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第6話 ゾンビがくるりと輪を描いた

―― 平成××年晩秋 東京 武蔵野市 吉祥寺――


「吉祥寺村・・・名主・・・甚右衛門日記・・・これだぁ!」


ミニFM局の女に頼まれて武蔵野中央図書館で古文書を探していたミサキは、マイクロフィルムのリーダーを操作しながら小気味よくパチンと指を鳴らした。


「他の文献によればあのお稲荷さん“甚右衛門稲荷”って呼ばれていたみたいだけど、確かに吉祥寺村の名主に甚右衛門さんがいたわけだ・・・」


とミサキは独り言を言いながら、もの凄いスピードで御家流の崩し字で書き連ねた江戸時代の日記を読み進んで行った。




「それにしても現れないわねぇ」


ミサキが古文書をあたっている頃、その稲荷社のある袋小路でサユリはお詣りに来る人を待ちわびていた。


「もうすぐ日が暮れる時間なんだけどなあ・・・」


とそこに、誰かが路地に入ってくる足音がしてきた。


「来たわ・・・って、な~んだ虫歩きのおじいちゃんだったんだ~あ」


現れたのは、例の壁伝いに吉祥寺の路地を散策して歩いている老人だった。面白い形のステッキを小脇にかかえている。


「む、虫歩きのおじいちゃんとはご挨拶だな。そんなことよりあんた性懲りもなく、まだこんな処を調べているのか?」

「そうなの。いいネタになりそうでね。でも、コリてないのは虫歩きのおじいちゃんの方でしょ? 毎日お供えものをもってくるなんて可愛いとこあるじゃないの!」

「お供え? わしは、ここに来るのはあれ以来だぞ?」

「うっそ~! だったらどうしてここにお供えがあるのよ? 毎日お供えしているのっておじいちゃんなんでしょ?」

「知らんもんは知らん!」

「じゃあ、どうしてここに来たのよ?」

「そ、それは・・・」

「ほら、やっぱり! 言い澱んだりしちゃって怪しいんだから!」

「ち、ちがう。言いたくはないが、2巡目だったんだ・・・」


意外と吉祥寺の街並みは小さかった。


「おじいちゃんも暇なのねえ~」

「う、うるさい! 放っておけ」

「じゃあさ、暇ついでに手伝わない? ここにお供えを持って来る人をインタビューしたいんだけど、なかなか現れないのよ。おじいちゃんと交替で見張れば捉まえられるでしょ? わたし一度スタジオに戻らなきゃならないのね。来たらば連絡先聞いておいてね。ね、ね、頼んだわよ~!」


と言うと、サユリは素早くバッグを肩にかけながら路地を飛び出して行った。


「お、おい! わしはまだいいとも悪いとも返事をしとらんぞ! ったくなんて女だ・・・。しかし、こんな朽ち果てた祠に毎日お供えをする奴がいるとはな・・・どれどれ、ほう」


祠の傾いている観音開きを開けてみると、油揚げが7枚小さな階のところに備えられていた。


「なるほどな。これは確かに毎日油揚げをお供えしている様子だな。このお稲荷さんに縁のある人だろうか・・・ふむ、なかなか興味深い。どうせカミさんも武蔵野大学の生涯学習講座で帰りが遅いし、今日の所はあの女の代わりに待っていてやるか。そして、こんな時に役に立つのがこのステッキチェアだ。きょう日、通販でもいい買い物ができるもんだな」


と独り言を呟くと、祠の傍らにステッキチェアを広げて腰かけた。




それから2時間後、すっかり暗くなった袋小路にミニFM局からサユリが戻ってきた。


「ごめ~んごめ~ん! おじいちゃん! すっかり遅くなっちゃったわね。 まだ待ってくれてるよね~?」


唯一開けている狭い夜空からこぼれてくるイルミネーションの反射光で時おり、内部の空間がぼうっと浮かび上がってくるが、誰かがいる気配はない。


「虫歩きのおじいちゃ~ん? いないの~? 帰っちゃったのかな、無責任なんだから! あら・・・」


サユリは老人が座っていた折り畳み椅子を見つけた。


「これって虫歩きのおじいちゃんが小脇に抱えていたやつじゃない? へ~え!折畳みで椅子にもなるステッキだったんだ! これは便利かも~今度番組の中で便利グッズとして紹介しようっと! って言うか~、おじいちゃんどこいっちゃったんだろ?」




