ヤミルト、去る
ルートヴィヒさんが出て行くと、サキちゃんは扉をしめ、閉まっているかを入念に確かめました。
「初日から《創舎》への期待をぶっ潰しかねないものを見せてしまったわね」
サキちゃんはホウッと息をつき、テーブルに戻ります。サキちゃんが破壊した天板には、すでに薄いガラスが張り始め、厚みを増すための芽のような盛り上がりがプツプツと生まれています。落ちたガラスの粒はまろやかに床に同化し、吸収されつつありました。窓も同様でした。ルートヴィヒさんが言った「自己再生」なのでしょうか。
この部屋には、小さいながらに完璧な循環のサイクルがあり、破壊も生成もサイクル上に乗っているようでした。こちらの文明と技術が達しているフェーズは、向こうの世界とは比べ物になりませんね。
「いえ、サキちゃんが悪いのではないですし……。あの方も悪い方には思えなかったですし」
個性的ではありますけどね。
「だとしたらアマネは変態の素質があるのかもしれない」
サキちゃんは平静に述べます。この子はよく事実を述べます。そのためルートヴィヒさんへのツッコミも生まれるのでしょう。事実は時に辛辣です。
「研究をやっているとおっしゃっていましたよね」
「あいつは私よりも前から《創舎》に居る。分かったと思うけど、ただの下品な馬鹿で、ロリコンよ。初めて会った時、いきなり人の胸を撫でてきた奴だから。『あぁ~~この平坦な柔らかさがいいなぁ~~』とか言って、顔を押し付けてきて……。変態だって確信したわ」
うわあ……。それはすごいなあ……。
サキちゃんは窓を拭くような仕草をして、ぶつぶつと呟きます。胸を撫でられた場面を思い出しているのでしょう。
サキちゃんは沈黙して、
「……ただ、すごい奴」
と、言い足しました。
……それは、事実、なのでしょうね。
「なんか知らないけど、あいつの研究は《本舎》から認められているのよ。何種類もの褒賞を受けている有望な研究者らしいわ。わけがわからない。感情的に理解できない」
天才、奇才、犯罪者、一般人。人間にはいろいろな人がいるものです。中でもルートヴィヒさんは、類型に当てはまらないほど、個性的なのかもしれません。もちろんサキちゃんもそうかもしれません。わたくしはサキちゃんと、会ったばかりですから。
「ところでアマネ、あなたの時代はそういう格好が主流なの?」
上、下、上。サキちゃんはわたくしの服を眺めます。わたくしは上下灰色の衣服を着ています。まさに燃えたての新鮮な灰の色、といった感じの、透明感すらあるグレーはお気に入りです。これも母が店の余り物を下げてくれたものです。スウェットと似ていますが一点ものです。肌に吸い付くようなのに、通気性もよく、冬になるとやわらかで温かいのです。引き込もりを大いに助ける衣服です。もちろんこうした部屋着はファッションの主流ではないですね。
「悪くはないと思う。アマネは髪が流麗で絢爛だし、顔も端整で艶然。服が百歩くらい引くことでモデルを引き立たせるという、消極的な見せ方。そういうファッションもあるという発見はある」
そうではないのです。わたくしは部屋からこちらへ来たので、服もそのままだったのです。
「とはいえ、普遍的に地味すぎるというか……もっと飾り気があっていいと思う。今度、買い物に行きましょうか」
「おお。噂に聞く『新生活の買い物』というやつですね! ぜひ連れて行ってください」
テンションが上がります。うまく言えないですけど、いまのわたくしは、引き込もりながら買い物だって、できちゃう気がしているのです。サキちゃんが案内してくれるなら、期待大です。
後日、わたくしの暇な時に買い物に付き添ってもらう約束をして、サキちゃんの部屋を出ました。
いつでも暇ですけどねー。
ですので、特別に暇な記念日のような日に、訪ねることにしましょうか。