運んだ……。引き込もりの研究こそは、お前に与えられたテーマ。『引き込もりとは何か?』と問うて一人考えるもよかろう。サークルを作り、皆で引き込もるワークをするのもよかろう。お前は『引き込もり』を、進化させるのだ。お前は『引き込もり』を引き込もらせたままにはせん。それは進化する……。いずれはこの世界がお前の世界になるまでにな……! ククク……実にいい……おもしろくなってきた……!」
闇ルトさんは顔を抑えて天を仰ぎ見ます。迫真の仕草でした。何を言っているのかは伝わりませんでしたが勢いは感じました。はい。
わたくしは一人でも引き込もりをやるつもりでしたが、こうして先輩からアドバイスをもらうと、より心強く思えました。
「それにしても、きょうは珍しい日だ。最近は4Fの神がよく消える……。創舎は一年中、出会いと別れの季節……。偶然に去る者が多いのだろう……。4Fに新人が来たのが久々ならば、去るのも……」
闇ルトさんは言葉を切り、空を仰ぎました。
「……フ、こいつはどうやら……。嵐が来そうだな」
太陽をなめしたような、ぼんやりと明るい空が広がっていました。