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第2話 ことの始めは江戸時代

―― 万治元年夏 江戸 駒込 ――


吉祥寺でOLたちが“怪しい粉”を処分していた平成から時代を遡ること350年前、“振袖火事” “吉祥寺火事”と2年続きで江戸の町を大火が襲った。


江戸城を間近にのぞむ駿河台にあった諏訪山吉祥寺門前町の住人たちも、この火事で焼け出され駒込の代替え地で日々暮らしの立て直しを図っていた。


「ひでえ暑さだ」

「ジリジリ照りつけやがるぜ」

「仮長屋のぺらっぺらの板屋根じゃあ仕方あるめえ」

「お上のお慈悲でこうして雨露しのげるだけでも有難てえと思わなきゃな」


強烈な夏の日差しに炙られるのは今も江戸時代も同じだ。軒下で手作業しながら男たちは、ギラギラ輝く太陽を恨めし気に見上げた。


「それにしても、いつになったら俺たちは駿河台の元の長屋に戻れるのだろうか」

「それはもう叶わないことかもな」

「なんでだ?」

「焼け出されたのは俺たちだけではねえ。お武家様や吉祥寺様のような寺社仏閣まで皆焼けちまったんだ」


何を当たり前の事を聞くんだ、とばかりに呆れた口調で答えたのも無理はない。

俗に“振袖火事”と呼ばれたこの明暦の大火は、江戸時代最大の火事で死者は10万人に及び江戸市中の3分の2を焼けつくした。自分たちばかりではなく武士も町人も神官僧侶も、皆焼け出されて生活を再建する手立てのために奔走していたのだ。


「だったら元通りに建て直せばいいじゃないか」

「それではまた火事になったら同じことになるだろ?」

「じゃあ、どうしようってえんだ?」

「お上はこの機会に諸大名に下された拝領屋敷も総入れ替えして、火事に強い町普請をするんだそうだ」


徳川家康が入府して以来、江戸は日本の中心都市となっていた。

しかし一方で、諸大名は幕府への忠勤を競い江戸城近くを取り巻くように豪壮で広大な江戸屋敷を建て、庶民は庶民で戦国から平和な時代への移り変わりによって生まれた新たな仕事と定住の地を求めて流入。爆発的に増加した屋敷や住居が無計画に建てられていった結果、市中は混沌とした街並みにもなっていた。それが今回の大火ですっかり焼け野原となり、江戸城の天守閣でさえも焼け落ちてしまった。


