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第4話 そして舞台は出そろった

吉祥寺で海外旅行帰りのOLが“怪しい粉”を処分し、地球の反対側で霊媒師がゾンビを復活していた平成××年。話はそこから再び江戸時代に遡る。


―― 万治二年 武州 野方領 吉祥寺村――


太田道灌由来の稲荷社を建立した老夫婦の家に親族が集っていた。


「婆さんや、わしはもう寿命じゃ・・・」


死の床で老人が長い間連れ添ってきた糟糠の妻に語りかけた。


「なんと気の弱いことを。おじいさんはまだまだ長生きできますよ」

「いいや・・・自分のことだから自分で分かるんじゃ・・・うっ・・・いよいよお迎えが来たようじゃ・・・最期に・・・最期に頼みたいことがある・・・うぐっ」

「お、おじいさん! しっかりして! 頼みたいことってなんです?」


臨終の席に立ち会おうと江戸市中から駆け付けてきた親類縁者が、遺言を一言も聞き漏らすまいと固唾を呑んで耳をそばだてている。老夫婦は振袖火事で焼け出されるまで駿河台で乾物商を営んできたのだが、吉祥寺村に移って来てから畑作で収穫した豆類を乾燥加工して江戸の町に卸すなど武蔵野台地に根付いた乾物商いで、街道筋でも有数の大店に育っていたからだ。老夫婦には子供がおらず、親類たちとしては是非とも自分の娘息子を跡継ぎに、と目論んでいるのだ。


「わしらのお稲荷さんを・・・掃き清め・・・毎日供物を捧げるのじゃ・・・日々忘れず精進できる者・・・それが・・・家督を譲る条件じゃ・・・わが家訓とせよ・・・」

「はい、承知しましたよ。一族でしっかりお稲荷さんをお守りして参りますからね」

「こ、これで・・・ひと安心じゃ・・・わしが死んでも・・・皆でこのお稲荷さんを祀ってくれさえすれば・・・きっと、わが家と吉祥寺を繁盛させてくださることじゃろ・・・うっ・・・ふっ」

「お、おじいさん!!」


こうして老人は、安堵して満足そうに笑みを浮かべながら静かに息を引き取った。


菩提寺である吉祥寺村の四ヵ寺のひとつに野辺送りした後、老婆はいろいろ考えた末に信心深く気立てのよい親戚筋の娘を養子にした。そして数年後、老人に代わって店を切り盛りしていた番頭を婿に取った。夫婦は遺言通り忠実に家訓を守り日々お稲荷さんをお守りして行った。そのご利益なのかますます商売は繁盛し、江戸市中はもとより上方まで商いは広がって行った。


それから350年。老夫婦の一族は子宝にも恵まれて代々血筋が家業を継ぎ地元の名家として明治を迎える。しかし大正から昭和へと激動の時代を迎える中で一族は離散。本家と呼ばれる人々はもちろんのこと、分家の血筋も絶えてしまった。




―― 平成××年晩秋 東京 武蔵野市 吉祥寺――


では、昭和から平成を迎え現在の稲荷社はどうなったのだろうか。


栄枯盛衰、旧家の土地や家屋敷というものは一度人手に渡ると止めどなく所有者も移り変わることになる。地権者が代わり所有者の思惑で建て替えられていく内に、何棟もの賑やかな商業ビルになってしまった。老夫婦の願いである一族の繁盛はならなかったが、吉祥寺は殷賑を極め願いは実現していたからだ。ネオン煌めく商業ビルが立ち並ぶ屋敷跡の一角、ビルに取り囲まれて日も射さぬ袋小路の片隅に稲荷社は残されていた。


≪パン パン≫


散歩のついでに立ち寄ったのか近所の老人が、すっかり朽ち果てて屋根も傾いている社に手を合せていた。


「あの~おじいちゃん。ちょっといいですか?」


振り返ると、稲荷の社のあるビルに囲まれた狭隘地の細い通路から若い女がこちらを覗き込んでいた。


「はい?」

「そちらは何をお祀りしているのでしょうか?」

「ああ、ここね。多分お稲荷さんなんだと思うがな・・・何か調べものかい?」

「ええ。わたし地元のミニFMのものなんですけどぉ。『ヴァ―モス!温故知“賑”』っていう番組を担当していて、吉祥寺の史跡とか古い言い伝えとか訪ね歩いているんですよぉ。いっつも通るファンシー小物屋さんの裏側がこんななんてぇ! おじいちゃんが路地に入って行くのを見かけたもんで、ついて来ちゃったんですよぉ。神社探訪ですかぁ?」