その頃、虫歩きの老人はゾンビの後を追って、サンロードを駅の方へと向かっていた。


「いったい、どこに行こうというんだ・・・急に祠の前に現れたと思ったら、わしを見るなり逃げ出した。怪しい奴と思って追いかけては来たものの・・・」


行き交う人混みの中を、スルリスルリと抜けて行くゾンビ。


「年寄りとは思えない素早い身のこなしだ。それにしても不思議なのは誰も奴が傍を通ったのに、気にもとめていないことだ。江戸時代の人みたいな変な格好をしているし、こうして腐ったような臭いがここまで漂っているというのに・・・まるで見えていないみたいじゃないか。おっと曲がったぞ。見失っては大変だ!」


慌てて曲がり角まで行ってみると、少し先のショーウィンドウの前でゾンビは立ち止まっていた。老人が追いついたのが分かったのか、またスルリスルリと人波をすり抜けて進みだす。


「ひょっとして・・・わしが追いつくのを待っていてくれていたのか? ま、まあ、ともかく今は追跡だ・・・」


チェリーナードを通り抜けて、東急百貨店の南側の通りを進むとゾンビは急に左に曲がった。急いで曲がり角まで来てみると、ビルの間の狭い暗がりの中でゾンビがこちらを向いて立っていた。


「うわっ!」

≪狼狽えるでない≫


ゾンビは怖い目で睨んだ。なんだか外観がぼやけて、まるで霧の中にいる様に見える。


≪どうやら、お前さんにはわしの姿が見えている様じゃな≫

「目の前にいるんだから見えるに決まって・・・そうか!」

≪そうじゃよ。気配は感じる様じゃが、わしの姿が見える者はいままでおらんかったのじゃ≫

「やっぱり誰も気がついていなかったのか・・・アンタはいったい・・・」

≪わしにも分からんのじゃ・・・目が覚めると、こうしてここにおったのじゃ。ずいぶん永い眠りだったようじゃ≫


急ぎ足で追跡して来た老人は少し汗ばんでいたが、ゾッと冷たい悪寒が這い上がるのを感じた。


「あ、あんたは・・・もしかして幽霊なのか?」

≪幽霊・・・だが、足はあるぞ。足はあるが地べたを踏みしめることはできん。風の様にふわふわ漂う感じなのじゃ。幽霊とはこうしたものなのか?≫


ゾンビは、困ったように老人を見下ろしながら言った。


「さ、さあ・・・あんたが幽霊ならわしも見るのは初めてだ」

≪墓穴から出たときにはしっかりとした身体だったのじゃが、時間とともに薄れてきているようなのじゃ。もう直ぐ消えてなくなってしまうのかの≫


寂しげな、それでいて何か切迫することがあるような表情だ。


「さっきあの袋小路のところで何をやっていたのだ?」

≪お供えじゃよ≫


老人はようやく合点がいった。


「やっぱり。油揚げを供えていたのはあんただったのか。しかし、幽霊がどうやって油揚げを手に入れるんだ?」

≪豆腐屋から頂戴して来るんじゃよ≫

「豆腐屋? 万引きしたのか?」

≪まん、びき、とはなんのことじゃ?≫

「えっと、くすねたのか?」

≪おお、ま・び・きのことか。棺桶に入れられたとき六文銭以外持たされておらんからの、仕方なかったのじゃ。誰もお稲荷様にお供えしておらんし背に腹は代えられん。しかし、それもこれまで・・・最早油揚げ一枚持ち上げる力もなくなってしまったようじゃ≫