幕閣はこの機を逃しては最早都市計画はならぬと考え、拝領屋敷を取り上げ、火除け地を各所に設けるなど町割りを大幅に見直すことにしたのだ。


「おおい! 新田開発のお触書が出たぞ」

「これで仮家ともおさらばできるぞ!」


仮住まいの裏長屋に男たちが走り込んできた。


「おいおい、俺たち町衆に百姓させようってえのかえ?」

「なに言ってんだい。元をただせばしがねえ貧乏椋鳥、信濃や越後から出稼ぎに出たどん百姓がそのまんまお江戸に居ついているだけだろが」

「く~~~この野郎! 俺様を見くびるんじゃない! 俺っちは大川の水で産湯を使い爺様婆様の代から江戸城天守閣の甍に見守らて育ってきた生粋の江戸っ子でえ!」

「大川大川ってえオメエの大川はどこの大川だあ? 小川の隣に流れてりゃあ普通の川でも大川だってかあ?」

「い、言いやがったな! ゆるせねえ!」

「まあまあ、二人ともおよしよ。まずはお触書を確かめてみなけりゃ何も分からんだろうが」




その宵、晩飯を終えた吉祥寺門前町の住人たちは世話役のところに参集した。


「・・・というわけで武州は牟礼野の地にて新田開発をする者には、お上からお扶持米が下し置かれるという訳じゃ」


お触書について世話役がひと通り説明を終えると、室内をしばし沈黙が支配した。


「なにか? するってえと年貢を納めるんじゃなく、反対に年貢が頂けるってえことか? 甚右衛門さん」

「頂けるのは年貢じゃないがな。ともかく5年を期限にお扶持米が頂けた上に、家を造作する費えもお貸くだされるのじゃ」

「とは言ってもお江戸の外だろ?」

「四谷の大木戸を出た先なんだって?」

「もっともっと西の方、武蔵野台地の中ほどじゃ」

「お江戸を出ちまっては江戸っ子じゃなくなっちまうよ」

「そんなことを言ってはいかんぞ。お上のご慈悲で将軍家のお萱場をお下げ渡しくだされるのじゃから」

「お萱場ってえことは、要するに荒地なんじゃないか!」


幕府から下げ渡される土地とはいっても、関東ローム層の雑草が生い茂る荒地だ。これまでろくに開墾されていなかったのは水源が井之頭の池に限られていたからだ。現在でも池は井の頭公園の中にあって湧き水が出る憩いの場となっているが、そこから吉祥寺方面へは見上げるような崖となっている。

ここから水を運び出すとなれば相当な労力を必要としたことだろう。


そんな荒地に新田開発が持ち上がったのには理由があった。多摩川から江戸市中まで豊かな水を引き込む上水が通ったからだ。これで灌漑用水が手に入るようになり、ようやく開墾を始められる条件が揃ったのだ。


「そんなことだからお前さんたちは、いつまでもウダツが上がらんのじゃ」

「そんなこと言ったってよ。お江戸を出ちまうんだぜ」

「この地はいずれ、お江戸でも評判の盛り場となるに違いないのですぞ」

「いずれってえのはいつのことだ? 1年後か2年後か?」

「子子孫孫ずっと先のことまで見通しなされ。今のうちにこの地に居を構えておけば、子孫からご先祖様がいらっしゃればこそと大感謝されること間違いなしじゃ!」


こうして焼け出された旧吉祥寺門前町の住人たちは武蔵野台地に移住して行ったのだった。


苦労を重ねながら荒野を開墾し、どうにか収穫できるようになるのはそれから何年もたってからのこと。

それでも一度収穫のめどが立てば、少ない収入ながら人の営みも落ち着いてできるようになる。そうなるとポツンポツンとまばらだった集落にも人が集まりはじめる。すると家並みも次第に増えて、吉祥寺村として体裁も整ってくる。


体裁が整い生活にゆとりが出て来ると、家作や衣食のことだけではなく神仏のことにも気がまわりはじめる。


「こりゃあいかんぞ」

「甚右衛門さん、何がいかんのかね?」

「こうして吉祥寺村の民百姓が豊かな秋の実りを頂いたというに、祝うことができんのじゃ!」

「祝いなら、酒肴を持ち寄り集まってぱあっと騒げばよいじゃろが」

「だからお前さんらは分別がないと言うのじゃ! 祝いは寿ぐ神仏あってこそのものじゃ」

「神仏?」

「神様に御仏じゃよ。収穫を捧げ祀るお相手がいなければ村祭りもできんじゃろが」


ということで信心深い住人たちは、村の鎮守として八幡様を、村の宗門人別のために四ヵ寺の檀家寺を勧請した。さらに先祖代々縁の深い神仏を、一家の守り神、守り本尊として迎える住人もあったのだ。


≪パン パン≫


木肌も真新しく新築なった小さな祠に手を合せる老爺と老婆。


「ばあさんや、これでようやくご先祖様に顔向けできますよ」

「ほんに、おじいさん。徳川様江戸開府のその前からわが一族が大切にお守りしてきたお社ですからね」


老夫婦は火事で消失したままになっていた太田道灌由来の稲荷社を、この地に勧請して祀り直したのだった。


「これからは子子孫孫、この地で代々このお社をお守りしていこうな」

「ええ、この吉祥寺こそ私たち一族が栄えて行くべき場所なのですから」


結局、この地に諏訪山吉祥寺は来なかった。それでも住人たちがこの地を吉祥寺と名付けたのは、荒地を開拓し農耕で生業をたてることになったとはいえ、元は江戸の出身であることへの誇りと昔日への思いがこめられていたからなのかもしれない。


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