第5話 ゾンビが街にやってきた
―― 平成××年晩秋 東京 武蔵野市 吉祥寺――
師走を迎える頃になると日没が一段と早くなる。
まだ16時過ぎだというのに三鷹駅の北口ロータリーでは年末恒例のクリスマスイルミネーションが点りはじめていた。華やかに輝く電飾に彩られた並木道を300メートルほど進むと角地に武蔵野警察署が見えてくる。長警棒の厳めしい警察官が立つ正面入口では、年末の交通事故や窃盗飲酒事件等に追われて署員が慌ただしく出入りしていた。
一方、署内に入ると別世界のような一画があった。吊り看板には刑事課強行犯係とある。まわりの忙しい状況とは無縁な様子で古参刑事が暇そうにしていた。
「警部補殿。このところウチの管内で不審な事件が多発しているようでして・・・」
と、そこに若い刑事が話しかけてきた。
「不審? どういう事件なんだ?」
「それが・・・」
若い刑事の話をまとめると、毎日のように市内の豆腐屋に万引きが出没するのだという。
不気味な音と腐ったような臭いに驚いて店主や店員が気配のした方を見るのだが、そこにはもう誰もいない。レジから現金が盗まれた様子はなく、水桶の中の豆腐は絹ごしも木綿も無事、ガンモや厚揚げに納豆、玉子豆腐やゴマ豆腐も陳列したままなので最初は気の所為かと思ったのだが、豆腐屋仲間の忘年会で話しているうちに同様のことが起きていたことが分かった。
「え? お前の店でも不気味な気配があったのか!」
「ああ。金は無事だったし物盗りじゃなさそうだが店の中に嫌な臭いが残っていたんだ」
「うちもだぜ・・・人間ならば金か食い物目当てだろうが何も盗られちゃいない」
「でもよ。本当に何も盗られちゃいないのか?」
「ひょっとしたら俺たちが気がつかないだけなのかもな・・・」
「よし! 調べ直してみようぜ」
そして、どこの店でも不気味な気配のあった日になぜか油揚げの数が1枚だけ合わなかったことが判明したのだ。
「で、刑事課にその相談が来たってわけか? この寒空に怪奇事件とは季節外れもいいとこだぜ」
「それでウチの課長から、警部補殿に相談せよとのご指示でして・・・」
「なに? 係長じゃなくて課長から? なんで俺がそんなもんを捜査せにゃならんのだ」
若い刑事にそう言われて警部補は渋い顔をした。
「いいじゃないですか。ここのところ暴力沙汰もないしどうせ暇にしているんでしょ?」
「ほっとけ!」
「追突事故やら万引きなら連日起きていますが、こういう不思議な事件はなかなかありませんよ?」
「豆腐屋だって万引きだろうが。生活安全課でやってもらえよ」
「万引きは商店街やコンビニ、デパート、家電量販店で連日起きているのでこんな事件、おっと、不審事件にはとても人手を割けないそうなんです」
「だがよ、盗られたのは油揚げ。それもたった1枚だけなんだろ? 犯人捉まえたって返って来やしないって」
「警部補殿は被害の多寡で事件を差別するのですか? 常日頃署内で“事件に軽重はない”って訓示垂れているのは誰でしたっけ?」
「・・・ったく! 俺の弱点を突いてきやがって。係長がなんでお前を寄越したのか分かる気がするぜ」
「なにか手掛かりは残されていないのか?」
現場の店を訪れた警部補は、最初に駆け付けた交番の巡査に尋ねた。
「それが、なにせ豆腐屋ですから色々な人間が買い物に来るんですよ。駆け付けたときにそれらしき異様な靴跡はなかったし、店主が言う嫌な臭いっていう奴も自分には感じられませんでした」
「ふむ。ゲソコンを残さない不審者か・・・このあたりは公園が近い。カラスがいたずらしたってことはないか? やつら脂が好物だっていうぜ? 監視カメラはなかったのか?」
「え? 監視カメラですか? 警部補殿、豆腐屋ですよ? スーパーやコンビニならともかく、豆腐屋が監視カメラなんか設置するわけないじゃないですか」