そう言いながらゾンビは両手を広げて悲しそうに見つめる。確かに手の輪郭はあったが向こうが透けて見える。


≪あんた、わしの頼みを聞いてくれんか?≫

「ええっ? なんでわしに・・・」

≪あんた以外に誰も気づいてくれなんだからの。わしに代わってあのお稲荷様の面倒を見てはくれまいか?≫

「・・・あの稲荷社は、あんたとどういう関係があるんだ?」


そう尋ねると、ゾンビは胸を少し反らしながら言った。


≪わしは吉祥寺村の名主の甚右衛門じゃ。≫

「な、名主?」

≪そうじゃよ。わしは吉祥寺村の繁栄を願って先祖伝来のお稲荷様を江戸市中から勧請してあそこに祀ったのじゃ。村の衆はわしの名を付けて“甚右衛門稲荷”などと敬ってくれておったのじゃが≫

「・・・甚右衛門稲荷」

≪しかしそれも今では朽ち果て、誰も面倒を見る者はおらんようになっているようじゃ。わしがこの世に呼び戻されたのは、きっとその所為だと思うのじゃ。あんた、わしが見えるからには、あんたとわしには何か因縁があるんじゃないか?≫




「さっきラジオで、人知れず朽ち果てたお稲荷さんのことを話していたのはあんたか?」

「そうですが・・・どうして刑事さんが?」


その夜、ミニFMで自分の担当する番組コーナーを終えたサユリは、例の警部補に呼び出されていた。


「え~っ? うっそ~! ひょっとして虫歩きのおじいちゃんが殺されたとか~あ? わたしアリバイありますよ~!」

「ち、違う! 誰も死んじゃいない。そんなことよりあんた、油揚げが毎日そのお稲荷さんに供えられていると番組の中で言っていたな?」




「ここを入った奥にそのお稲荷さんがあるんですよ~」


サユリに案内されて警部補が袋小路に入って行くと、誰かが暗がりでゴソゴソ祠の中を覗き込んでいた。


「こらっ! おまえか! やっと見つけたぞ! お前が犯人だな?」

「うわっ! びっくりした」


叫びながら祠から女が顔を出した。丁度射しこんできたネオンの明かりで蜘蛛の巣だらけでびっくりした表情が浮かび上がる。


「ミサキじゃないの~!」

「む、あんたの知り合いか?」

「なんだサユリか。こちらは?」

「武蔵野署の刑事さん」

「なんで刑事さんが?」


ミサキは、サユリにここに刑事を案内して来たことを説明した。


「だから、ミサキにこのお稲荷さんのことを古文書とかで調べてもらっていたんですよ」

「そうだったのか・・・これで一件落着と思ったのにな」

「落着って・・・いったい何の事件なんですか?」

「ふむ。これも何かの行き掛りか。実はな・・・」


警部補は、事件ともいえない油揚げ行方不明事件のあらましを話した。


「そうか! それがこの油揚げだったんだ~!」

「見てみろ。どれも形が不揃いだろ? それは作っている豆腐屋が違うからなんだ」


と、警部補はマグライトで積み重なった油揚げを照らしながら言った。

「そうだったわ! この古文書を見てください」


急に思いついたようにミサキは鞄から書類を取り出した。警部補に示したのは吉祥寺村の名主日記のコピーだ。そこには吉祥寺村の成立から、稲荷社の建立までの由来が克明に記されていた。


