441号室 6
わたくしはサキちゃんがその呟きにより時間を止めたように感じました。それは錯覚でしょうが、《創舎》には今までの時空間の概念に新しい概念が上書きされたような時空がありますから、ひょっとすると0.01秒くらいは本当に止めたかもしれないですね。
「私の能力は、荒れ狂う神」
サキちゃんは顔を上げ、自分の能力のことを話します。「ん……」と唸り、やわらかいショートヘアを一本、抜きました。
つまんだ髪の毛が、垂れることなく、水平にピンと張っていました。
それだけではありません。部屋の半分を占める黒い明かりが移った、いえ、集まったように、髪の毛が暗い渦をまとっているように見えました。風も音もありません。しかしわたくしには、その渦は非常に危険なチカラに感じました。こんな部屋に普通にあっていいものではないと思いました。
サキちゃんはつまんだ二本の指をテーブルに置くようにします。バリッ、不協和音の合奏のような音。天板のガラスが一瞬で砕け散り、小さい石粒の大きさになり、ジャァッと床に落ちました。机の上の物が落ちます。サキちゃんは全く落ち着いた目をしていました。
「見ていて」
「……え?」
サキちゃんは正座のまま、上体をひねるように、窓のほうを向きます。片目をつぶり、照準を合わせ、手を掲げます。紙飛行機を飛ばすように、つい、と腕を振り出します。
一瞬でそれが起こりました。
部屋の窓がこなごなに崩壊。
凄まじい速さで飛んだ黒のレーザー光線は、ボコッと[シンジュク]のビルの一つを破壊していたのです。
ビルはえぐられた丸い跡を残しています。
サキちゃんはジロッと見上げました。わたくしの反応を問うような目は、とても色っぽいものでした。
「手品?」……準備していたとは考えにくい。
「壊していいの?」……いいのかもしれません。問うのは野暮なのかもしれません。こちらの世界は前とは違います。
「ビルに居た人は?」……死んだのではないでしょうか。あれで生きていたら、嘘です。
サキちゃんは破壊し、殺したのでしょう。
しかしわたくしは、ふんわり緩やかな気持ちでした。前の世界なら、さすがのわたくしも動転せずにはいなかったかもしれません。ですが今は、なぜか、ココロがささくれ立つ気配もありませんでした。ビル破壊を見る気持ちではなく、コーヒーメーカーのノズルからミルクがジャーと出るのを見るように、わたくしは、サキちゃんの光線発射を眺めていたのです。創舎に満ちる空気のおかげでしょうね。
窓から夜風がスァーッと入ります。表通りの創生たちの熱気を微かに運ぶような、ほどよく温かい、冷たさ。ああ、これは……。
「気持ちが、いいですね」
「……そう」
サキちゃんは不機嫌そうに眦を吊り上げてみせました。それは込み上げる笑いを押し隠したものでした。口元がこころもち、ふにゃっとしていました。
「今のは私の能力の一端。水源から漏れる、ほんの一滴。……でもね。力があるからって、何になるのかしら? 地球は、いつか、滅びる。宇宙は、いつか、滅びる」
サキちゃんは立ち上がり、小さな背中を窓辺にもたせました。
「未来には、地球規模の災害か何かが?」
「わからない。本質には関わりがない。災害があろうと、なかろうと、地球はいずれは滅ぶでしょう? それは宇宙も同じ。宇宙といっても永遠の存在ではない。私はとても悲しい。宇宙が滅びることが。私が神であろうと、神の力で何をしようと、宇宙は滅びる。消失点から次の宇宙が発生し、ふたたび宇宙が満ちるとしても、そこには私は居ない。私の痕跡は消えてしまう。それはたまらなく寂しい。とても悲しい。研究をする動機が芽生えても、一瞬で消すに充分」
なるほど……。
これが、サキちゃんの言った、「悲しいから」の意味ですか。
はぁ~。言うことが違うなぁ。一人で宇宙レベルの憂鬱を抱えるとは、人間にはなかなかできることではありません。「創生」のスケールを知りました。
「さすが神、だなぁ」
内心が思わず声に出たわたくしに、サキちゃんは吹き出しました。
「なにボケてるの。あなたは神じゃないの」
「そうでした」
わたくしは窓辺に行き、腰をもたせました。ずっと、ずっと、遠くからサイレンが聞こえていました。[シンジュク]でしょうか。向こうの世界のサイレンのバランスを逆にしたような、おもしろい音でした。
サキちゃんは親しげな目で、言ってくれました。
「やっぱりあなた、《創舎》に居ていい奴だと思う」