「それもそうだな。しかし手掛かりもなく霞の様に現れては消える犯人となるとな。どうしたもんか・・・」
そう言うと警部補は腕を組んで考え込んだ。
一方、警部補たちが被害に遭った豆腐屋まわりをしているときに、吉祥寺の繁華街の一角で異様な気配が漂っていた。
≪嘆かわしい・・・実に嘆かわしい≫
女の子が喜ぶグッズを商う華やかなファンシーショップの裏手、ビルの谷間の薄暗い一角で異界の存在が発した思念が渦巻いている。
≪吉祥寺村の守り神、太田道灌様由来の稲荷社をないがしろにするとは・・・≫
朽ち果て傾いた稲荷社を、愛おしそうに撫でているゾンビが発する思念だった。
≪こうしてわしが供物を捧げなければ誰も面倒を見る者はおらんのか・・・わが子孫はいったい何をしておったのじゃ・・・≫
見ると、ところどころ壊れかけて穴の開いている稲荷社の小さな階の上に油揚げが数枚載っていた。
≪それにしても・・・わしの血筋の気配がまったくしないのはどうしたことじゃ・・・死に絶えたのか?≫
ゾンビは何かを探るようにしばらく沈黙した。
≪うむ・・・死に絶えてしまったようじゃ・・・わが一族は滅びてしまったか・・・≫
虚ろなゾンビの眼窩から、どうしたことか一滴の涙が流れ出た。
≪しかし・・・吉祥寺村は残った・・・それもこれもこのお社のお陰じゃろ・・・こうしてこの世にわしが呼び戻されたには理由があるはずじゃ・・・≫
ゾンビもまた、腕を組んで考え込みはじめた。
「うそじゃないって! ここの路地を入った奥にあるのよぉ」
「ほんと? こんな繁華街のど真ん中に忘れ去られたお稲荷さんが眠っているなんて信じられないわよ!」
ふたりの若い女が、ゾンビの潜んでいたビルの谷間の狭い空間に入って来た。
「あら! ほんとだわ」
「ね? 言ったとおりだったでしょ?」
自慢げにそう言ったのは例のミニFMの女だ。
「それにしても古いお社だこと・・・江戸時代中期、いやそれよりずっと前の感じね」
「さすがミサキだわ。餅は餅屋。やっぱり学芸員は違うわ。持つべきものは友よね! じゃあ、武蔵野中央図書館でここの由来を調べてくれるわね?」
「サユリ、あんただって歴史文化学科を卒業したんでしょ? 自分で調べなさいよ」
「や~だ。古文書なんか読めないよ~お! 自慢じゃないけど学生時代は遊びまくっていたんだもん。」
「自慢するこっちゃない!」
「ミサキちゃん、いやさミサキさま。このとおりだから! 頼むよ~お」
「ったく・・・あんたは昔からいつだってそうなんだから。高いわよ!」
ひとつため息を吐くと、ミサキと呼ばれた方の女は稲荷社を調べ始めた。
「ふうん。でもさ、あんたが言っていたみたいに“誰も来ないお稲荷さん”ってわけでもないみたいね」
「どうして?」
「ほら」
と言うと、祠の扉を両側に開いて小さな階を見せた。
「あ・・・本当だ。誰かが油揚げを捧げに来ているみたいね」
「この様子から見ると、この1週間毎日1枚づつお供えしている感じかな」
7枚ほど積み上げられた油揚げは一番上が新しい黄金色で、下に行くほどくぐもって油焼けした色にグラデーションしていた。
「人知れず朽ち果てていた祠に毎日欠かさず参拝するひとがいる・・・。これってアリかも!」
「?」
「番組の新ネタよ! この現代都市吉祥寺の繁華街の真ん中に今も残る古い日本。そこに今も息づく民間信仰。過去から現在へ、現在から未来へ続く祈りの連鎖! すっごくいいんじゃない?」
「・・・」
ミサキと呼ばれた女は「また始まった」という顔で呆れたように肩をすくめた。
「ということだからミサキ、この稲荷社がどういう経緯で建てられたのか調査頼むからね!」
「はいはい。で、サユリ。あんたはどうするの?」
「わたし? そんなの決まっているじゃない! ここで油揚げを持って来るひとを待ち受けるのよ!」
こうして自ら危険も顧みず虎口に跳びこもうとする女が現れた。