この女、見かけは“ギョーカイ”っぽい大人の格好をしているが、口を開くとバカっぽい。


「わしは健康のために散歩しとるだけだ」

「そうなんですかぁ? じゃあ、どうしてこんなビルに囲まれた袋小路の神社なんかにぃ?」

「決まったルートを歩くだけじゃつまらんだろ。壁伝いに進んで無理やり狭い通路とかを歩いてみると、いろいろ発見があってな」

「へえ~虫みた~い! 壁の伝い歩きって楽しいかもぉ」


老人はムッとした。


「ともかく、わしもここは今日初めて来た場所なんだ」


イラッとして老人が言ったのだが、そんなことなどお構いなしに女は続ける。


「そっかぁ。見た感じいかにも物知り風なのにぃ、おじいちゃんも知らなかったんだぁ。でも、ここってなんかアンティーク。とってもいわくあり気なんだけどなぁ。おじいちゃん、誰か知ってそうなひと知らない?」


さすがに女の身勝手な言葉に堪りかね、老人は片眉を吊り上げると顔をしかめた。


「知らんよ。わしだって定年退職して夫婦ふたり老後を過ごすにはいい場所だと思って、吉祥寺に引っ越してきたのだからな。武蔵野中央図書館にならここの由来が分かる古文書があるんじゃないか?」

「え~っ図書館で調べるのぉ? 面倒くさいよぉ。第一わたし、古文・漢文・チンプンカンプンなんだからぁ~自慢じゃないけどぉ」

「自慢するこっちゃないわ!」




そしてその夜のこと。

カリブ帰りのOLたちがゾンビパウダーである“怪しい粉”を撒いてから月の満ち欠けが3周した夜になった。秋だと言うのに夜半から激しい雷雨が関東地方を襲った。


≪ピカッ≫


ネオン瞬く繁華街の夜空を閃光が走り抜ける。


≪バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリ≫


吉祥寺は高層ビルのない街なのだが、それでも10階建てともなると聳えてみえる。そんな建物の屋上に設置された避雷針に落雷して、雷鳴とともに街中を地響きが襲った。


≪ゴトッ≫


雷雲が過ぎ去り再び普段の繁華街の喧噪を取り戻した頃、例の草蒸した墓が揺れ動いた。一瞬のことであり誰もそれに気を止める者はいなかったが、たまたま停まっていた羽虫が数匹同時に飛び上がった。


≪ピチッ・・・ピチッ・・・ピチッ≫


墓の下では穿たれた岩の荒く削られた天盤を水滴が覆い一筋の流れをつくっていた。そして、重力に堪えられなくなった雫が放たれるたび石室の床に落ちて水音を暗闇の中に響かせていた。


≪ううう・・・おおお・・・むむむ≫


ひと一人がようやく収まる狭い空間に不気味な唸り声が響く。寝たままの姿勢で強張った腕をいっぱいに伸ばして化け物が天井を押しているのだ。


≪ぐぐぐっ・・・・うおおおおおっ!≫


人間? いや・・・人間だったのかもしれないが、凄まじい腐臭、崩れ落ちる皮膚、漆黒の闇でしかない眼窩、蟲が這い回る爛れたおぞましい今の姿には、生命の息吹を感じることはできない。生命なき活動体・・・ゾンビだった。


≪ゴッ ゴッ ゴッ ゴトッ ドドーーーンッ≫


地面に亀裂が走った瞬間、墓石が派手な音を立てて倒れた。墓石のあった場所には、竪穴が口を開けていた。穴の中からは悪臭を放つ大量のミストが吹き上がり、周囲の視界もぼやけてくる。


地の底から微かに響いていた唸り声がが、次第に大きくなって来る。亀裂のまわりで土がボロボロと崩れた瞬間、腐りかけた長い指が穴から伸びてきた。強い力で近くの石組みをつかむと、一気に身体を穴から引き上げる。


≪ダンッ≫


ゾンビは地上に降り立った。身体全体から発していた水蒸気が急激に外気に冷やされて消えていく。死人の再生が完了したのだ。靄の中に現れたその姿はまるで時代劇に出て来る大店の隠居のようであった。


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