「日々・・・欠かさず・・・稲荷の社に・・・油揚げを・・・お供えせよ・・・この為に豆腐屋に万引きが現れたのか?」


と、そこに袋小路に入ってくる人影が見えた。なにかブツブツ話をしている様子だ。


「・・・じゃあ、わしはあんたの血筋を継ぐ末裔ということなのか? いや、信じられない。信じられないがわしにだけ見える理由はそういうことなのかもしらん」

「な~に独り言いっているのよ~? 心配しちゃったんだから~」

「おおっと」


現れたのは虫歩きの老人だった。老人の姿を確認した警部補の目の色が変わった。


「おい! 今、あんたが手にしているものを見せなさい」

「これですか? 油揚げですけど・・・」


老人は油揚げを1枚掲げて見せた。


「やはりな。おまえが犯人だ! 豆腐屋連続万引き事件の容疑で署まで来てもらおうか?」

「なんのことですか。これはそこの豆腐屋で買ってきたものですよ」

「嘘だ! だったらそこに積み上げた油揚げはなんだ?」

「それは、こちらの甚右衛門さんが・・・」


と、後ろを指さした。


「誰もおらんぞ?」

「見えませんか・・・やはり」


老人はひとつため息を吐く。


「だそうですよ、甚右衛門さん。ご先祖なら子孫が困っているのだから、どうにかしてくださいよ!」


誰もいない後ろの空間に向かって老人は話しかけた。


「え・・・その代り、これでお別れですか? も、もちろん子孫として毎日大事にお詣りします。甚右衛門さんとのことは決して忘れませんから、あっ!」


とその瞬間、一陣のつむじ風が袋小路を吹き抜ける。階に供えられた油揚げが強風に勢いよく舞い上がると、稲荷社の上空をくるりと旋回してビルの彼方へと飛んで行ってしまった。


「あ、あ、証拠が・・・」

「行ってしまわれたか・・・」

「くっさ~~!」

「だあれ? いまオナラしたの」


袋小路の中には異様な臭気が漂っていた。


「いまのは甚右衛門さんの最後っ屁ですよ。つむじ風となってお稲荷さんに最後の挨拶をすると、空の彼方へと旅立って行きました」

「甚右衛門さん・・・ってもしかして!? まさか・・・今おじいちゃんは、この日記書いた人と話していたの?」


こうして不思議な事件は幕を閉じ、それから再び豆腐屋から油揚げが万引き被害に遭うことはなくなった。




“事件”から3ヵ月経った春先のある日、麗らかな陽光のなかを女性誌片手に3人のOLが稲荷社を訪れようとしていた。


「今年の吉祥寺特集によると、ここが新しく発見されたパワースポットなんだって!」

「こんなところにお稲荷さんがあったかなあ。全然気づかなかったよね、マユミ」

「うん。なんでも吉祥寺に守り神が現れて『この甚右衛門稲荷を再興せよ、しからば願い事を叶えん』とお告げがあったんだって。ミニFMで言っていたもん」

「さあ、この小路よ!」


入って行くと、すっかり修復されて綺麗になった稲荷社へ続く参道に順番を待つ列ができていた。


「女の子ばかりじゃないの!」

「考えることって皆同じなのよ、レイコ」


3人が列の後ろに付くと、稲荷社の傍に社務所が作られているのが見えた。

「はいはい、奉納用のお揚げさんはこちらですよ! 1枚200円ね。お守りはこちら、500円から。油揚げを模った可愛いお守りもあるよ! もちろん200円でおみくじも引けますからね」


社務所の中から呼びかけているのは例の虫歩きの老人だった。


「へ~霊験あらたかって評判の甚兵衛稲荷ともなると、宮司さんもずい分商売熱心なんだねぇ」

「油揚げお守りだって! ちょっとキュートかもぉ」

「さあ、マユミにレイコ。お詣りしたら新しいお店巡りだからね!」


順番が来た3人は、女性誌に書いてあったとおり油揚げを1枚づつ稲荷の社の三方に捧げてパンパンと柏手を打つ。


よもや自分たちがカリブ海の島国から持ち込んだ“怪しい粉”によって、ゾンビが油揚げをさらうという前代未聞の騒動が引き起こされていたなどとは知る由もなく、無邪気に恋や結婚の願い事をするばかりであった。


これでこの物語はおしまいです。

今回登場したゾンビは真新しい死体ではなかったので、さしもの名人呪術師が調合したゾンビパウダーをもってしても実体を維持できるだけの“成分”が残されてはいなかったわけでしょう。

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