灰色の男
「もしもし?時雨くん?」
『流石だな、波崎さん』
「ああ、やっと僕を裏切ったことを悔やんでくれたかい?」
波崎和馬は、拷問室を監視する小部屋の中で、事態を察した時雨からの着信をとった。状況を呑みこめない全獅や熊切、大和や雷音を放置して、〔灰色の男〕は微笑みすら浮かべて手近にあったモニターを起動する。
「いや、僕個人としては、不思議なことに今回の裏切りは嬉しさのほうが大きいんだ。君が無理やりにでも僕と同じステージに上がった、上がれるだけの力をつけたということが。〔僕なら弟子の裏切りなどに動じはしない〕。そんな風に信頼してくれたからこそ君がこうしたことが、ね?だからこそ、僕は君を止めるために最善を尽くす」
『・・・』
「君がスラムに逃げたことはわかっていたからね。こうするのが、1番手っ取り早いと思ったんだよ」
『・・・やはり、アンタだけは敵に回すべきじゃなかった。アンタの凄さを、この3年、近くに居すぎて見誤っていたのかもな』
「光栄だよ。でも、君の判断も賢明だと、僕は思うけどね。だって・・・」
時雨の苦々しい言葉を聞きながら、波崎が操作したモニターが切り替わり、TSY・〔テレビ・新ヨロズ〕を選局。そこに映し出された特番ニュース映像を、背後の全獅と熊切、大和と雷音の視界が捉える。
そこには、
「こうやって、市民や企業がかける〔賞金首リスト〕、その最上位レベルの懸賞金をかけられ、なおかつ警察署襲撃の関係者として報じられれば、僕でも君と同じことをするよ」
時雨の顔写真が、莫大な懸賞金と共に表示されていた。
それは、つまり、
『〔生活の困窮するスラム民〕の最も欲しがるモノ、金を使った包囲網がアンタの策ってわけだ』
「その通り。幾ら君が親しいスラムの人間のところにいたところで、〔完全な1枚岩の組織〕など在りえない。〔必ず君の所在をリークする者〕が出るんだ。さらにはヨロズ市民も警察署襲撃に関係があると知れば懸賞金の有無に関わらず通報するだろうね。そして・・・」
『探偵の仕事は、調査業務。つまり・・・』
時雨の苦々しい口調に、波崎はクスリと笑って言った。
「私や君のような1流は、マスコミにパイプを持っている。普段から、その調査協力をしている関係でね。ついでに懇意にしてるTSYの桜庭プロデューサーには、〔AVADON〕の存在をチラつかせて大々的な放映をお願いしたよ」
「アンタ、何を勝手にっ!?」
「でも・・・」
背後で戸惑った様子の全獅を無視して、波崎は電話の向こうにいる時雨に意識を集中する。
「このくらいのタイミングで君に気づかれるのはわかっていた。どうしてもこういう大々的な行動は動きが鈍いし、君らを発見する前に逃げ出す時間があり過ぎるよね?いやあ、困ったよ」
『・・・それも狙いなんだろう?』
「うん、そうさ」
苛立った様子の時雨の声に、困った演技をしていた波崎はサラリと口調を戻して続けた。
「君は逃げられない。逃げても、ずっと社会という地獄の番犬に追われ続ける。それは終わりのない戦いで、勝ち目のない戦いだ。それに挑んで敗北してきた人間を、その先兵である僕と君は嫌と言うほど知っている。でも・・・」
『アンタらには、時間が無い。〔自然派〕の動向はいまだに掴めないし、俺が捕まる前に確保されたくない。だからそもそも、この策は〔俺を発見するための策ではない〕』
「その通り」
波崎は、取り出したタバコに火を付け、紫煙を燻らせながら続ける。
「君はこう考える〔僕らと自然派、どうせ掴まるのならどちらに掴まるのが得策か?〕とね。どちらとなら、今の段階で〔交渉する余地〕があるかを、ね。いや・・・」
『そもそも、どこにいるかわからない〔自然派〕に連絡が取れるわけがない。なら、〔この状況で少しでも俺と凛名の主張を通す〕ためには、〔俺は、自然派より先に迅速に俺達を確保したくてたまらないと知っているアンタら、言い換えると交渉に応じるだろうアンタら〕に連絡するしかない』
「そう、これは、〔君から僕らに連絡させるためにとった策〕なんだ」
この瞬間、波崎和馬は、スラム民やヨロズ市民の間接的動員、それを踏まえた上で時雨が下すだろう判断、さらにそれを利用した〔自然派〕との衝突回避の全てを、たった1人でやり遂げた。
非力な非感染者である男、その頭脳にとって、〔AVADON〕すら手駒でしかなかったのだ。
だから、
「単刀直入に聞くよ?身の安全は当然として、いいかい?君達の要求はなんだい?時雨くん?」
『・・・』
どこか悲しい笑みを浮かべた波崎はモジャモジャの灰色髪をタバコを持つ手で弄び、息を呑む全獅達を放置して、時雨の歯ぎしりを聞いて待った。